天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

高橋義人著『悪魔の神話学』悪魔魔女信じたルターに教化さるプロテスタントは魔女狩り加速するは当然に得心

2019-09-29 14:52:20 | 日記
今日の日記は、今藤沢市本宅で読んでいる高橋義人著『悪魔の神話学』(2018年6月岩波書店刊)で書かれた「エラスムスが生んだ卵をルターが孵した」と巷間よく言われている近世初頭ヨーロッパでの宗教改革の当事者二人に関する著者の私が強く共感した素晴らしい卓見です。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、高校の世界史の授業で、この二人の宗教家を学習しました。その時は、ローマカトリックに関して、宗教批判したお互いの”同志”だと、私は全く短絡的に理解していました。しかし、この著書を読んで、二人には宗教家として、際立った大きな違い(完全な一枚岩でない)があったことを今知りました。また、その違いを私が読んだことのあるエーコ著『薔薇の名前』の登場人物にうまく準えており、とても説得力のある素晴らしい著者の見解でした。以下に、その著書から関連する記述を、一部引用掲載します。
『エラスムス(1466~1536年)が、「薔薇の名前」の主人公のフランチェスコ修道会士バスカヴィルのウィリアムであるとすれば、ルター(1483~1546年)は連続殺人事件の犯人の修道院図書館長ホルヘである。特に「自由」や「悪魔」に関して、両者の見解はほぼ対極に位置していた。・・エラスムスは、ルターのなかに言わば「ホルヘ」的精神を見てとったにちがいない。たしかにカトリック教会は批判されなければならない。しかし、ホルヘ=ルターにより、中世社会へ逆戻りし、せっかく花開いた人文主義精神を圧殺されることのほうがよっぽど恐ろしい。そこで、エラスムスはルターの反自由意志論を批判する「自由意志論」(1524年)を著した。ここに、その後の西欧の精神史上に多大の影響を与えた自由意志論が勃発した。・・ルターは激怒し、エラスムスに対する反駁として「奴隷意志論」(1525年)という長大な著作を発表した。・・ルターの攻撃を受けてカトリックも対抗宗教改革を起こし、敵であるはずのプロテスタントと暗黙裡に手を組んで、生の否定である中世から生の肯定であるルネサンスの撲滅に取りかかった。こうして、ルターが望み、エラスムスが恐れた方向へと進んでいった。それは、中世的世界、デモノロジーの支配する世界の逆戻りだった。プロテスタントとカトリックはともに相手を悪魔呼ばわりするとともに、魔女狩りにともに熱心に励んだのだった。・・ルターは、悪魔や魔女の存在を固く信じて疑わなかった。そうしたルターに教化されたプロテスタント派の人々が、魔女狩りをやめるどころか、逆にそれを加速させていったのは至極当然のことだった。』
私は、日本の鎌倉時代に出来た時宗の僧侶の孫ですので、キリスト教の事は高校時代から全く不勉強でした。だから、この宗教家・ルターを善なるキリスト教改革者(注:世界史授業でもそう教わった)と思っていました。しかし、この京都大学名誉教授の高橋義人氏によれば、魔女狩りが猖獗をきわめたのは16~17世紀、宗教改革と対抗宗教改革の嵐がヨーロッパ全土を覆っていた時代だそうです。それは、キリスト教が改革により歪んだ教義になったからと、私は今得心しました。学校で教わった「善なる運動」の宗教改革は正しくなく、その余波として間違った方向(魔女狩り)に向かっていたです。
今の高校の世界史を私は聴講していないですが、もしまだ一方的に良い宗教改革だと教えているなら、是非その教科書等の是正(注:「魔女狩り」因果関係記述は昔は無かった)を文部科学省の担当者に、私は速やかにお願いしたいです。
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10月1日以降京急きっぷ2,520円廃止でも京急運賃値下と事前連絡バス回数券購入で2,521円で済む

2019-09-27 11:41:14 | 日記
今日の日記は、10月1日から廃止になる羽田京急きっぷと京急の羽田空港線運賃値下げの事です。
私は今、25日から10月3日までの9日間藤沢本宅に戻っています。その出発地の千歳空港から京急横浜までの割引切符(羽田京急きっぷ)の有効期間が10日間ですので、25日来る時札幌駅前ターミナル自販機で、私は2,520円を投入して【最後】のこの割引きっぷを購入しました。添付した写真の左側(行き分は使用済)のきっぷです。
何故なら、10月1日以降この羽田京急きっぷを販売しなくなるからです。その理由は、北海道のバス会社の運賃値上げと京急空港線の値下げにより、当初のお互いの販売促進目的を十分に達成できなくなったからだと、私は思っています。だから、藤沢在宅期間の10日間有効しばりが全く無くなって、10日間以下の滞在でも、個別にバス代と私鉄代の運賃を支払う事になります。
この廃止の事は、私は事前(4月以降バス料金値上げと10月以降京急値下げ)にある程度は予測しており、バス料金が値上げになる前(3月末)に4枚津綴り回数券(3,710円)を5冊購入していました。添付した写真の右側(2回分は使用済)のきっぷです。
次回の藤沢本宅滞在時(11月21日~27日・7日間)には、この回数券と京急(横浜⇔羽田空港国内線ターミナル)キップ(333円に値下げ)を利用する事になります。この事前購入安いきっぷストックがある限り、1,855円+666円=2,521円の交通費で、私は往復可能になります。だから、今現在より1円高くなるだけで、金銭的な影響が無い(逆に10日間滞在の縛りが全く無くなる)です。
でも、安い回数券ストックがなくなったたら、4枚綴り回数券を4,000円で購入しなくてはならず、その往復交通費は2,666円にアップ(注:9月現在より146円高くなる)します。だから、5冊でなく10冊分購入しても良かったかもしれないと、私は、今少し後悔しています。
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ANA『翼の王国9月号』お茶屋出入す客は女将の目に適要を読み朝ドラ「なつぞら」千遥連行復員兵に違和感

2019-09-26 11:18:16 | 日記
今日の日記は、昨日札幌別宅から藤沢本宅に戻るANA機内で読んだ『翼の王国9月号コラム・JOY OF LIVING 京都の流儀』で書かれた「女将さんのお仕事」と朝ドラ『なつぞら』に登場した置屋女将の大いなる【落差】の事です。添付した写真はそのコラムページ(文・徳力龍之介 写真・福森クニヒロ)です。
私は今年8月16日付日記『「なつぞら」第83話置屋女将と戦災孤児千遥の親子関係は非現実閉鎖空間で名作「夢千代日記」リスペクトを』で、脚本家が描いた置屋女将の人間像に苦言を呈しました。この読んだコラムは、京都祇園の「お茶屋」(料理を自炊しないで宴会用の座敷を貸す店)女将の話です。しかし、最近の京都祇園では「お茶屋」と「置屋」(芸妓を斡旋する店)が一緒の商売になっています。だから、ドラマ設定の東京新橋?の置屋も京都祇園の「お茶屋」と同じ(私注:単なる地方温泉の芸者斡旋所「ドラマ夢千代日記はそう」ではなく、ドラマ「なつぞら」に描かれた女将と千遥が会話する座敷はその宴会用と考察)と、私は考えています。
以下に、このコラムから、女将の仕事ぶりを、一部引用し掲載します。
『・・お茶屋の女将はあらゆる役目を果たす、いわば総支配人のような働きをするだけではなく、コンシェルジュのような存在であり、ほとんどがお茶屋のオーナーでもあるという、【できる】人ばかりです。とにかくお茶屋という生業の一切を取り仕切り、自分のお店だけではなく花街全体の組合の運営もしているのです。・・お茶屋は一見さんお断りです。・・お客がそもそもお茶屋さんに出入りできるようになるには、女将の目に適うことがまず第一なのです。』
ドラマ「なつぞら」では復員兵が千遥を置屋に売った(注:結婚先料亭女将の義母の証言)事になっています。しかし、「置屋」や「お茶屋」は、一見さんはお断りです。だから、私は自身ブログ日記でこの復員兵は花柳界にある程度知見があったか?(注:実際は客としてその場を利用しなければお互いの接点は生まれないが)と推測しました。
でも、機内誌コラムで書かれた女将さんは、「お座敷に合った舞を選び、小道具まで指示する」奥義を熟知した器量人です。そんな女将が、浮浪児を人身売買で買う訳がないと私は思っています。逆にドラマでは、この女将は養子にした娘の初等・中等教育よりも芸妓を教え込むしたたかさがあり、娘を商売に利用しようと画策していたとしか、私には考えられないです。
そして、娘を仕込んだ後、同じ花柳界(神楽坂だが)の料亭の次男坊に身売り(ばれてはしょうがないが、うまく事が運ぶように生い立ちを秘密し結婚させた)したのです。また、この料亭の女将が置屋の女将に生い立ちの不実を全く言わないのも、私には理解できないです。
だから、このドラマ「なつぞら」に登場する預けられた叔母さんの家から家出した千遥のその後のエピソードには、何も共感もせず、今逆に強い不快感を持っています。
このANA機内で読んだ『翼の王国9月号』に登場したお茶屋や全国の置屋の女将さんたちの生業の名誉の為、彼女たちに成り代わって、私は脚本家にこのような強い苦言を述べました。
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本日朝ドラ『なつぞら』第149話高飛車な神楽坂料亭女将は置屋女将と【同じ穴の貉】立派な家柄とは言えず

2019-09-20 17:26:13 | 日記
今日の日記は、本日放映の朝ドラ『なつぞら』第149話で千遥の離婚協議の場で『これですっきりした』と話す神楽坂料亭女将・杉山雅子(浅茅陽子)の自分の置かれた世界(世間一般では低く看られている職業・飲客相手の水商売)を感じさせない全く考えられない高飛車な言動の事です。添付した写真は、千遥が料理人をしている小料理屋「杉の子」を訪れた義母役の浅茅陽子です。
私は、今年8月16日付日記『「なつぞら」第83話置屋女将と戦災孤児千遥の親子関係は非現実閉鎖空間で名作「夢千代日記」リスペクトを』で、千遥に結婚を申し込んだ「立派な家柄」の男は、”新橋あたり置屋で遊ぶ新興財閥の馬鹿息子”と推理しました。
しかし、私の予想は全く見事に外れて、同業の神楽坂料亭次男坊と判明しました。置屋女将から見れば、料亭は自分の商売先で、その遠慮?から”浮浪児の過去を捨てろ”と命じたかもしれないです。でも、「神楽坂料亭の次男坊」は、養女の生い立ちを隠すほどの「立派な家柄」では全くないです。だから、私には、置屋の女将も料亭の女将も【同じ穴の貉】にしか見えないです。
この料亭の女将は、結婚する前のその生い立ち【女将談:置屋に売られてきた娘】を調べ、次男との結婚には強く反対(注:板前上がり婿養子?亭主は許可していた)していたのです。また、置屋の女将も相手方がその調査した事を知らず、お互いに良縁(注:しかし私には、自分の商売に役立つ政略結婚と言える)と思い込んでいました。私は、まったく嫌な花柳界の世界を朝から見た思いです。
さらに、料亭女将は、千遥に、”あなたは何か思い違いをしているようだけど、この店はあなたがいないとやっていけないのよ。この店の味はあなたの味なの。あなたはうちの人が見込んだ料理人なのよ。私はね、うちの人が残したこの店をできれば、続けたいの。離婚しても、この店をやってもらえないかしら?次男にも父親としての責任がある。娘の千夏とも安心して暮らせる。”と語ります。
これは、千遥を自分の娘とは全く考えず、単なる料亭の一支店「杉の子」の料理人としか見ていない商売優先の傲慢な女(自分の料亭の味を残す事が後生大事で)にしか見えない言動です。また、「杉の子」のオーナー権(現在は次男のもの)を千遥に渡すと、一言も言っておらず、千遥は安易に同意するべきではなかったですが、千遥はその申し出に思わず頷いてしまい、料亭女将は同意してくれたと思ったのでしょう。だから、最後に『これですっきりした!』と呟いていました。
しかし、今からでも遅くないですから、杉山家と離縁するのだから、千遥は小料理屋「杉の子」と一切の縁を切って、新しく自分の店(注:協議の場で咲太郎は自分が作ると言っていたが亜矢美の夢を叶えられなかった罪滅ぼしか?)割烹・小料理「奥の子」をオープンすればいいと、私は思っています。
だから、この脚本家の描く日本橋・浅草・神楽坂の花柳界や料亭の女将と、新宿歌舞伎町のレビューや小料理屋「風車」に暮らす女性(亜矢美)には、全く私は共感できないです。彼には、山本周五郎著の江戸時代舞台の名作『山茶花帖』を読んで、貧しい生い立ちを恥じながら懸命にお座敷を勤めている芸妓とある藩の城代家老の嫡男の結びつきを知ってもらって、次回作の参考にしてほしいです。
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本日フジ報道番組『戦時下ブラック企業勤務日本人も韓国人同様に裁判訴追』橋下氏発言に論語【既徃不咎】を

2019-09-15 14:26:11 | 日記
今日の日記は、本日午前7時30分フジTV系で放映された報道番組でコメンテーターとして登場した橋下元大阪府知事の発言『戦時下のブラック企業に勤めていた日本人も韓国人と同じように裁判に訴えたらいい』の全くナンセンスな司法論理です。
私は、この橋下氏の過っての物議を醸しだした「従軍慰安婦発言」には、深く共感し理解をしていたつもりです。しかし、今日の彼の『戦時下のブラック企業』発言には、何らの共感を得ず、さらに「訴訟を起こした韓国人と同様に、当時勤務していた日本人労働者も日本政府に訴訟を起こしたらいい」との全くナンセンスな言葉に、日本人同胞として、私は強い憤りを抱きました。
この番組に同席していた櫻井よしこ氏からは、『(今の企業風土ではなく)当時の時代をよく考えなくてはいけない。』と反論されていました。私もこの櫻井氏の意見に全く同感(戦時下の軍需産業はブラック企業ではない)です。現在の倫理感を持って、過去の歴史上出来事を遡って、法的に糾弾するのは、全くナンセンスな法的根拠です。この弁護士資格を持っている橋下氏らしからぬ論理思考(これが有効なら、過去の植民地支配や奴隷制度を悪だとして、全世界の関係者が訴訟を起こせますか?)だと思います。だから、こんなナンセンスな行動は、悪漢国家の韓国人だけの専売特許にしてほしいです。
だから、橋下氏(韓国社会も儒教国家だが論語を言っても全く詮無い事)には、今札幌別宅で読んでいる岩崎淳著『いまを生きる論語』(2019年7月さくら社刊)で書かれた論語の一節を捧げます。添付した写真は、その著書の表紙です。以下に、その一節と解説文の一部を、引用掲載します。
『成事不説、遂事不諌、既徃不咎。(八佾第三の二十一)
成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず
孔子は、この「成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず」と、同じ意味の言葉を三回繰り返しています。それほど、このことを伝えたいという思いがつよかったのです。孔子の周りには、政治家、役人、知人、弟子など多くの人がいました。孔子の期待通りではなく、歯がゆい思いをしたことも、怒りを覚えたこともあったでしょう。この言葉は、孔子自身の自制の言葉なのかもしれません。』
2,500年前に中国で語られた【金言】は、現在でも全ての人の胸に、強く迫るものがあります。また、儒教国家でありながら、それを完全に忘却した韓国人と全く同じ人間と、私は橋下氏を思いたくないです。だから、橋下元大阪府知事には、論語の一節「成事不説、遂事不諌、既徃不咎」を捧げたたいです。そして、是非とも橋下氏には、論語の価値観を共用する日本人同胞になってほしいです。
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