福田の雑記帖

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天皇退位 大嘗祭 秋篠宮発言 10連休(1)

2018年12月08日 16時45分06秒 | 時事問題 社会問題
 2016年8月8日、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように全身全霊をもつて象徴の務めを果たしていくことが、難しく・・・・」と天皇陛下が退位の表明をされた時、私は一日も早くそうされるように、と素直に思つた。あの誠意ある発表を聞き、多くの方々も、ごく自然にそう願つたのではないだろうか。

 皇室、天皇制に関する憲法とか、生前の退位が困難なことは予想されたが、これほど時間がかかるとは正直思わなかった。陛下の退位希望の表明自体が憲法違反か否かから論議が始まったのは驚きであった。

 人は誰でも加齢によつてさまざまな身体的な衰えを生じる。陛下のご高齢による体力の衰えはTV映像などから誰しも認めるところであろうが、政府も側近の宮内庁もなんら退位に関してアクションを起こさずにだんまりをし続けていたことには驚きを禁じ得ない。
 もちろん、生前に退位されるということは歴史的に稀な事態であるし、社会的に影響が大きい事項だから簡単にオープン化できない。止むを得ない点はある。ただ私が集めた情報からは、水面下でも目立った動きはなかった様で私は驚いた。誰しも、天皇の御崩御を願っていた・・としか思えない。

 私たちは加齢を迎え入れるべきである。
 天皇は新憲法の下では神から人間になられた。だから、天皇は我々と同じ高齢者のお一人である。私はご本人が高齢に伴う心身の衰えから限界を感じられたのだから、その意向を受けて簡単に推移するものと楽観視して、推移を見守ってきた。
 しかし、天皇の体調のことはそっちのけに天皇退位は憲法論議、宮内庁と官邸の問題として表面化し、有識者会議を経て1017年12月退位の日がやっと決定した。
 自分の身の処し方として、私たちが軽やかに考えられる問題でなく、陛下の場合は極めて重く考えなければならなかった。それが象微のお立場なのだろうと妙に納得せざるを得ない。私たちが言う、当たり前の自由や選択とは別世界で象微であり続け、退位もなかなか思いのままにいかない・・・。そのことを考えると、息が詰まる。

 生れながら個としての選択がほとんど認められない、逃れることが出来ない不自由さの中におられることが皇室の存在感であり、皇族、天皇として尊敬を集める背景である。もし就任も退位も民意でなされる様な環境であるなら天皇制は存在しえない。
 その中で陛下は皇后とともに新しい時代の開かれた皇室を目指して来られた。

 わたしたちに認められていて、天皇には認められていない「基本的人権の行使」をできるだけ速やかに、と願つてやまない。おふたりの、今後の自由や平穏を願わない人などいるだろうか。

 私は今日までの推移を見ると納得できない点が多々ある。
 ■ ご本人の退位の意向がある、
 ■ 次の天皇になられる皇太子が控えている、
 ■ 多分、国民のほとんどが退位されることが自然と思っている。
 ■・・・・
 この様な状況の中、退位の条件設定にこれほどの時間を取る必要があったのか??疑問である。
 今回の退位問題は今生天皇だけの特例として退位をしていただき、その後時間をかけて法の整備をすればよかった、と思われる。
 入管法改正案は喫緊の課題だから、まず法律を通してから内容を吟味するといった妙な内容であったが、私は生前退位に関してはこの方式をとればよかったのだ、と思っている。
 退位の時期に関しては、その後は退位表明のあとはご希望はどうであったのか明らかにされていない。
 天皇をはじめとして皇室の方々の生の声はもっと伝えられていいと思う。
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