ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第812号 初めて観た函館大火第二の供養碑

2013年07月05日 | 災害
明治になってから、函館が受けた大きな人災や天災。
箱館戦争、函館大火、空襲、洞爺丸転覆、ばんだい号墜落などがあげられる。
私は昭和9年に起きた大火で、慰霊碑的な施設は、大森町にある「大火慰霊堂」だけだと思っていた。



ところが、地元紙の編集発行本によって、湯の川に慰霊碑があることが分かった。
アークス戸倉店へ向かう道々から、高専や函館大学の上り口左にある「龍吟寺」の境内。







法要の日に合わせて、伺い、手を合わせなくてはと思っている。
焼死は、どんなに苦しかったことだろうか。
合掌せずにはいられない。



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4 コメント

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Unknown (独り言)
2013-07-05 23:07:40
焼死ではなく溺死と凍死です。
いずれも木橋のため、大森橋は焼失。高盛橋と新川橋は大勢の避難者の重みに耐えられず倒壊。
運悪く満潮、さらに寒さの中、新川に投げ出され一部は大森浜に。その内6百体が湯川に到着しました。
そのため焼失しなかっ湯川に供養碑を建てたのです。
東川橋(現昭和橋)は前年6月に木橋からコンクリート橋に切り替えられていました。
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独り言さんへ (ミカエル)
2013-07-06 09:57:00
こんにちは。
書き込みをいただきましてありがとうございます。
今回は「湯の川慰霊碑」のみに、的をしぼっての記事です。
大火そのもの記事は、「第709号ほか」で記事化しており、お知らせあった内容と重複いたします。
書き込み、有難うございました。

ミカエル
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Unknown ()
2013-07-06 11:32:33
ミカエル様 こんにちは!
毎回なるほどなるほどと、読ませていただいております。
先日第101回箱館歴史散歩の会(中尾仁彦さん主宰)「電車開通100周年」に参加してきました。電車運行と切っても切れない昭和9年の函館大火についても解説いただきました。
木造の大森橋が燃え上がって、1,300名程の避難者が焼死・溺死・凍死し、約半分の方が、湯の川に漂着したとのことでした。
「第二の供養碑」については知識もありませんでした。場所も聴きもらしてしまいました。
おかげで「龍吟寺」さんの場所が判りました。近いうちにお邪魔し、手を合わせてまいりたいと思います。
情報ありがとうございました。 合掌。
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宮さんへ (ミカエル)
2013-07-06 18:52:35
こんばんは!ようこそお出でくださいました。
中尾先生の講義は、数度受け、そのつど新しい知識をいただいております。
そして、私のブログの応援者でもあります。

このお寺のことです。
昭和40年ころ、市電湯川終点あたりは、水害の常襲地帯。
川があふれ、腰までの水。

このお寺が避難場所に指定されておりました。

明日は七夕まつり。
子供たちが、元気に来てくれるのを、待ちたいものです。

ご訪問に感謝いたします。

ミカエル
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