梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

児童虐待と虐め

2010-08-24 09:48:18 | 日記
私は子供が好きだ、電車で見てもつい手を振ったりしてしまう、公園で祭りで寄って来る子供は本当に可愛い、自分の子供だったらもっと可愛いだろうし全霊を持って守ってあげたいと思うのが常識だと思っていた、しかし最近は「児童虐待」と言う事件が頻々と起きる、「躾だ」と言うのが殆どの言い訳だ、躾は確かに大切だと思うが次元が違う、理解する様に話す、未だ幼児は理解でき無い時期も有る、それを根気よく教えるのは親の仕事だ、確かに難しく嫌になる事も多い、しかし誰もがそうして来た、何千年もだ、傷が付くほど暴力を振るう、食事を与えない、大抵の場合はどちらかの親が違う事が多い、だから自分でも此れは拙いとは思っているのだろう、廻りには大抵隠している、子供が最後に逃げ込むのは親のはずだ、それが他人に逃げて行かないとならないのは本当に悲しい、日本には任侠と言うジャンルが有る、アウトローだが彼らに人気があるのはその生き方だ、(実際に殆ど居ないが)彼らがヒーローなのは「弱気を助け強気をくじく」と言うところだろうと思う、しかし児童虐待はその逆だ、子供は大人に対して絶対的に弱い立場だ、その立場で行う行為はもう一方で頻発している「虐め」の構造に似ている、虐めは弱いとされた者に対して多人数で行われる所が更に陰湿だが、この2つには何処かに共通する物がある様な気がする、いつの間にか日本から「卑怯」と言う言葉がなくなった、勝てば良い、ばれなければ良い、溺れた犬には石をぶつけろと言う、他の動物と違い此れだけの文化を築いてきたのが人間だ、「卑怯」という言葉の持つ重要な意味が弱肉強食の獣と違う社会性を維持して来たと言っても過言ではないと思う、しかし、今我々は知恵と道具を手にした獣に向かいつつある様に見える、獣でも生まれてから自立できるまでは親は命がけで子供を守る、それすらしなくなった最低の生き物集団は如何したら人間に戻る事が出来るのか、卑怯者と言う事は学校に行ってから教わる物ではない、親から子に生きる術と同じ様に痛みの様に教えなくては成らない、その親が行う行為だとするとやはり日本人は滅びに向かっているのかもしれない