いやな事件が又出ている、14歳を筆頭に4人の女子中学生が進学仕立ての12歳の女子生徒を裸にして携帯の写真を撮ったと言う記事だ、その理由は「嫌がるのが面白かったから」と言う物だった、一般の常識人は人が嫌がる事をする事は極力しないだろうと思っていた、少なくとも私はそうだ、人の悲しむところを見るのは嫌だ、それを面白いと言うのは狂気の沙汰だと思う、むかしテレビ番組に「ザ、がまん」と言うのが有った、売れない芸人を熱湯に入れたりして苦しむ様を廻りで面白がると言う番組だった、その時思ったのは「これは学校で虐めの原因になる」と言う事だった、テレビで見て面白かった、自分たちもやろう、となれば被害者が出るのは目に見えてる、その頃からか、人の苦しむ様を見て面白がる風潮が出来たのは、つい最近多摩川河川敷で泳げない同級生が溺れる様子が面白いからと突き落として笑い物にしていたらしい、その結果この生徒は溺死してしまった、溺れることと死ぬ事が繋がって居なかったかもしれないが見て居れば解る、もし承知で放置したのなら人間の永い歴史もなかでもほとんど無い事件だ、有名なネロ皇帝位ではないか、戦争で敵を殺してもその後心の傷に悩まされてると聞く、今の死刑判決に使われる永山事件も殺す事に麻痺をしてきたという事だ、大量殺人も大半はそうだ、しかし今の事件は「面白いから」と言う、ホームレスを殺して歩く事件も「ゲームの様に、面白かった」と言う、恐ろしいのはそれが子供達の犯罪だと言う事だ、我々は何を伝える事が出来なかったのだろうか、そしてどうすればいいのだろうか、笑うと言う事は人間にだけ与えられた高度の感情だ、それがこの様な形で発生するとは思いもしなかった、日本人と言うだけでなく世界的に見ても此れは狂気だ、陰湿ないじめと言う物や今回取り沙汰されている老親の所在が30年知れなくとも何の痛痒も感じない事と同根なんだろうか、いつからか卑怯と言う言語が見当たらなくなって来た、孫の会話を聞いていると違った使い方をされている様だ、「卑怯」と言うのは人間の根源を犯す最悪の評価だ、それは人間として最低だと言う事を我々は知っていた、例えどんな状況になっても卑怯者のそしりは避けたい、その為には自ら命すら投げ打って来たのがプライドだったはずだ、しかし現在は見えない所で人を傷つける事だけを目的に行動する、自分が得になるわけではない、人が悲しむのを見て哄笑するためだけに、理解出来ないと同時にこの国は何処に向かっているのか悲しい気持ちになる