天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

延命図る権力亡者菅首相は明治先達が我欲棄て自ら捨石となり国難日露戦争に対処した歴史的教訓を見習うべし

2011-06-20 20:46:44 | 日記
今日の日記は、復興基本法が成立しても退陣を明確にしない菅首相の今後の去就のことです。その成立した復興基本法の報道記事を、本日の岩手日報ネットニュースより、以下に引用・掲載します。
『・・復興基本法が成立  財源で公債活用、復興庁創設・・参院東日本大震災復興特別委員会は20日午後、菅直人首相らが出席して復興基本法案の締めくくり質疑を行った。続く採決で、民主、自民、公明3党などの賛成多数により可決。夕方の参院本会議に上程されて同3党などの賛成多数で可決、成立した。同法は衆院の段階で3党が修正に合意。復興策の企画立案や総合調整だけでなく実施権限も付与した「復興庁」の早期設置と、地域の創意工夫を生かすための復興特区創設を盛り込んだ。復興庁発足までは全閣僚による「復興対策本部」を内閣に設け、財源確保のため復興債を活用することも規定している。』
添付した写真は、参院東日本大震災復興特別委で答弁する菅首相(20日午後)です。退陣表明した菅首相は、東日本大震災の復興に目安が付くまでは、いつまでも続投するつもりです。少なくとも今年中は辞める気はさらさらないでしょう。
菅首相は、19日午後のインターネットを使った国民との対話で、『私にとって二つのキーワードがある。「あきらめない」と「参加民主主義」だ。』と自らの政治信条を披露しています。
だから、菅首相の東日本大震災の復興に対する強い拘り・責任感を斟酌して、菅首相には総理大臣の職は直ちに辞す代わりに、新しく選ばれる総理大臣から、新設される「復興庁」の担当大臣に任命されるような覚え書きを彼に担保してあげて、民主党首脳は菅首相の退陣を強く説得すべきだと、私は今少し妥協した思いを持つようになりました。
でも、今まで国家最高指導者である菅首相は、自ら辞職して格下げの役職(復興庁担当大臣)に付くことに、彼の権力亡者の人柄からすれば、まったく無理な話です。それを承知で、私は彼に御願いしたいです。
さらに言えば、一世紀前の日露戦争での、明治の先達が我欲を捨て自ら捨石となり、国難に対処した歴史的教訓を、私は菅首相に是非見習ってほしいです。
具体的に言えば、当時の日本政府(桂太郎首相・寺内陸軍大臣・山本海軍大臣)は、日露戦争という未曾有の国難に、現地駐在・満州軍総司令官に大山巌(明治の元勲)を、総参謀長に児玉源太郎(大臣経験者)を、大本営の参謀総長に山縣有朋(総理大臣経験者・明治の元勲)を任命しています。これらの人選は、すべて格下げ人事であり、平時では全く考えられないことです。逆に、未曾有の国難という非常時だから、彼らは自ら進んで、その人事を望み、喜んでその人事に従ったのです。
そして、彼らは身命を賭けてその任務に当っています。菅首相も、歴史に残る人物になりたかったら、速やかに過去の明治の先達のような英断(降格人事)を自らに下すべきです。
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1969年高一時TV初鑑賞米映画『十二人の怒れる男』でHフォンダが建築士でも法律的素養を持てると教示

2011-06-19 17:46:57 | 日記
今日の続編日記は、久しぶりにお茶の間鑑賞した映画『十二人の怒れる男』(1957年製作 シドニー・ルメット監督)のことです。
この映画は、今年逝去されたシドニー・ルメット監督の代表作で、私の大好きな洋画映画ベスト5に選んでいる作品です。また、私にとって、1969年高校一年生の時旧NETテレビ(現テレビ朝日)日曜洋画劇場でこの映画を初鑑賞した際、自分の将来の進路(大学の専攻学部)を決めたとても思い出深い映画です。
何故なら、映画でニューヨーク州の殺人事件裁判の陪審員になった建築士8番の(ヘンリー・フォンダ)のとても理知的な行動に私が深く感動して、法学部か建築学部のどちらに進むべきか悩んでいた私に、F・フォンダが「建築士でも法律的素養を持つことが可能」と私に教えれてくれたからです。そして、この映画は、アメリカ民主主義の素晴らしさを描いた名作です。
その主演の裁判陪審員12人を、以下に紹介します。添付した写真は、その審議を行なったしたメンバーです。(注:背中を向けて中央に立っているのが陪審員1番役のマーティン・バルサムで、時計廻りで11人が番号順に着席しています)
・陪審員1番:マーティン・バルサム(罪を裁く会議の司会役で中学校の体育教師でフットボールのコーチ)
・陪審員2番:ジョン・フィードラー(審議で自分の強く主張できない臆病な営業マン)
・陪審員3番:リー・J・コッブ(最後まで有罪を主張し家庭では長男と確執があり親子断絶した宅配会社経営者)
・陪審員4番:E・G・マーシャル(自分の眼鏡鼻跡を見られ裁判証拠の瑕疵を指摘された冷静沈着な性格の株式仲介人)
・陪審員5番:ジャック・クラッグマン(容疑者と同じスラム街で育ち凶器のナイフの使用法を熟知した工場労働者)
・陪審員6番:エドワード・ビンズ(自分では何も判断したことがなく会社の上司の指示に任せて生きてきた塗装工)
・陪審員7番:ジャック・ウォーデン(大リーグの試合に間に合うように会議進行を催促するめんどくさがり屋なセールスマン)
・陪審員8番:ヘンリー・フォンダ(最初の評決の際ただ一人無罪とした確固たる信念を持つ建築士)
・陪審員9番:ジョセフ・スウィニー(次の評決に最初に無罪に転じた裁判所での証人の姿を良く観察していた80歳超えた老人)
・陪審員10番:エド・ベグリー(容疑者に対して偏見を持ちながら証拠瑕疵を指摘され最後は無罪に転じた自動車修理工経営者)
・陪審員11番:ジョージ・ヴォスコヴェク(聡明な性格で審議を進めるユダヤ移民の時計屋)
・陪審員12番:ロバート・ウェバー(言動に左右されやすく自分の意見がなく真剣に討議に参加しない広告代理店宣伝マン)
このように、この12人は当時(1957年)のアメリカ社会の縮図をよく表しています。現在の陪審員制度なら必ず女性も選ばれるはずですが、一人もいません。映画の冒頭裁判法廷シーンで、予備陪審員2名が退席しますがその中にもいませんでした。
題名通り、陪審員はすべて男性です。その職業もさまざま、性格・年齢・信条等も各人皆違います。そして、その様々な人物に扮している俳優たちの素晴らしい好演がなけれれば、この映画は決して名作とはならなかったと、今私は確信しました。
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週刊文春5月26日号写真記事ロシア劇場総裁の言葉「サーカスほどポジティブな芸術はない」は万国共通認識

2011-06-19 09:58:42 | 日記
今日の日記は、サーカスを扱った週刊文春5月26日号の掲載記事『王道サーカスができるまで』のことです。
私は、昨日の日記『映画「地上最大のショウ」最後まで素顔見せないピエロ役のJ・スチュアートはビデオ表紙では大きく飾られる』でサーカスの世界を話題にしました。この投稿をした後、私の手元のある週刊誌「週刊文春」にもそのサーカスを扱った写真記事(4ページ)があったことを、私はふと思い出しました。そして、今その記事を読み直してします。添付した写真は、その写真記事の1ページ目です。
以下に、その写真記事の記述より、一部抜粋し引用・掲載します。
『・・ロシアが誇る「芸術」の舞台裏 王道サーカスができるまで・・幼い頃見たサーカスは夢のような空間だった。空中ブランコにジャグリング、猛獣を操る男女、コミカルな道化師。ロシアで古き佳き芸術を脈々と受け継ぐアーティストたちを訪ねる 撮影 岩根愛 取材・文 海田恭子 
(1P)しなる棒の上で男女アーティストがアクロバティックに舞う演技、その名も「ロシアン・バー」。彼らの跳躍力に猿も拍手したとか。
(4P)・・「サーカスほどポジティブな感情を呼び起こす芸術は他にない」モスクワが誇るニクーリンサーカス劇場のマクシム・ニクーリン総裁はそう自負する。・・全国から生徒が集まるモスクワ国立サーカス学校のバレンティナ・サビナ校長は言う。「サーカスの芸とは、アーティスト一人ひとりが地道な訓練を重ねて磨き上げるもの。」・・ロシアサーカスの人情味あふれる身体表現は、アーティストたちのそんな意志によって日々進化し続けているのかもしれない。』
私が昨日紹介した映画『地上最大のショウ』のこの題名は、アメリカの最大手のサーカス業者「リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス」の宣伝用に用いたキャッチコピーです。 この引用した文春の記事では、ロシアで有名なボリショイサーカスを紹介しています。
今、この記事を再読してみて、国が違っても「サーカスの世界」は、万国共通なものと、私は強く得心しています。ロシアの劇場総裁が語った「サーカスほどポジティブな感情を呼び起こす芸術は他にない」の言葉は、アメリカ映画『地上最大のショウ』の座長チャールトン・ヘストンが座員に鼓舞する為にレッスン時に話したとしても、私は何ら違和感を抱かないからです。
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映画『地上最大のショウ』最後まで素顔見せないピエロ役のJ・スチュアートはビデオ表紙では大きく飾られる

2011-06-18 12:26:09 | 日記
今日の日記は、今とても久しぶりにお茶の間鑑賞している映画『地上最大のショウ』(1952年製作 セシル・B・デミル監督 ベティ・ハットン コーネル・ワイルド チャールトン・ヘストン ジェームズ・スチュアート主演)のことです。
セシル・B・デミル監督の作品『十戒』を観た後、この『地上最大のショウ』も是非観たいと思い、私は今茶の間ビデオ鑑賞しています。添付した写真は、その購入した中古ビデオのパッケージ表紙です。
この映画は、私が中学生の頃NHKテレビ放映で観た作品です。ですから、その初鑑賞から40年以上も歳月が経っています。
でも、その当時受けたとても良かった印象も、今回もそのまま私に残っていました。サーカスという総合的なショウビジネスに生きる人々の自分の職業に対する気概や誇りに、私がとても感動した名作映画です。
また、その初鑑賞の時は何も気が付かなかったのですが、映画の舞台であるサーカスをただ見ている台詞のない観客役で、ボブ・ホープとビング・クロスビー(注:当時の二人の出演した映画シリーズが有名だった)が一緒に仲良く特別出演していました。
公開当時(1952年)の映画での人気度を配慮しているので、映画の出演者クレジット順番は、この添付したビデオパッケージと多少違います。映画では、空中ブランコ乗りの男女花形スター役である二人の俳優(ベティ・ハットン、コーネル・ワイルド)がトップに登場します。サーカスの座長役であるチャールトン・ヘストンは3番目でした。彼はまだ、『十戒』映画出演する前の駆け出しスターだったからです。
そして、最後まで素顔を見せないサーカスのピエロ役で出演していた名優のジェームズ・スチュアートは、その最後に”and”と続いて、彼の名前がタイトルクレジットされていました。
でも、この映画ビデオパッケージの表紙では、皮肉なことに抱き合うチャールトン・ヘストンとベティ・ハットンより、前面にさらに大きく登場しています。そして、このピエロがジェームズ・スチュアートだと判る人は、映画通でもこの映画を実際鑑賞した映画ファンしかいないでしょう。
何故、名優のジェームズ・スチュアートが素顔で映画に登場できないか?それはこの名作映画を鑑賞して、是非皆さんに納得してほしいと、私は思います。さらに、特別出演しているボブ・ホープとビング・クロスビーが、一緒にポップコーンを楽しいそうに食べるシーンを、注意してチェックして下さい。
この映画は、重大なトラブルにも負けず直ぐに立ち上がって公演するサーカスに携わる人々の思いやりに感動し、その楽しいショウに強く喝采するショウビジネスを描いた名作です。だから、是非、被災地の皆さんにも鑑賞してほしいと私は思います。
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2020年夏季五輪招致を実現し1964年に私が体験した高揚感を大震災後生れた子供達にも実感してほしい

2011-06-17 22:32:41 | 日記
今日の日記は、石原慎太郎東京都知事が2020年夏季五輪の開催地に立候補表明したことです。以下に、その朝日新聞ネットニュース(2011年6月17日20時5分配信)より引用・掲載します。
『・・2020年の夏季五輪招致、都知事が再挑戦の意向表明・・2020年夏季五輪について東京都の石原慎太郎知事は17日、都議会の所信表明で「(東日本大震災の)被災地をはじめ広く日本全体とスクラムを組んで東京にオリンピック・パラリンピックを再び招致することを考えていただきたい」と述べ、招致を目指す意向を表明した。石原知事は、1964年の東京五輪が戦災からの復興を国際社会に示したものだったと回想。20年五輪についても「9年後の日本の姿を披瀝(ひれき)すれば、世界中から寄せられた友情や励ましへの何よりの返礼となる」と話し、大震災からの復興を招致のテーマに掲げる考えを示した。リオデジャネイロに敗れた16年五輪招致では、世論の支持が高まらなかった経緯がある。それを踏まえ、「国やスポーツ界、経済界など国家の総力が結集され、機運が盛り上がることが不可欠」として、各界に協力を呼びかけた。』
添付した写真は、五輪招致を目指す意向を表明した石原慎太郎都知事(17日、東京都新宿区の都議会)です。
石原都知事が指摘した「1964年の東京五輪が、戦災からの復興を国際社会に示したものだった」に、私も強く共感します。47年前に行なわれた東京オリンピックの時、私はもう小学5年生だったから、その当時のことを今だに鮮烈に覚えているからです。
10月10日(土)の開会日は、前の日まで降っていた雨も止んで、早朝から晴天でした。当日の昼過ぎに行なわれる開会式を実況放送するNHK番組を、自宅のテレビで見るため、私は学校から急いで帰宅した思い出もあります。
そして、その東京オリンピック開催日に間に合うように、突貫で新幹線や東名高速道路が整備されていく工事も、子供ながらとてもワクワク興奮する毎日の出来事でした。何故なら、その当時は、世界の檜舞台にデビューする敗戦国の日本を、すべての国民が強く応援した社会(子供だった私も含めて)があったからです。
それから、半世紀近くの歳月を経て、皆国民がとても豊かになると、個人の価値観も多様化しました。そんな全国民の共通的な高揚感を望むのも、もう無理かもしれません。
しかし、前回の招致を失敗した時と違い、今回は東日本大震災の復興を掲げるという世界に対する大義があります。被災地の方々は、現在はまだ心のゆとりもなく、そんな気持ちにまでならないでしょう。でも、開催時期はまだ9年後の2020年です。だから、私は全国民がこの9年後のオリンピック招致に賛同・応援して、開催実現を是非勝ち取ってほしいです。
何故なら、私が体験したワクワクした高揚感を、今年大震災後誕生した子供たちにも9年後再び実感してほしいからです。
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