ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

春の嵐

2009年04月03日 | 世界とわたし
、雨、雨、そして突然の雷、日が暮れる直前の青空、そして今は風が台風のように吹き荒れています。

ここ数ヶ月の間に、アメリカ各地で乱射事件が相次いでいます。病院で、学校で、移民局で、たくさんの人達の命が奪われてしまいました。

北朝鮮では、いったい誰の考えなのか分からないけれど、全く意味のない、人騒がせな計画が実行されようとしています。

大量虐殺や疫病の流行は、わたしの知らない所で今も存在しているし、宗教の違いで争いや殺し合いも続いています。

いつも、そういうことがどこかで起こっていて、人々の命が失われていて、普通に生きられていると思い込んでいるわたし達も、交通事故や他の事故や犯罪に巻き込まれて命を落とす可能性が低いとは到底言いきれない世界で暮らしています。

だからといって、そのことに気をとられて、心配し続けながら生きるなんてナンセンスです。
不慮の事故に遭う可能性は、道ばたに咲く草花や木々にもあります。彼らは動かないから確率はある意味少ないかもしれないけれど、動けないから逃げる手段を持ちません。だから彼らは、彼らの姿通り、腰を据えて物事を静観しています。

どんなことが起こりうるのか見当がつかない混沌とした暮らしの中にも、必ず明日はやってきます。
もうこりゃかなりアカン、ヤバい、冗談抜きで死んでしもた方が楽なような気がしたあの日にも、目映いばかりの太陽が空にのぼりました。
ああ、また今日が来てしもた……と、目をしばしばさせながら、お日様を恨めしそうに眺めた日々。

あれだけ無頓着に、平然と、どちらかというとふてぶてしく、空をぐんぐんのぼってくる太陽は、圧倒的に平等に、大地に光を降り注ぎます。
だから、みんな違って、みんないい。

窓の向こうの、ゴォゴォという風の音を聞きながら、家猫の丸くて温かな背中をなでています。
この嵐で、老いた木々が倒されませんように。