梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

死刑廃止論議

2010-08-28 08:27:44 | 日記
死刑執行の部屋が公開された、単独房と死刑囚の手記も出された、今までの秘密主義に比べて死刑が具体的に見えた感が有る、死刑が犯罪の抑制と言う事ならば今までより効果は有るだろうが実際死刑に該当する様な犯罪を起こす者はその時点ではそんなことは考えて居ないだろうと思う、だとしたら犯罪抑制よりやはり被害者の精神的ケアの面が強くなるだろう、何れにしても犯罪は割に合う訳が無い、まあ政治犯罪と経済犯罪は割に合う様だが、犯罪と合法が経済人、政治家と一般人は常識に差があるからな。それはそれとして死刑廃止論者は残された被害者家族のケアをどう考えて居るだろうか、殺せばいいと言う事ではないだろうが家族を理不尽に殺した犯人がそのまま生き続ける事に納得できないのは心情として十分理解できる。国際的に死刑廃止に傾いているのも国連が勧告を出したのも知っている、しかしその殆どがいわゆるWASPだ、白人でキリスト教、しかし世界はいろんな文化が有る、そこにはその文化の文化基準が有る、彼らは牛と豚は食う為に育てたのだからクジラやイルカとは違うと言う。しかし殺される牛や豚が自分は食われる為に生かされて居たのだから喜んで殺されよう、と達観しているとは思えない、論点がずれて居るのだ。第一白人は楽しむために野生動物を殺して来た、元々ゲームと言うのは狩りの獲物の事だ、仏教を根源とした東洋思想では生は繋がって育むものと言う思想がある、植物も含め命を戴いて紡いで行くと言う観念で感謝をする事が習わしである、野生動物は生きる為の餌以外に楽しみで殺すと言う事は無い、テリトリーに侵入した相手に対しても追い出せば終わりである、人間だけが自分の為だけに、或いは無意味に生命を奪う、これを罰するのは人間が手に入れた文明と言う物の暴走を止める手段として止むを得ないだろうと思う、死刑の是非は(白人)国際世論に迎合する必要はないと思う、白人達は家族を殺されても寛大な心で許すと言うならそれで良いだろうが日本人はそれほど寛大になれないと言う事だ、そしてそれは人間全体に普遍的に有るべき姿だと言うには文化が違いすぎる、アメリカだけかも知れないが終戦間際の民間人を狙った爆撃、一般市民を殺戮する為の艦砲射撃、そして原爆、これ等は戦争では無くジェノサイドだ、死刑は人間の尊厳に反すると言うならあの殺戮は何だった、今の犯罪は確かに解らない事が多すぎて死刑が効果的かどうか解らないが通り魔的に被害に会った者達をどうケアすべきか、その為には未だ必要な気がする。