ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
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第645号 これぞ武士・中島三郎助を偲ぶ

2011年07月15日 | テレビ番組

先週、NHKTVで放映された箱館戦争のヒーロー”中島三郎助”。
いろいろと書きたいことがあって、筆をとった。

         

私が住んでいたのは、”中島町”。
箱館戦争が終結してから、彼の功績を後まで伝えたいと
いうことから町名にしたらしい。

小学校は”中島小”。本籍地も一時中島町に置いていた。

 

彼は、ぺりー来航時、浦賀奉行所の与力だったのだが、
その後、”幕府立
・長崎海軍伝習所”の一期生として入所した
エリートだった。

明治元年、3,000余の兵を引き連れて蝦夷地に上陸した
旧幕府軍のトップ”榎本武揚”。
榎本は、中島の一期後輩だった。

中島はもともとは、エンジニア。
幕末に江戸徳川幕府がオランダに建造依頼をした軍靴
”開陽丸”の機関長だった。

ところが、江差沖で暴風雪に遭遇し沈没。
その後、榎本軍の幹部を選ぶ選挙で
”箱館奉行並”に任命された。

任務は、現在の中島小学校や球場にあったと伝えられる
旧津軽藩の陣屋の守備。

本陣が置かれていた五稜郭を守るため、
官軍との交戦にあたることだった。
ここに、三郎助とその子2名らも立てこもり、壮烈な死をとげた。
父を信じ、父を尊敬し箱館まで来た二人の心境を思うと、
胸が裂ける。

         

刀や槍、鉄砲で傷つけられ、苦しんで
亡くなっていったであろう。
その戦いぶりを三郎助は、見ていたのか?
本人も、どんな思いで亡くなっていったのだろうか?

涙があふれて止まらなかった。

(写真はお借りしたものです。)



 

             







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