広島/長崎は被爆投下78年目の夏を迎えた。
私はほぼ毎年広島/長崎の平和記念式典中継をラジオで聴いている。業務で聞けない時には録音する。従来まではややマンネリ化した式典と考えていたが、昨年からは新しい気持ちで聴いている。
一昨年までは過去への振り返りの様相、被爆国の被害者意識が大きかったが、昨年からは未来に向けての確個たる意思を示す式典のように感じ取った。
広島平和公園にある記念碑(原爆死没者慰霊碑)は昭和27年(1952)8月6日設立された。中央には原爆死没者名簿を納めた石棺が置かれており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と主語のない言葉が刻まれている。誰の過ちなのか??まさか被爆者が主語ではなかろう。日本の軍部か??投下したアメリカなのか??アメリカなら、トルーマンなら納得できるが、はっきりしない不思議な碑である。
この碑の言葉こそ日本が、世界が核問題を有耶無耶にしてきたことへの象徴のように思えてならない。
独立国に対し力で侵略することは許されない。ただ許されない、というのはあくまでも理念だけのレベルであることが今回のウクライナ侵攻によって示された。国際法違反と騒いでも、誰もプーチンを、ロシアを捌けない。国連ですら捌けないし、止められない。
国連の機構ってどうしてこうなっているのか?大国に拒否権を与えた背景はどうなっているのか??私はまだ勉強不足でこの辺の事情は知らない。おそらく大国がゴネた結果であろう。当時の加盟国はそんな機構を理不尽と思っていても「無いよりはいい」ということで成立したのであろうか。
主義主張は異なっても、たとえ、ロシアと友好関係にあって政治経済的に利害関係があるとしても、一国の主権を力で犯す「ロシアの暴挙に対して明確に反対しない国々がある」のは驚きである。そのような国はロシアの行為をを容認するだけでなく、期が熟せば自らもそのような方法をとる可能性を示している。
こんな国は信用できない。
広島、長崎の惨禍を経て、戦後世界が堅持してきた得体の知れない、実態のない規範がある。
「核兵器を使うことは本質的な過ち」とする、不文律である。越えてはならぬ一線として共有されてきた。しかし、この規範が今プーチン一人のために大きく揺らいでいる。
「なんとなく形作られてきた」規範どころかイメージ的レベルの規範でしかなかった。私はそう思う。核兵器を用いてはならないと明確に示した条文は何処かにあるのだろうか。多分ないだろう。
それでも、今までは、このイメージ的規範が世界を覆っていた。
そんなレベルだったが、その規範を真っ向から否定したのはプーチンであった。
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