梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

なぜこうも簡単に

2010-08-20 09:13:28 | 日記
昨日のニュースで10歳の女の子が自殺したらしいと言う放送が有った、最近子供の自殺が多い、虐めからの自殺が最も多い様だがなぜこんなに簡単に死を選んでしまうのだろうか、生まれた事は自分の命に責任を持つ義務がある、それは法律ではないが、哲学でもないし宗教でもない、確かに宗教的に或いは哲学的に聞こえる部分があるが本来生命を持つ物の本能の筈だ、それが壊れて来ている様な気がする、自らの命を奪う事も殺人である事に変わりは無い、当然殺人も増えている、此れはごく普通の大人まで突然行う(彼らを見ると犯すと言うには相応しくない様に見える)人間も自然界の動物の一種である、しかし自然を破壊し勢力を増やしすぎた、この結果自然界本来の本能や種の保存性が失われた様に思える、穿った見方をすれば此れも自然淘汰の現われかもしれないが何とか人間自らの知恵で避けることは出来ないのだろうか。自然界の動物はライオンでも満腹の時は手の届く範囲にウサギが居ても襲わない、草食動物でも満腹になれば捕食はしない、確かにリスの様な小動物は厳冬に備えて木の実等を溜め込む事はあるが此れは落ちている物だけで木を裸にするような事は無い、人間は一生掛かっても消費できない量を溜め込んでも更に溜め込む、同じ人間の最後の食料までも食い切れっこないのに溜め込む、もう一つ種を必要以上に増やし続ける原因になっているのは繁殖期の消滅だ、あらゆる動植物で通年で繁殖をするのは人間だけだ、この無秩序の繁殖が結果として「生まれた生命維持の重要性」を消滅させてしまったのではないか、未だ日本が貧しい頃、特に貧しい農民や町民はその栄養条件の悪さ、医学の未発達で生存率は今より著しく低く、更に乳幼児の死亡率の高かった、その為に生き続ける事は重要だった筈だ、「こんな苦しい生活を続けるなら」と自殺する様な事は皆無に近かった、でなければ東北大飢饉の時にあれだけ多くの餓死者は出していない、キリスト教も仏教も命を奪うことは自殺も含めて禁忌である、日本の庶民は特別この事を誰かから教わる事も無く心に付けて来た、此れを付けていない人間は「鬼畜生だ」と言う意識があり、畜生道に落ちると死後も地獄に落ちると言う感覚が有ったが一方には「死ねば全て仏」と言う教えもあった、今の子供達に生命の尊さを理解して貰うのは如何すればいいのだろうか?ゲームの影響や漫画の影響を言われる事も有る、確かに少なからずの影響は有るだろう、しかしもっと根本的な何かがある様な気がする、この部分は教師に依存する以前に親から子に伝えなければいけないと思う、人間としてやってはいけない事は理屈以前に「痛み」の様に教え込まなければ成らないのではないか、アメリカ的自由思想は煎じ詰めると弱肉強食で「強くなければ駄目だ」と言うことは最終的に「人の物を取っては駄目だ」と言うことの説明があやふやになる、理屈ではなく心の痛みとして命を奪ってはいけないと言う事を親の責任で伝えなければなるまい、動物には学校なぞ無いのだ、本質的な部分は親が身を持って伝えるべきだと思う