福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

「エイプリルフールでした」、と笑いたい(4)未だ灰色のまま

2008年04月25日 06時01分09秒 | 近況・報告
 3月下旬から肺の陰影の経過観察中である。4月上旬の2回目のCT判断は要経過観察であった。私は気管支鏡とか、CT透視下肺生検などを覚悟していたが、これで一旦は開放された。だから、まだ相変わらず黒でも白でもないグレイゾーンのままであるが、気持の上では若干ながら白の方向に向いたかな?と言ったところである。

 呼吸器科科長は次のCTは5月末頃と言う。私もそれで良いと思うが、私の周辺では些か焦っているようである。家内はすっかり黒と決め込んで看護・介護のために職を変えようとアクションを起こし始めているが、当の私はちょっと早いのでは・・と思っている。 

 私自身の日常は何も変わっていないし変えていないが、身辺はちょうど良い機会だから整理し始めている。まず、蒐集しているガラクタ類、木片、古い電子機器、データ、書籍、書類・文献などを処分し始めた。若干思い出のあるMacのColour classic2も処分した。もともと実用性が殆どないものまでため込む性格なので処分しても実害は生じない。白黒はどうであれ、更に整理し続ける。病院の書棚はかなり隙間が出てきた。
 家の外装がかなり痛んできたのでこの機会にリフォームをすることとした。今工事が進んでいる。

 気にされている方もおられるので、予定を若干速めて連休明けにレントゲンとか検査してみようと思っている。連休前に分かったからと行って次ぎの対応が直ぐ出来るわけでない。それに、白黒が分かっていないだけで、事実はもう決まっているのだから慌ててもしょうがない。何か努力すれば黒が白に変わる、と言うわけでもない。のんびり行こう。淡々と判定を待つだけである。
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「ケーシー高峰」大笑長寿スペシャル寄席にも行ってみた

2008年04月24日 20時53分53秒 | 近況・報告
 先日4/18(金)は池田理代子リサイタルを聴き、翌4/19(土)には「大笑長寿スペシャル寄席」に行ってみた。要するに「ケーシー高峰ショー」である。数日前新聞でたまたま公演を見つけて興味を覚えたからである。この二つのイベントは通常なら無視したであろうが、ここ一月ばかりは何でも見てみたい、聴いてみたいという妙な心理状態になっている。

 ケーシー高峰の名前はテレビドラマ「ベン・ケーシー」、女優高峰三枝子にあやかって付けたのだという。医学部に入学するも中退し芸術学部に転部、卒業後、漫才、司会、ドラマ、映画、舞台などで活躍している。私はラジオで医療漫談を1-2度聴いたことがある。

 開演ギリギリに病院から県民会館に向かった。大勢の方々が同方向に向かっている。これでは当日券などあるのだろうか?いや、如何に名の知れた芸人といえども県民会館なら1.000人以上も入るから満席にならんだろう・・と若干焦って入場してみたら、何と!!!観客は100人も居らず全くガラガラであった。大勢の方々は観桜のために千秋公園に向かっていたのだ。

 17:30開演したが前座の司会が「秋田は人口が減っていると言うことであったがこれほど少ないとは驚きです!!!しかも自殺が日本一だとのことで、深刻ですな・・」と早速笑いのネタにしていた。 
 漫才、歌謡等の前座が6組ほど出た後ケーシー高峰の登場となった。
 19:45主役の登場である。母が妊娠中につわりで夏みかんを食べ過ぎたためこんな顔つきで生まれた、と自己紹介し、30分ほどの独演は放送とかでは絶対に許されない「しもネタ」、「バイアグラ」関連で終始し、高齢の観客の爆笑を誘った。内容は必ずしも正しくはなかったが、別に害があるわけでもない。話の間の取り方など、さすがである。2年ほど前に舌ガンを手術して言葉をほぼ完全に失ったとのことであるが、殆どその後遺症を感じなかった。

 ただ音響が悪くて閉口し、主役の登場前に疲れた。音は高すぎ、低音域が会場に反響し、折角の話芸も早口部分はよく聞き取れなかった。私は持参のBOSEのヘッドフォンを付けて聴いていた。

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医療崩壊(24)救急医療崩壊(4)この季節の一気のみは迷惑

2008年04月23日 06時18分35秒 | 医療、医学
 昨日朝の管理会議で夜間診療担当医から救急車で2件、他2件の急性アルコール中毒者が来院したという報告があった。他の救急病院にも数名が搬送されたとの事であった。今朝8:00am救急カンファの場でも外来処置室に一人の泥酔学生が点滴を受けていた。

 新入生歓迎と花見を兼ねての大学生の一気飲みによるものである。日曜夜の数名は秋田大学のある運動部の連中だった。
 一気飲みは急性アルコ-ル中毒になる恐れが高い危険行為である。重大な症状はしばらく後になってから急激に出てくる。嘔吐、血圧低下、低体温、意識障害、大いびき、呼吸抑制などで、昏睡状態に陥ってからでは手遅れになることもあり、吐物吸引によって死に至るケースもある。

 毎年この時期の夜間診療はとても嫌であった。かつては救急対応ベットが不足して床の上に直接寝かせて対応をしたこともある。幸い大事に至ったケースは記憶にない。こんなバカ学生は徐々に減ってはいるようだが、一気飲みは救急、救急病院、警察等に多大な迷惑をかける反社会的行為である。失禁、嘔吐で床やベットを汚し、時に大騒ぎし、帰宅できるようになるまで数時間は要し、この間目は離せないし、他の患者にも迷惑をかけるなど、われわれにとって迷惑千万である。救急が混雑しているときはとりわけである。

 本日午後、秋大学務課の学生指導担当部に電話を入れた。私が大学担当部署に電話をかけたのはこれで3回目。秋大は初めてである。後に責任担当課長から丁寧なお詫びと救急対応に対し感謝の電話があった。警察や救急関連者からも同様のクレームがあったとのことだった。

 今、救急診療は医療提供側だけでなく患者側の要因によっても岐路に立っている。遊び半分のこんな一気のみによる急性アル中患者、慢性アル中のリピーター患者などが運ばれてくると救急医療に対するモチベーションがどっと低下する。救急医療崩壊の一遠因である。
 私は飲めない。だからと言うわけでないが酒関連の迷惑行為には寛容になれない。結果責任はしっかりと問われるべきである。保険診療対象外にするのも一方法だ。
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池田理代子ソプラノリサイタル(2)歌う喜びに溢れた、楽しいコンサート

2008年04月22日 06時06分00秒 | 音楽談義
4月18日秋田市アトリオンホールにて池田理代子ソプラノリサイタルが行われた。池田氏は例のベルばらの作者である。
共演者は3人で、ピアノ伴奏:黒木直子氏、フルート:中村 忠氏、打楽器:吉田千香氏、何れも名の知られた方らしいが私は初めて聞くお名前である。

演奏曲目は、前半は■ヘンデル:「オンブラ・マイ・フ」■プッチー二:「私の愛しいお父様」■ヴェルディ:「パリを離れて」■H.シュテックメスト:『歌の翼』による幻想曲(P+Fl)■ベッリー二「清らかな女神よ」。
後半は日本の歌で、■絵ぼんぼり■宵待ち草■荒城の月(P+Fl+Percussion)■初恋■平城山■青葉の■踊り子■さくら■故郷■赤とんぼ。

声楽家として池田氏の資質や技術を何と評価するかなど、細やかなことは私には分からないが、声量は豊かで高音部のフォルテではホールに声が響き渡った。ただ、ビブラートが終始過剰と感じたが、技術上の問題というよりは、彼女の声の特性なのかも知れない。また、低中音から高音部に一気に飛び上がる離れた音程でも、ぴたっと決まるのが心地よかった。

前半ではやはり力量、技術不足かな?年のせいかな?と感じた部分もないわけではなかったが、そんなことより私は氏の歌と語りに次第に引き込まれていった。特に後半は見事であった。場合によっては中座するつもりであったが、協演したピアノ、フルート、パーカッションも心地よく、いつもなら微睡みながら聴くのであるが、一睡もせずしっかり最後のアンコールまで楽しんだ。

このコンサートの魅力は歌そのものにも充分あったが、歌うことに喜びがこぼれ落ちるほど溢れていること、自分は歌手として遅いスタートだったからいつまで歌えるか分からないが、今は舞台に立っている幸せ、この曲を歌える一瞬一瞬の喜びを最高に感じている、という雰囲気だった、と思う。だから既に還暦を迎えた方と思えぬような溌剌さと同時に謙虚さも感じ取れ、笑顔も豊かであったし、曲の合間の語りにもついつい引き込まれ、氏と生きている喜びを共有してしまった、ということである。

ベルばらにもこんな氏の性格が表現されていたから大ヒットしたのかもしれない。
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池田理代子ソプラノリサイタル(1) 随分努力家なんだ

2008年04月21日 06時08分51秒 | 音楽談義
4月18日秋田市アトリオンホールにて国際ソロプチミスト秋田のチャリティコンサートとして池田理代子氏のソプラノリサイタルが行われ、聴きに行った。

池田理代子氏はあの少女マンガ「ベルサイユのばら」の作者である。「ベルばら」は長女も読んでいて家にも何冊かあったが、私はあの少女チックな絵が嫌で表紙以外まともに見たことはない。池田理代子の作品を知ったのはネコについて熱く語った著作、「寝てもさめても猫三昧」主婦と生活社2002である。

それが、今はソプラノ歌手に変身し舞台に立っていると聞き、中年になってから学んだとしても果たしてプロとして通用する程までなれるのか?著名人の気まぐれ、遊びの範囲か?もし本当ならすごい、などと興味と疑問、関心を持っていた。

池田理代子氏は1947年大阪生まれ。私より2才しか違わない。東京教育大学在学中にアルバイトの劇画の才能が認められ、後に「ベルサイユのばら」を書く。この作品を書きながらも、美大の関係者から絵を習い精進していたのだそうだ。大作「オルフェウスの窓」連載終了後、当時体調不良もあってその後の人生の過ごし方を考えなおし、子供の頃からいだいていた夢を叶えようと、45才のときに音楽の道に進むと決心したのだと言う。
漫画家の生活は端で考えるよりずっと不健康で大変だったらしい。それに近いことは漫画家吾妻ひでお氏の「うつうつひでお日記」「失踪日記」から知ることが出来る。

もともと音楽は好きで、小学校に上がる前から琴やピアノを習い、合唱もやり、中学生の頃は真剣にプロの音楽家になろうかと思ったこともあり、高校時代はトランペットを吹いていたとのことである。

3年間ほど必死に受験勉強し、47才で東京音楽大学声楽科に入学した。多少の基礎力はあったにせよ、記憶力、体力も衰え始めている中で、恐らく大変な努力を重ねたのであろう、挫折することも留年することもなく卒業した。現在は劇画家・作家に加えてソプラノ歌手として活躍している。

歌手としての足跡としては、例えばオペラでは『フィガロの結婚』で伯爵夫人、コンサートとしては小林研一郎・日本フィルの 『第九』でソプラノソロを勤めたこともあり、国内外で着実に実績を積み重ねつつある。

「本当に好きなこと、やりたいことのためなら、どんな努力も惜しまない」と言うのが彼女モットーらしい。「10年早く音大に入っていればもっとよかった」、「夢を実現することが、最高の幸せ」、「たった一度の人生、年齢なんて関係ない、夢を実現するために努力することに最高の幸せを感じる・・・」、などなどの言葉がトークの中でしんみりと語られたが、聞いていて白々しさなど感じることもなく、発言の重みさえも感じ取れ、感心した。
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