梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

西瓜

2010-08-26 09:52:54 | 日記
昨日久しぶりに西瓜を食べた、カットフルーツに入った程度の物は食べた事は有るのだが、漫画や挿絵の様な櫛型に切った奴を食べたのは此処何年かどころか女房と思い返しても10年以上は食べていない、お袋さんが生きている頃は時々買って来たのだが亡くなった後は自分達でかった記憶が余り無い、子供達は余り好きでなかったかな?と女房に聞いたらそれどころか「一度1人で1個食べてみたいと言われて1人に1個づつかった事が有ったから嫌いじゃなかった」と言う、この事は私は憶えていないのだが会社を始めた頃の社員で同じ様な事を行っていたのを思い出した、「漫画で見たので父親に西瓜を果物の様に皮を向いて丸ごと食べたいと言ったら誕生日にやってくれたけどとても食べ難かった、仕方ないので裸になって風呂場で食べたけどとても食べ切れ無かった」と言っていたのを思い出した。子供の頃は庭の畑で胡瓜と南瓜の隅に西瓜を植えたが上手く出来なかったのは何故だろう、この間新聞で何処かで捨てた西瓜の種から勝手に伸びてきて結実したと言う記事があったのに、その分植わっていたのはまくわ瓜だった、今まくわ瓜その物は殆ど見ない、プリンスメロンがその系統だろうがあの形の物が出ている事がある、子供のおやつは大抵このまくわ瓜とトマト、胡瓜だった、笊に入れて沢の中に浮かべて置いて学校から戻ると此れを食べてから遊びに出かけたり、時には食べながら出かけた、大抵川に泳ぎに行くのだが村の川のあちこちには冷泉が湧いていて水温が低い、此処で冷やしておいて泳ぎ疲れる食べるのである、村で西瓜を作っている家は無く西瓜は子供の憧れのおやつだった、しかし東京に出て来て暫くすると夏の冷たい物はビールに取って代わりやはり余り西瓜を食べる機会は無かった気がする、昭和40年代八百屋で売っているのは切ってあってもせいぜい半分までで大抵は丸のままだったので独り者が買って来ても結局食べきれず、冷蔵庫も小さかったので入らなかった、その頃友人と2人で真夏に静岡の浜岡海岸にキャンプをした事があった、御前崎から暫く150号を進み途中から海岸に向かうと防砂林が有って小高い土手になっている、その手前に車を置いてテントを張った、国道と防砂林の間は砂地の畑で落花生か玉葱が植えて有るのだが夏場は西瓜が多い、此処で野良仕事をしている人から西瓜を買おうとしたら出荷を終えた種取りを残してあるだけだから適当に持ってゆけと言われて中位の奴を2個貰って来た、しかしが夏の晴れた午後だからとても熱くなっている、友人と砂浜に穴を掘って生めておく事にした、念の為流木を何本か立てて置く、この頃この辺りの水は未だ綺麗で首辺りまで入って行っても足先が見える、友人は山梨出身で東京で初めて海水浴をしたらしいが当時の材木座に行ったらしい、私も一度行ったが余りの水の汚さで2度と行かなかったが友人は水の透明度に驚いていた、胸位の所で足を使って砂を掘ると大きな貝が取れた、夢中で取っていて「そろそろ西瓜でも」と戻ってみたら目印の流木は流されてしまい何処だかまったく分からない、2人で暫く探したが結局諦めてしまった。西瓜を見ると良くこのことを思い出す