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ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第471号 デフレ真っ盛り

2009年12月11日 | 町の話題

政府は、日本経済がデフレ進行中と発表した。
物価が持続的に下落するのを「デフレ」と言うらしい。
先日、近くのスーパーでその恩恵を受けた。
価格は66円均一。
品は、青果、鮮魚、ドリンク、パン、和日配などと幅広い。 
我が家では、、写真の品を始め多種類を買い求めた。

 

安い時にまとめ買いをし、節約に努めたいもの。
年が明けると寒波が本格化。
吹雪などで買い物がおっくうになる日には、食品庫に眠るこれらの出番だ。

しかし、この価格破壊。
困っているのは、①メーカーなのか?②納入業者(問屋)なのか?
③スーパーなのか?
私にはよく分からない低価格競争である。 


        
       

 


第464号 パリのたい焼き?

2009年11月22日 | 町の話題

息子が「お父さん、珍しいたい焼きを売っていたので買ってきたよ」。
「うーん。どれ、どれ」と紙袋から取り出して驚いた。

 

一枚毎にビニール袋入りで、しかも三色のカラフルさ。
そして、ふわっとしていて柔らかい。
「もちもちたい焼き」という名称で新食感がウリとか。
どうやら皮には餅米を使用しているようだ。

ピンク=イチゴミルク
白=小倉あん
黄=レモンヨーグルト

3時ごろ口にしたら、6時になってもまだきつい。
腹持ちがかなりよさそうだ。

伝統あるたい焼きがおしゃれに変身。
国際商品になりそうだ。
「泳げたい焼き君」が見たら、腰を抜かすに違いない。 

 

      ※ 日ハムパレードに、11万人の観衆!

今日、11時から札幌で行われたパレードはお天気に恵まれ大盛況。
テレビから二人揃って感謝の言葉をおくった。
「有難う、ファイターズ!」。
お歳暮も「日ハムだ!」。

 

 


                 



第462号 ファイターズのティシュ

2009年11月17日 | 町の話題

今年のプロ野球でリーグ優勝を果たした「北海道日本ハムファイターズ」。
この業績を称え、地元製紙会社が「ボックスティシュペーパー」を作り、スーパーで売り始めた。

ファイターズの大ファンであるミケは早速10箱買い求めてきた。
値段は200組(400枚)で200円とお得。

 

22日には札幌市内をパレード。
たくさんの紙吹雪が舞う事だろう。

来年こそ日本一を目指して、頑張って欲しいものだ。

      
               


 


第440号 真っ赤なナナカマドの実

2009年09月25日 | 町の話題

スーパーの果物売り場には、夏の果物が片隅に移動され、目立つ場所に「梨、栗、ぶどう」の顔が見え、秋本番の到来を感じるようになった。

函館は秋晴れの空が多く、湿度も低くなって一番過ごしやすい昨今に。
家近くの街路樹・ナナカマドが真っ赤な実をたくさんつけて、青空と美しいコントラストを見せてくれている 。
歩道には、早くも熟した実が落ち、これはこれで黒いアスファルトとのコントラストが美しい。

 

僅か10メートルほどより離れていないのに、こちらの葉色は早くもこんなに薄くなっている。

 

どちらも、落とす実は半分ほどにして、冬期間は小鳥たちのレストランとしてオープンして欲しいもの。

枝に積もった雪、実の赤、青空とのコントラストも楽しみ。
北海道には間もなく、冬が駆け足でやってくる。
「ちゃっぷい!ちゃっぷい!」。


               


第426号 「てくてく函館元町+緑の島」に参加

2009年08月11日 | 町の話題

家族、お一人、友人同士で函館に来られた方。
そんな方々のために、観光ボランティアガイド「愛」、「一會の会」がご案内しています。 
ガイド料は無料で予約不要。ただし、有料施設は参加者の負担です。
コースは期間により次の二つ。

1.元町散策コース(これからの日程は下記のとおり)
約1.2km 所要時間1時間30分から2時間程度
 8月21日~10月25日 (金・土・日・祝のみ)10:00~
 12月4日~25日(金・土・日・祝日のみ)15:00~

2.開港150周年記念散策コース 約2km
 元町散策コース+緑の島入り口まで
 8月8日~16日(毎日) 10:00~所要時間2時間程度

※ 問合せ先
(社団)函館国際観光コンベンション協会
http://www.hakodate-kankou.com/
0138-27-3535
土日祝日は元町観光案内所へ
0138ー27-3333

私は歴史などの勉強のために、10日「2コース」に参加しました。
9時50分に元町公園内にある元町観光案内所前に集合。
参加者は11名。こじんまりとして説明がよく聞こえる人数。
先ず、ガイドさんのご挨拶とコース説明があって、いよいよ出発。 

 

最初は、旧北海道庁渡島(おしま)支庁庁舎。
明治42年の木造建築で広さは約964㎡。
巨大なエンタシス柱がダイナミックで美しい。
現在は1階が観光案内所、2階が写真歴史館で、ペリー来航時に撮影された日本一古い松前藩士の写真(レプリカ)などが展示。

建物が老朽化し危険となったとき、札幌郊外の北海道開拓の村への移転話もあったが、市民運動で現在地保存となったのは嬉しかった。

 

旧渡島支庁庁舎向かいにあるこの建物は「旧開拓使函館支庁レンガ造書庫」。
明治10年代の建築で瓦葺き2階建。
使われたレンガは、郊外の茂辺地(もへじ)で作られ、明治7年、8年、
9年函館製の刻印が一枚一枚に見える。

 

元町公園から市街地を眺望。
函館の歴史説明があった。
幕末の箱館奉行所はここにあったが、開港にともない防御上の理由から五稜郭へ移転した。

 

旧函館区公会堂へ移動。
明治40年の大火で函館区の三分の一が焼失し、区民が集まる施設も焼け、再建を図った。

そして、明治洋風建築を代表する建物(コロニアル・スタイル)が完成したのは明治43年。
明治天皇のご宿泊所としても使われた。

 

教会通りの八幡坂へ。
障害物がなく真っ直ぐ下に港を望め、また旧青函連絡船・摩周丸も見えることから、テレビCMでお馴染みの坂。
代表的なCMは「チャーミーグリーン」。
赤いチョッキを着た老夫婦がダンスをしながらの場面は美しかった。
坂の名の由来は、幕末にこの坂の上に八幡様が祭られていたからである。

坂を上り切ったところに、北島三郎さんの出身校・函館西高校がある。
次は、函館の顔と呼ばれている「ハリストス正教会」へ。

        

ハリストスとは、ロシア語でキリストを意味する。
教会は、この地に安政6(1859)年に建てられたロシア領事館の付属聖堂として同時に建設されたが、明治40年の大火で焼失。
大正5年にレンガで再建したのが現教会。
ロシア風ビザンチン様式の本堂丸天井に特徴があり、美しい姿を誇っている。。

 

そして隣に位置するのが、日本聖公会函館聖ヨハネ教会。
イギリスの聖公会の牧師が来函して伝道したのに始まる。
大火で二度焼失。
現教会は昭和54年の完成で、教会通りでは一番新しい存在だ。
教育や福祉活動に大きな功績を残した。

        

風見鶏のある元町カトリック教会は、明治8年に初代教会を建設。
明治40年に木造であった聖堂が焼けたため、ゴシック式のレンガ造りの聖堂に変わった。
ところが、大正10年の大火でこの聖堂も焼失。
同年レンガ部分を修復。増築した鐘楼部分だけは鉄筋コンクリートで造った。

完成後、ローマ法王・ベネディクト15世から豪華な祭壇が寄進された。

 

幅20間(約36m)の二十間坂を見て寺院へ。

東本願寺函館別院の境内へ入った。
1710年に近郊の現木古内町 から基坂付近に移ってきた。
1747年、現弥生小学校付近に移り、明治12(1879)年の大火で焼失。
現在地に移転新築したが、これも明治40年の大火で焼失。
再建は、国内最初の鉄筋コンクリート造とし、明治45年に着工、大正4年に完成した。
本堂は間口約33m、奥行約35mと大きなもの。

工事期間中は、「大屋根が、この構造で支えられるのか?」の疑問に応えるるため、梁に芸者を上げ手踊りさせたという。
瓦の美しさは見事である。

 

このように狭い地域に世界の宗教が集まる元町。
この存在は国内はもとより、世界でも珍しい町並みと評価されている。

元町コースの最後の見学施設は、旧イギリス領事館(現・開港記念館)。
安政6(1859)年、初代領事・ホジソンは、現弥生小学校にあった称名寺の一部屋を借りて執務を開始。
元治元(1864)年、ハリストス正教会隣に移ったが、慶応2(1866)年、ロシア病院からの出火で焼失。
旧函館病院敷地へ移ったが、明治12年の大火でまたもや焼失。

現在地へ移ったものの、明治40年の大火でまたまた焼失。
現在の建物は明治42年に完成したもの。

昭和9年、領事館は閉鎖、市が買い取り、市立病院の看護婦寮やカルテ保管庫として利用された経緯がある。

 

元町散策コースを終え、函館開港150周年記念散策コースがスタート。会場の緑の島へと足を運んだ。

最初はアメリカ合衆国・ペリー提督像。
この領事館向かい、基坂を挟んだ旧市立函館病院の敷地に北を向いて立っている。
制作者は、函館出身でローマ在住の彫刻家・小寺真知子さん。
五稜郭タワーにある土方歳三像も手がけた。
繊細な技法が見る者を唸らせる。

      

中華会館(華僑会館)
基坂を下り、バス通りから左に目をやると見える。
華僑の集会所は、最初同徳堂といったが、明治40年の大火で焼失。
二代目のこの総煉瓦造の建物は、明治43年に完成した。

釘を一本も使わない純中国(清朝)様式としては、日本に現存する唯一の貴重な建物である。
函館から中国への海産物貿易の盛んな頃に、在函華僑が信仰する三国時代(220年~280年)の武将・関帝(商売と学問の神様)を祀る聖所として建設した。

中国から大工・彫刻師・漆工らを招き、煉瓦等の資材も中国から取り寄せ、約3年の工期と巨費を投じた。
内部は朱色の漆塗り、金色の関帝壇を中心として周囲に小部屋を配し、装飾、調度品は壮麗である。

会館は華僑の公儀場所、祭事と交際の場所として使われてきた。
中国領事館が置かれた時もあった。
戦後、日常的にはほとんど使われていないが、例外的に国慶節(10月1日)、関帝祭(5月13日)の祝宴、結婚披露宴、中国からの賓客の歓迎の場として使われている。

 

コースの最終地・緑の島へ到着したのは丁度正午。
予定どおりであった。
ガイドさんからお別れの挨拶。
{楽しかったですよ。有難うございました。」と、参加者の声。
「またのお越しをお待ちしております」。

参加者は緑の島へと消えて行った。

 

感じたこと。

① 何と多い函館の大火。
それでも、くじけず復興へ立ち上がった人々。
強い意志があったればこそだと思いました。

②函館検定を受検するにあたり、歴史テキスト本を多数読破しましたが、ガイドさんの説明に、新たな知識がたくさん吸収されました。
また、機会を見て参加し、郷土函館の歴史・文化を身につけたいと思いました。
気配り、目配りして下さったガイドさん、ご苦労様でした。 


                    

 


第421号 「感謝」と「豆記者交歓会」との再会

2009年08月01日 | 町の話題

先号で「天照大神さま」に、夏らしい天候をお願いしましたところ、神様はこれをきちんと聞いてくださり、アイスが欲しくなる空模様になりました。
神様、本当に有難うございました。

昨日はアイスを求めて、函館牛乳直営の冷菓の名店「あいす118」へ。
夏休みに入り、多くの子供たちが親御さんとともに来店。
賑わいをみせていました。 

  

そこの芝生に立つパラソルの中に、どこかで見たグループの顔がありました。
30日(木)午後、NHK函館放送局・ハートプラザで一緒にラジオ番組を見学していた函館と愛知県豊川市の豆記者交歓会の豆記者たちでした。
「こんにちは!おじさんのこと知っている?きのうNHKで一緒だったんだけどさ」。
「あー、一番前にいたおじさんだ!」

 

そこから会話が進みました。
豊川の豆記者は総勢10名。二泊三日の日程でホームステイしながら函館の歴史や名所旧跡を見学勉強。

「どんなところへ行ったの?」
「市役所、旧公会堂や西部地区、裁判所、箱館奉行所の復元工事現場・・・」
「楽しかった?」。
「とっても楽しかったです」。
子供たちの目は、光り輝いていました。

 

塾通いに追われる小学生活も多々ありますが、こうして見聞を広める生活もとても大事。
今回案内役になった函館の豆記者たちは、近々根室市を訪ね北方領土の取材をする予定とか。
スケールの大きい夏休み生活に驚きと拍手。

別れ際、子供たちから立派な名刺をいただきました。
その渡し方が礼儀正しく感激しました。

「豊川市からの皆さん、遠いところからお疲れ様でした。帰ってからも函館のことを勉強して函館ファンになってくださいね」。
「函館の皆さん、ご案内ご苦労様でした」。

「どちらも、これからも頑張って、素晴らしい記者になりますように!願っていますよ」。


                      

 


第420号 天照大神様へ

2009年07月30日 | 町の話題

天照大神様、おはようございます。
私は5年前の秋に天の岩戸へお参りに行った者です。
実はお願いがございます。

現在の日本は過去に例を見ないほど天地異変に遭遇しております。
長雨、豪雨、竜巻に加え、大きな日照不足でパニック状態です。
これらが原因で、貴重な人命や財産をうしない、さらに農作物にも深刻な被害が発生しております。

そこで、大神さまにお願いなのです。
一刻も早く、岩戸から出られてこの窮状を救って頂きたいのです。

お望みであれば、「スマップ、ヨンさま、北島三郎」が岩戸の前にお迎えに。
ほかに、和洋スイーツ、夕張メロン、イカソーメンなども宅急便でお届け可能です。
どうぞ、ご検討のうえご理解あふれるお返事をお待ちしております。  

 

                    

 

 


第416号 せっかく訪れていただいた観光客の皆様へ

2009年07月19日 | 町の話題

昨日は三連休の初日。
午後から、西部地区のホテルで開催された市内の大学などで構成する連合体の講義に参加。
タイトルは「江戸幕府と蝦夷地・箱館」でした。

3時半に講義は終わり、外は小雨。
家までは市電+バスを乗り継いで帰宅に。

JR函館駅前からは、多くの観光客らしき人々が乗車。
女学生グループ、家族連れなど。さかんに観光パンフを眺めお話を。
お子さんはぐったりで、お父さんに抱かれ爆睡。
湯川でかなりの方が下車。
この時には雨は本降りに。
「どうぞ、温泉での楽しい夜のひとときをお楽しみください」。

そして今日も残念ながら朝から強い雨。
これでは、夜景も無理。せっかく訪れてくださったのにー。

でも、明日の予報は「曇りのち晴れ」。
的中して函館の楽しい思い出を胸に刻んで帰っていただきたいものです。


                     


第406号 さようなら~どっくのクレーン!

2009年06月21日 | 町の話題

保存か、売却解体かで大いにもめた函館どっくの2基の「ゴライアスクレーン(門型クレーン)」 。
現所有者が函館市全額出資の「函館市土地開発公社」とあって、保存団体と市との間で激しい攻防があった。
しかし、老朽化がかなり進行し、危険な倒壊状態。
保存となれば9億はかかるという市の試算に寄り切られ、解体されることになった。

 

このクレーンは、巨大タンカー(30万トンクラス)を建造する目的のため、1975年に造られ、高さ70m、幅110mという巨大なもの。
しかし、皮肉にも完成直後に造船不況に見舞われ稼働率は著しく低下。
加えて、南西沖地震(奥尻島地震)の被害を受け稼動不能に。

 

こんな経過があって、いよいよ今日の14時に解体着手。
巨大海上起重船でまず右側の2号機を吊り上げて構内へ運び、数日かけて解体。
その後、1号機も同様解体され、鉄くずとして売却される。

函館の最大の産業である「造船」の象徴として、また、函館の風景に、印象にと大きなインパクトを与えてくれたクレーン。
いよいよお別れとなると寂しさが込み上げてくる。
せめて、開港150周年記念式典までは残しておいて欲しかったのだが・・・。

栄光目指して建造されたものの不幸な運命を辿ったこの巨人。
「さようなら、さようなら。ミスターはこだてクレーン殿」。
「再生されたら、またきっとどこかで会えるさ!」。


                     

 

 


第403号 空港は花、花畑牧場でいっぱい

2009年06月13日 | 町の話題

函館は今年、開港150周年を迎えます。
実行委員会では、数々の行事、装飾を検討、実行中。
函館空港の到着ロビーにも「ウエルカムフラワー」が豪華に飾られてお客さんを待っています。

 

2階のおみやげ売り場を覗いたら「花畑牧場」の製品がずらり。
現在は制限なしで「何個でもどうぞ!」らしい。
このての生キャラメルは、進出企業が多くなったからでしょうか。

 


 

見慣れない製品も並んでいて新製品?
空港は「花」と「花畑牧場製品」であふれていました。

 


                      
                     
        


第401号 箱館奉行所の復元工事公開

2009年06月06日 | 町の話題

蝦夷地の民が「おかみ」と呼んでいた江戸・徳川幕府の直轄出先機関「箱館奉行所」の復元工事は五稜郭で順調に進行中です。
その工事現場が今日公開されました。

天候は生憎の雨。
10時からの公開ということで、その時刻に合わせて郭内へ入りましたが、すでに長蛇の列。最後尾は、二の橋を渡ったふじ棚の入り口。
牛のような歩みが続き30分かかってようやく入場。

抽選会があって、奉行所の工事部材が当たるサービスぶり。
私はハズレで瓦の下に敷く「柾」でした。
(左中段に見える白壁は兵糧庫。右の石垣は「見隠塁」という防戦施設。)

 

10時半現在の入場者数は540名。
帰りにもやはりふじ棚まで並んでいたから人気の高さが分かるというもの。

これは、「玄関」の屋根部分。
玄関の広さは畳12枚ほど。
通常はここから出入りしていました。

 

こちらは「内玄関」の屋根。
内玄関の広さは畳7枚半ほど。
身分の高い方の専用出入り口でした。
使われた実績はないとも伝わっていますが。

 

函館山の麓・元町にあった旧奉行所から引越ししたお役人は、立派さに驚いたに違いないことでしょう。
でも、寒さだけは克服できず、相変わらずの手あぶり(火鉢)だけだったようです。

来年の6月下旬の完成目指して、職人さんたちの努力が続きます。
私たちは一日も早く完成姿が披露されるのを待ち望んでいます。
関係者の皆様、有難うございました。


                     

 

 


第399号 函館で龍馬記念館が開設準備

2009年06月02日 | 町の話題

昨日の午後、西部地区をぶらりぶらり歩いていたら、「北海道坂本龍馬記念館」の文字が飛び込んできた。
場所は十字街市電交差点の一等地。本当によい場所だ。
7月から工事着工とあった。 
そういえば、今年始め地元紙にこのような記事があったのを思い出した。

館内に蛍光灯が点いていたので、ドアを開け内部へ入ってみた。
内装工事前だからガランと。
応対して下さった方は、「NPO法人 北海道坂本龍馬記念館実行委員会 理事長・三輪貞治(みわていじ)氏」。
「開館にあたっては、なんと言っても地元の方のご協力が必要なんですよ。よろしくお願いします」と要請された。

 

「何故、北海道に。そして函館に?」という疑問を抱いた。
頂いた資料を熟読してその理由が窺えた。

①龍馬は北海道を新天地として位置づけ、開拓に並々ならぬ情熱を持っていた。

②龍馬と共に亀山社中や海援隊で活躍し、後に龍馬の養子となった坂本直(なお)や、本家を継いだ坂本直寛など一族が、龍馬の意志を継いで本道に渡った。

③養子の直は、幼名を高松太郎。母は龍馬の長姉・千鶴。
のちに小野淳輔と改名。
明治元年、五稜郭に置かれた箱館裁判所(行政府)に勤務。権判事・外国方主任となり、明治2年の箱館戦争では新政府軍として参戦。

④明治4年、小野は朝廷の命により、龍馬の跡目相続をすることになった。

⑤以上のような人的つながりがあったこと。
もうひとつの大きな理由は、幕末の箱館はペリー来航や戊辰戦争などの舞台となり、歴史を持つ地だったことが挙げられる。

 

竣工・開館は来年1月の予定と聞いた。
龍馬本人の史料、没後一族が本道開拓に果たした役割や芸術活動の資料を見れるのも楽しみ。

これにより西部地区の集客力が増えるととに、新しい客層(龍馬ファン)の入り込みが期待でき嬉しくなる施設である。

記念館では、会員やボランティアを募集中。
詳しいことはこちらのHPからどうぞ。  http://www.ryoma1115.com/


                     


        

 


第395号 66円でこんなものが買えました。

2009年05月26日 | 町の話題

デパートや大型食品スーパーの売り上げが軒並み前年割れ。
それに火をつけるような低価格競争。
ついに「66円セール」が始まって、4,000円分のまとめ買いをしました。 

 

息子が食事をしないとき、「爺、婆」はこれに野菜をたっぷり添え、海草の味噌汁て充分。
お買い得なセールでした。

でも、この低価格競争はまだまだ続きます。
「50円セール」のチラシが昨日の夕刊に入ってきました。
メーカーはさぞかし悲鳴をあげているのでは?。
これらの方々の生活保障は誰が行うのか?
消費者にとっては、とても嬉しい低価格ではあるのですが・・・。

(チラシ=ちらっと見る紙がその由来とか。でも、生活防衛のためにスーパーのは別格。かなりしつこく見ています。)


 
                      


第392号 土方歳三の撮影師家は今

2009年05月20日 | 町の話題

先号で、新撰組副長「土方歳三コンテスト」を掲載しました。
彼が小姓の市村鉄之助に、日野・佐藤彦五郎宅へ届けるよう命じた品々の中には写真もありました。

それは、皆さんが現在ご覧になっておられる洋装のかっこいい歳三さんの姿です。
彼は横浜で、アメリカ南北戦争で使われた中古衣類の中からお気に入りを見つけ、箱館へ持ち込みました。
この優雅な姿を撮影したのは、三重県熊野市出身の写真師・田本研造氏。
1832(天保3)年に生まれ、1912(大正元)年に函館で没しました。


                 

幕末に、開港間もない箱館に長崎奉行所から赴任。
箱館駐在ロシア領事館員から写真技術を習得しました。

土方の写真は、彼の名声を後世まで残すものとなり、開拓使(現在の北海道開発局)から撮影記録保存の依頼もあって、足の不自由さを克服しながら、作品を東京へ送りました。

その田本研造氏の末裔の方がやっておられた「タモト写真材料店」が閉店して異業種の居酒屋へ転換。
その理由はよく分かりませんが、推測するとやはり「デジカメ」の発達普及ではないかと。
ひまな時間にお店を訪ね、土方とご先祖様の撮影秘話などをお聞きしようかな?と考えております。

このお店の場所は、なんと土方死亡地のひとつに挙げられている「英国橋(異国)」のすぐそば、現在の十字街交番近く。
何かの因縁なのかな?と深く考えさせられます。


                    


 


第382号 ギャフン!この時期に・・・みぞれ降るなんて?

2009年04月26日 | 町の話題

昨夜から、なんとなく冷や冷や。
やがて、雨が降り出し、午後3時ごろにはご覧のとおり「みぞれ」に変身。 

 

愛車の「ゴールデンベンツ」にも遠慮なく湿った雪が。
折角色づき始めた春の町並みも、墨絵の世界に逆戻り。
市民は我慢ができるものの、観光の皆様にはお詫びのしようがなくて・・・。
「ご免なさい」の言葉よりありません。

私が中学生の頃、入学式当日にひざまで深い雪が降ったことがあります。
その年は夏が異常気象と呼ばれた高温が続きました。
「なにか、心配だなぁー」。

 

気象庁さん、的確な長期予報をお願いしますよー。