100歳を超えた人の確認が取れないと言う事件が起きた、きっかけの事件は30年も前から死んでいたらしい、その後出て来たものも25年前から所在不明だと言う、大阪では2人の幼児を残して家を空け死なせてしまった、人間社会では家族単位でその生命を紡いできた、動物的な表現をすると「個体として餌の取れない期間と餌を取れなくなった後の期間」は現役が支えるのが本能的なルールだった筈だ、家族と言う単位が崩れたのかもしれない、親が出て行った子供の所在が解らないのは有ったが此れは「探しても」と言う事で子供が親の所在が解らない、と言うこととは違う、解らない事に何も感じないと言う事とは真逆と言えるだろう、ラットを狭い檻に多数入れると暫くして殺し合いが始まり、ある個体数になると今度は社会生活の様な行動を取るらしい、食事は充分に与えても必ず同じ様な行動となり大体同じ個体数で落ち着くと言う、動物は有る一定のエリアで生活出来る個体数には限度があるのではないだろうか、そして此れは人間にも言えるのではないか、原初人間も自然界に有る物を必要なだけとって暮していた、狩猟を主にする群れと果実を主にする群れと両方する群れが有ってもその個体数は自然界が養える個体数を超えていかなかった筈だが人間は道具を手に入れて個体数を急激に増やしてきた、食料は農耕やその移動範囲拡大でクリア出来たが既に自然界の許容範囲を超えてしまったのではないか、根源的な部分に自然界がブレーキを掛けてきたのではないだろうか、育児放棄、親の放棄、無差別殺人、自殺増加、SEXレス、神の警告と言った物ではなく自然界の掟と言うか自浄の為のプログラムスイッチが入ってしまったのかもしれないと思ってしまう、まだ自分達で何とかなるなら何とかしたいものである