福田の雑記帖

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被爆78年目の夏(3)  東京裁判の容認の影を今でも引きずっている 

2023年08月12日 05時00分04秒 | 政治・経済 国際関係
 私は、今問題になっているロシアのウクライナ侵攻、非戦闘員の殺戮、核兵器使用の脅しは、東京裁判で連合軍、とりわけアメリカの戦争犯罪行為を有耶無耶にして来た日本政府の態度に辿り着く、と思う。

 東京裁判(極東国際軍事裁判)は、1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた。戦勝国が敗戦国を一方的に裁くという報復的な裁判であった。
 A級「平和に対する罪」で25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となった。
 おかしなことに、後に日本政府はこの判決を受諾し、「異議を申し立てる立場にない」という見解を示した。
 独立のための政治判断だったと思うが、日本が「人類の歴史的犯罪を容認」したという姿勢で国際的犯罪行為に大きく加担した、と私は思う。

 東京裁判では、
◉原子爆弾の使用、
◉民間人を標的とした無差別爆撃、
◉・・・・・
などの国際法違反行為は一切取り上げられず、証人の偽証罪も問われず、罪刑法定主義や法の遡及もなかった。

 こうした欠陥の多さから、東京裁判は「裁判の名にふさわしくなく、単なる一方的な復讐の儀式であり、全否定すべきだ」との意見も少なくなく、国際法の専門家の間では本裁判に対しては否定的な見方をする者も多い。

 サンフランシスコ平和条約は、1951年9月8日調印、1952年4月28日発効したが、これにより連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復した。

 日本は、東京裁判の判決を受け入れたが、そこに政治的判断が行われた。
 しかしながら、日本は裁判とは別に連合国軍の行為の問題点を明らかにすべき立場は残しておくべきだった。いや、これからでも明らかにすべきである。
 勿論、日本の戦争犯罪についても明らかにされるであろうが、それが歴史学者に課せられた使命である。

 岸田首相や閣僚は、EUやバイデンと同調して外交を盛んに進めている。
 その際、各国に対し「ロシアのウクライナ侵攻は明らかに国際法違反であり・・・」と述べているが、第二次世界大戦の違法行為を容認してきたという歴史を考えれば、政府の対応は説得力を欠く。

 確かに、東京裁判の時代は国際法はまだ十分なものではなかった。
 今はどうなのか?今でも実効力を伴わない骨抜き法でないのか?
 そんな効力の無い法を前面に出して主張して何になる?とは思うが、それしか言いようがないことも事実である。

 日本は東京裁判を受諾し、米国の人類初の非人道的行為を不問にしてきた。このことがロシアのウクライナ侵攻をに結びついた。これが私の感想である。


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