今日の日記は、今藤沢市本宅で読んでいる高橋義人著『悪魔の神話学』(2018年6月岩波書店刊)で書かれた「エラスムスが生んだ卵をルターが孵した」と巷間よく言われている近世初頭ヨーロッパでの宗教改革の当事者二人に関する著者の私が強く共感した素晴らしい卓見です。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、高校の世界史の授業で、この二人の宗教家を学習しました。その時は、ローマカトリックに関して、宗教批判したお互いの”同志”だと、私は全く短絡的に理解していました。しかし、この著書を読んで、二人には宗教家として、際立った大きな違い(完全な一枚岩でない)があったことを今知りました。また、その違いを私が読んだことのあるエーコ著『薔薇の名前』の登場人物にうまく準えており、とても説得力のある素晴らしい著者の見解でした。以下に、その著書から関連する記述を、一部引用掲載します。
『エラスムス(1466~1536年)が、「薔薇の名前」の主人公のフランチェスコ修道会士バスカヴィルのウィリアムであるとすれば、ルター(1483~1546年)は連続殺人事件の犯人の修道院図書館長ホルヘである。特に「自由」や「悪魔」に関して、両者の見解はほぼ対極に位置していた。・・エラスムスは、ルターのなかに言わば「ホルヘ」的精神を見てとったにちがいない。たしかにカトリック教会は批判されなければならない。しかし、ホルヘ=ルターにより、中世社会へ逆戻りし、せっかく花開いた人文主義精神を圧殺されることのほうがよっぽど恐ろしい。そこで、エラスムスはルターの反自由意志論を批判する「自由意志論」(1524年)を著した。ここに、その後の西欧の精神史上に多大の影響を与えた自由意志論が勃発した。・・ルターは激怒し、エラスムスに対する反駁として「奴隷意志論」(1525年)という長大な著作を発表した。・・ルターの攻撃を受けてカトリックも対抗宗教改革を起こし、敵であるはずのプロテスタントと暗黙裡に手を組んで、生の否定である中世から生の肯定であるルネサンスの撲滅に取りかかった。こうして、ルターが望み、エラスムスが恐れた方向へと進んでいった。それは、中世的世界、デモノロジーの支配する世界の逆戻りだった。プロテスタントとカトリックはともに相手を悪魔呼ばわりするとともに、魔女狩りにともに熱心に励んだのだった。・・ルターは、悪魔や魔女の存在を固く信じて疑わなかった。そうしたルターに教化されたプロテスタント派の人々が、魔女狩りをやめるどころか、逆にそれを加速させていったのは至極当然のことだった。』
私は、日本の鎌倉時代に出来た時宗の僧侶の孫ですので、キリスト教の事は高校時代から全く不勉強でした。だから、この宗教家・ルターを善なるキリスト教改革者(注:世界史授業でもそう教わった)と思っていました。しかし、この京都大学名誉教授の高橋義人氏によれば、魔女狩りが猖獗をきわめたのは16~17世紀、宗教改革と対抗宗教改革の嵐がヨーロッパ全土を覆っていた時代だそうです。それは、キリスト教が改革により歪んだ教義になったからと、私は今得心しました。学校で教わった「善なる運動」の宗教改革は正しくなく、その余波として間違った方向(魔女狩り)に向かっていたです。
今の高校の世界史を私は聴講していないですが、もしまだ一方的に良い宗教改革だと教えているなら、是非その教科書等の是正(注:「魔女狩り」因果関係記述は昔は無かった)を文部科学省の担当者に、私は速やかにお願いしたいです。
私は、高校の世界史の授業で、この二人の宗教家を学習しました。その時は、ローマカトリックに関して、宗教批判したお互いの”同志”だと、私は全く短絡的に理解していました。しかし、この著書を読んで、二人には宗教家として、際立った大きな違い(完全な一枚岩でない)があったことを今知りました。また、その違いを私が読んだことのあるエーコ著『薔薇の名前』の登場人物にうまく準えており、とても説得力のある素晴らしい著者の見解でした。以下に、その著書から関連する記述を、一部引用掲載します。
『エラスムス(1466~1536年)が、「薔薇の名前」の主人公のフランチェスコ修道会士バスカヴィルのウィリアムであるとすれば、ルター(1483~1546年)は連続殺人事件の犯人の修道院図書館長ホルヘである。特に「自由」や「悪魔」に関して、両者の見解はほぼ対極に位置していた。・・エラスムスは、ルターのなかに言わば「ホルヘ」的精神を見てとったにちがいない。たしかにカトリック教会は批判されなければならない。しかし、ホルヘ=ルターにより、中世社会へ逆戻りし、せっかく花開いた人文主義精神を圧殺されることのほうがよっぽど恐ろしい。そこで、エラスムスはルターの反自由意志論を批判する「自由意志論」(1524年)を著した。ここに、その後の西欧の精神史上に多大の影響を与えた自由意志論が勃発した。・・ルターは激怒し、エラスムスに対する反駁として「奴隷意志論」(1525年)という長大な著作を発表した。・・ルターの攻撃を受けてカトリックも対抗宗教改革を起こし、敵であるはずのプロテスタントと暗黙裡に手を組んで、生の否定である中世から生の肯定であるルネサンスの撲滅に取りかかった。こうして、ルターが望み、エラスムスが恐れた方向へと進んでいった。それは、中世的世界、デモノロジーの支配する世界の逆戻りだった。プロテスタントとカトリックはともに相手を悪魔呼ばわりするとともに、魔女狩りにともに熱心に励んだのだった。・・ルターは、悪魔や魔女の存在を固く信じて疑わなかった。そうしたルターに教化されたプロテスタント派の人々が、魔女狩りをやめるどころか、逆にそれを加速させていったのは至極当然のことだった。』
私は、日本の鎌倉時代に出来た時宗の僧侶の孫ですので、キリスト教の事は高校時代から全く不勉強でした。だから、この宗教家・ルターを善なるキリスト教改革者(注:世界史授業でもそう教わった)と思っていました。しかし、この京都大学名誉教授の高橋義人氏によれば、魔女狩りが猖獗をきわめたのは16~17世紀、宗教改革と対抗宗教改革の嵐がヨーロッパ全土を覆っていた時代だそうです。それは、キリスト教が改革により歪んだ教義になったからと、私は今得心しました。学校で教わった「善なる運動」の宗教改革は正しくなく、その余波として間違った方向(魔女狩り)に向かっていたです。
今の高校の世界史を私は聴講していないですが、もしまだ一方的に良い宗教改革だと教えているなら、是非その教科書等の是正(注:「魔女狩り」因果関係記述は昔は無かった)を文部科学省の担当者に、私は速やかにお願いしたいです。