梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

集中豪雨

2010-08-09 09:02:31 | 日記
今年は去年に続いて豪雨の被害が多い、最近は「ゲリラ豪雨」と言う言い方が一般的のようだが前も結構あって「集中豪雨」と表現されていた、私も子供の頃猛烈な豪雨にあった事がある、それも変わった状況で遭遇した、伊勢湾台風の年だったと思うので昭和32年か、この年私達は小学校の林間学校で近くの山頂にある合宿施設に居た、標高は530m程度だが大井川と遠州灘をはさんで富士山が綺麗に見える絶好の場所だった、合宿所は頂上の森から少し海側に下がった所に有り、縁側から件の景色が一望できる様に立っている平屋だった。合宿所に着いたのは午前中で先生と父兄が数人着いて来ていた、昼食を飯盒炊飯ですませ3時過ぎになったら雲行きが怪しくなってきた、合宿所に非難するとまもなく山は雲の中に覆われて夜の様な闇に包まれたと同時に猛烈な風と雨が始まる、この山は国有林が有って合宿所の直ぐ上は樹齢が数百年の広葉樹林だが全く見えない、海側の雨戸を全て立てた直後に停電した、夜キャンプファイヤーを予定していたので幾つかのカーバイトランプが有ったので明かりは確保出来たが雨風は更に激しさを増し雨戸も外れるのではないかと思う音である、山側に小さな窓があったがそこから雷光がひっきりなしに見える、友人と顔をくっ付けて覗いていたら国有林の大きな木に次々と雷が落ちる、それも雲の中なので殆ど直接落雷する、雲の暗闇で殆ど見えない中で突然光が走り幹が裂けて崩れ落ちるのだが殆どシルエットで一瞬だったので崩れ落ちるところは見えていなかったのかも知れない、嵐は2時間くらいだったか、あっと言う間に雲が切れて眼下に大井川が見えて来たが来た時の様相とは大きく違い川一杯に茶色の水が流れている、しかし此方は「凄いな」と言った程度で滞りなくキャンプファイヤーをこなし、父兄も含めて歌を歌ったりして過ごし就寝したのだが、翌日朝早く私の父親が合宿所を訪れた、村が集中豪雨の直撃を受けて其のまま下山すると村に降りられなくなったと言う、記録的な豪雨で3時間余りの時間で300mm程度の雨が降ったらしい、村は小さな川沿いに田圃と畑を耕作している農村で普段は淀みでも1mも無い川なのだがこの川が村全体に広がった様な有様だったらしい、この頃の橋は木製でその上に砂利を引いた構造で橋桁も木製である、上流ほど川幅が狭いので上の橋が流出し始め、それが次の橋に引っ掛かって水をせき止めるので耐え切れなくなって崩壊すると言う事が連続したらしい、村道は蛇行する川を縫うように作られているので見事にずたずたになってしまった、床上浸水の家も多く山の崩壊も多かったが此れは畑や田圃を埋めただけで家屋には被害は無かった、父兄と先生が地図を検討し川の左右に分かれて班を組み直して大きく迂回しながら無事帰宅した、此れが確か夏休み中の8月前半だったが、次の9月に伊勢湾台風が我村を通過する、この時の我が家の西側に風除けに植えてあった杉の大木が風に負けて仕舞い我が家の屋根を直撃する事になった、何時頃か覚えていないがいきなり顔に泥の塊が落ちて来て飛び起きた、杉の木が家の壁に倒れ掛かって天井の無いせいで壁土が寝床に降りかかったのである、父が子供と母に隣の公民館に逃げる様に指示をしたので母に手を取られながら逃げたのだが後で母から「あんたはあんな時に下駄を探して居て」と言われたがどうやら自分ははだしでなく履く物を探して急かす母親をやきもきさせたらしい、が本人の記憶にはなく、逃げながら振り返ったら家の上に斜めに寄り掛かった杉の木が強風で上下左右に振られその度に家がきしんでいたのと父が何かをする為に蝋燭をつけたのでその光が揺れていた光景だった、後で聞いたら父がやっていたのは母が裁縫で預かっていた着物や生地を濡らしては大変だと急いで移動していたらしい、あの頃は毎年台風が上陸してまるで風物詩見ないになっていたが今は少なくなったな、