57年前の9月下旬、青函連絡船「洞爺丸ほか4隻」が函館湾内で転覆し、1,430人が亡くなった。
沈没であれば、生存者は多かったと思うが、何しろ転覆。
脱出が困難だったに違いない。
多くの遺体が収容された七重浜には、慰霊碑が建っている。
転覆させた強烈な台風15号が函館に上陸したのは、私が小学5年の時。
夕方風が止んで外に出て空を仰いだら曇り空の中に薄い丸輪郭が見え、それが「台風の目」だった。
しばらくすると強烈な風。
当時の道路は未舗装が多く、小石が風に吹き飛ばされガラスを直撃。
何箇所も穴があき、そして停電に。
現在のように早期復旧などなく、暗黒の世界が広がっていた。
このとき、私は母の実家に預けられていた。
玄関は3畳間ほどの広さがあって、自転車を置いていた。
後輪が浮き上がるタイプのスタンド。
そして、後輪に発電機がついていたので夜中中ペダルを踏んで、何とか室内は明るくなった。
大きな風音、飛来物がぶつかる音、建物からきしむ音に恐怖を感じ、
これに雨でも降り出したらどうしようか。
一刻も早く夜が明けるのを待っていた。
(次号へ続く)
ミカエル
沈没であれば、生存者は多かったと思うが、何しろ転覆。
脱出が困難だったに違いない。
多くの遺体が収容された七重浜には、慰霊碑が建っている。
転覆させた強烈な台風15号が函館に上陸したのは、私が小学5年の時。
夕方風が止んで外に出て空を仰いだら曇り空の中に薄い丸輪郭が見え、それが「台風の目」だった。
しばらくすると強烈な風。
当時の道路は未舗装が多く、小石が風に吹き飛ばされガラスを直撃。
何箇所も穴があき、そして停電に。
現在のように早期復旧などなく、暗黒の世界が広がっていた。
このとき、私は母の実家に預けられていた。
玄関は3畳間ほどの広さがあって、自転車を置いていた。
後輪が浮き上がるタイプのスタンド。
そして、後輪に発電機がついていたので夜中中ペダルを踏んで、何とか室内は明るくなった。
大きな風音、飛来物がぶつかる音、建物からきしむ音に恐怖を感じ、
これに雨でも降り出したらどうしようか。
一刻も早く夜が明けるのを待っていた。
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ミカエル
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