天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

未聴昨日TBS「ゴゴスマ」金慶珠氏公平な発言時間機会を守らずの東国原英夫氏指摘に過去悪例で強く同意す

2019-08-30 14:41:53 | 日記
今日の日記は、昨日のTBS系「ゴゴスマ~GOGO!Smile!」(月~金曜・後1時55分)に出演した東海大教授の金慶珠氏の言動を批判した元宮崎県知事の東国原英夫氏(61)の全く正しい行動の事です。
私は、この番組で大嫌いのエセ金慶珠大学教授(注:添付した写真は、その番組でのコメンテーター姿)が画面に登場したので、素早くチャンネルを変えたので、全く二人の激論を見ていません。だから、私は今日のネットニュースで、その経緯を知りました。以下に、その報知新聞ネットニュースから抜粋引用します。
『元宮崎県知事の東国原英夫氏(61)が29日、出演したTBS系「ゴゴスマ~GOGO!Smile!」(月~金曜・後1時55分)で、コメンテーターで東海大教授の金慶珠(キム・キョンジュ)氏(52)に対して声を荒らげる場面があり、ネット上で批判の声が挙がっている。番組では悪化する日韓関係について特集し、まず金氏が最近の流れについて説明をした。その後、東国原氏が発言している途中、金氏が「あの…」と意見をしようとしたところ、東国原氏が声を荒らげた。(以下放送より)
・東国原氏「黙ってろ、お前は!黙っとけ!この野郎、しゃべりすぎだよ、お前!僕、あの人が来たらね、今日欠席してる。事前に言ってよ今度ね」
・司会の石井亮次アナ「穏やかにいきましょうね、穏やかに」
・東国原氏「いやいやいやいや、僕、気に食わないんですよ、あの人。あの人ね、韓国ではね、親日派の右派なんですよ。でも、日本に来ると、左派反日系を装うじゃないですか。“ビジネス反日”と、僕は言ってるんですけど」
・金氏「親日右派です。本当に私、親日保守なんだけど、そういう意味で私は東さんのことも大好きなんだけど、それと…」
・東国原氏「嫌いだよ、俺は!」
その後、東国原氏は自身のツイッターを更新し「僕は金慶珠氏の発言内容に怒ったのでは無く、公平な発言時間(発言機会)を守らないので怒ったのです。議論は自由です。しかしそこには一定の常識的ルールやマナーが必要だと思います。過去にも注意した事があるのですが、全く聞き入れられていません」と説明した。』
私は、この金慶珠氏の存在自体の不快感を前持って予知して、視聴するテレビのチャンネルを変えられましたが、東国原英夫氏は、この金慶珠氏の出演(注:最近幾度か同番組に出演「親韓・反安倍のTBSらしい人選」しているのを目撃し即座のチャンネル切り替え実施)を、事前に知らされていなかったようです。番組で、知っていれば、出演しないと彼は言っていました。だから、可哀そうに、その激論の末、一部の親韓派からネット上でその発言を批判されてしました。
しかし、この東国原英夫氏が指摘していた金慶珠氏の討論での【傍若無人】ぶりに、私も何度も不快な思いをし、強い嫌悪感を持っていました。だから、東国原英夫氏は、今までの悪弊を指摘し、当然の事を言ったまでで、何ら非難される言われは全くないと、私は確信しています。
私自身も、2015年5月30日付日記『金慶珠著「嫌韓の論法」嫌韓論は日韓問題でなく日本自身の認識、当事者なので広い心で理解の著者主張は矛盾』で、その著書の全く価値のない内容に言及し強く批判していました。そして、その日記で”東海大学教養学部国際学科准教授です。彼女の学術的力量を大学側はどのように正しく判断したのか?全く私には理解できないです。”と大学側の対応まで強く批判しました。この金慶珠氏がその後昇進し教授職に就任したのだから、私には、全くの驚天動地の東海大学教授人事です。
このように日韓関係が泥沼化した今の現状では、金慶珠氏の反安倍・反日・親韓の主張を支持するメディアには、これからも彼女は頻繁に登場するでしょう。全く嫌なメディア社会になったと、私は今痛感しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

維新後の日韓関係再考を強調する石破茂氏に「川上陰謀説」を否定した大澤博明著『陸軍参謀川上操六』熟読を

2019-08-25 13:32:05 | 日記
今日の日記は、”明治維新後の日韓関係を再考する必要性を強調”している石破茂氏にその論証資料として、彼に是非読んで欲しい私が一昨日皆さんに紹介した大澤博明著『陸軍参謀 川上操六 日清戦争の作戦指導者』(2019年・吉川弘文館刊)で書かれた新たな川上像・日清戦争像のことです。
以下に、日本近代史に長らく流布されてきた軍国主義の先駆となり日清戦争のきっかけを作った【川上陰謀説】に反論した大澤博明氏の記述の一部を引用・掲載します。
『川上の名前は、日清戦争と分かちがたく結びつけられ、同時に、いくつもの俗説によって彩られてきた。その顕著な一例が、清の朝鮮出兵を奇貨として、川上参謀本部次長が、伊藤博文総理大臣を騙して大規模な出兵を行い、対清戦争のきっかけを作ったという謀略説である。また、侵略戦争と帝国主義外交を否定する観点に立つ歴史研究は、統帥権を濫用し戦争を通じて国家の進路を引きずった昭和軍国主義の先駆者とでも言うべき川上像を提示した。しかし、この長らく流布してきた川上陰謀説は成り立たないことが、今日明らかになっている。朝鮮出兵決定から開戦までは、政府(伊藤総理)主導で軍(川上参謀本部次長)の出兵と行動を規制し続け、軍も外交交渉が継続している段階では政府方針に従っていた。川上は大本営陸軍上席参謀として出兵以降の陸軍作戦を実質的に指導していたが、外交と戦略的利益との矛盾の中で、政府からは抑えつけられ、部下の参謀からは突き上げられる、板挟みになりながら困難な指導を行った。川上によって統一性が確保された作戦指導の成果を利用して、戦争終結・講和に結びつけたのが政治(家)であった。』
当時の日本が朝鮮を併合した事実を、単なる植民地化としか見ない石破茂氏は、何の歴史的事実を再考するのか?、私にはその趣旨は全く不明です。前回の総裁選で”正直・公正”をスローガンを掲げた(注:添付した写真は、その時の石破氏)のなら、歴史的な出来事も何ら先入観を持たずに”公正”な目で見るべきです。そのうってつけの参考文献がこの著書です。
石破氏は、自らの主張となるその根拠をあまり挙げておらず、関連する歴史書も彼が詳しく読破しているとは、私には全く思えません。自らが明治維新後の日韓関係を再考する必要性を感じるなら、作家・司馬遼太郎氏の自著『坂の上の雲』を執筆する際に取った行動(古本屋からその関連書籍が悉く消えたエピソード)を見習ってほしいです。
まずは、彼にこの『陸軍参謀川上操六』を読んで、間違った歴史観は自然淘汰されると知ってほしいです。歴史は、貨幣の経済原則とは全く違い、”良書は悪書を駆逐する”のです。是非、彼の間違った歴史観が是正される事を、私は強く期待しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石破茂氏『戦後ドイツはニュルンベルク裁判と別に自ら戦争責任明らかに』は歴史学者Iカーショー論証に反す

2019-08-24 12:05:20 | 日記
今日の日記は、自民党の石破茂元幹事長の不見識で歴史的事実を全く知らない自身のブログでのコメントです。以下に、そのコメントを産経ネットニュースから引用・掲載します。 
『自民党の石破茂元幹事長は23日付の自身のブログで、韓国政府が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めたことについて、「日韓関係は問題解決の見込みの立たない状態に陥った。わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、さまざまな形で表面化している」と分析した。石破氏は、明治維新後の日韓関係を再考する必要性を強調し、「(ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いた)ニュルンベルク裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならない」とも指摘した。』
石破氏の歴史的出来事に関する自身の見解や考察が多く間違っている(一例・月刊文藝春秋への投稿文)と、私は今までも糾弾してきました。そして、彼の歴史に関する博識の無さを露わにしたと今回も強く思っています。以下に、全く間違っている箇所を具体的にします。
「ドイツの戦争犯罪について、ニュルンベルク裁判以外に自らの手で行った」と語っていますが、歴史学者イアン・カーショー氏の自著の記述では全く違います。その根拠事例を、私のブログ2017年5月6日付日記『Iカーショー「地獄の淵から」連合国がドイツ人ナチ党員が人口10%800万人で自国に非ナチ化責任に憤り』でも皆さんしています。
そのイアン・カーショー著『地獄の淵から ヨーロッパ史1914~1949』(三浦元博士・竹田保孝訳:2017年3月白水社刊)からその該当関連記述を引用・抜粋します。
『ドイツ国内でも、約70%の人々が、戦争犯罪の罪はニュルンベルクの被告席の面々以外にも及んでいると考えていた。しかし、その罪はどの程度重いのか、彼らをどのように選び出せばいいのか?人口のほぼ10%に当たる800万人以上のドイツ人がナチ党員であり、さらに数千万人がなんらかの党関係組織のメンバーだった。占領軍の数少ない戦犯調査要員が、第三帝国時代のナチ組織への関与について、だれもが調査票に真実を語るわけがないとようやく分ってきた。米国占領地域だけでも、わずか160万件の調査票しか処理されておらず、名の知られたナチ党員350万人がまだその分類を待っていた。1946年初め、西側連合国はその失敗を認め、ドイツ人自身に非ナチ化の責任をもたせた。非ナチ化のプロセス全体がだんだんと、茶番以上のものではなくなってしまった。600万件以上が、名目的に審理された。その2/3は直ちに特赦を与えられた。最悪の犯罪者を除き、数十万人を特赦する1951年の法律によって、その戦犯処理は終止符が打たれた。』
この歴史学者の記述は、西側陣営のドイツの戦後処理の優遇ぶり(敗戦国のドイツ人に丸投げ)がとても良く分る歴史的出来事です。一部逃亡ナチス戦犯が、イスラエル等から指名手配されただけで、ドイツ自体はその後何もしていません。一方の日本国は、自主的憲法を制定したドイツと違い、GHQの意向を反映した現在の憲法を押し付けられ、その戦犯裁判でも何ら日本政府は関与できず、不本意なBC級戦犯(「私は貝になりたい」等)まで認めざるを得なかったのです。さらに、サンフランシスコ講和条約が結ばれても、その戦犯者の名誉は回復(ドイツでは全て特赦されている)されなかったのです。悪漢国家の元朴大統領は、数年前に第二次世界大戦の戦争犯罪の謝罪(慰安婦問題も含む)に関して、日本を名指しで批判して「ドイツを見習え!」と理不尽な中傷外交を行っていました。このような元朴大統領と同じく石破茂元幹事長も、何の歴史的事実を知らない全くの”無能政治家”と強く得心しました。
もう、自民党の石破茂元幹事長は自民党結党時の政治姿勢と全く噛み合わないので、早期に自民党を離党したほうが良いと私は確信しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大澤博明著『陸軍参謀川上操六』Iバード「韓国奥地紀行」進歩正義の政策反故す高宗に文在寅も先祖帰と得心

2019-08-23 14:33:16 | 日記
今日の日記は、今札幌別宅で読んでいる大澤博明著『陸軍参謀 川上操六 日清戦争の作戦指導者』(2019年2月・吉川弘文館刊)で文献引用参照され、私が強く共感したイザべラ・バード(英国女性旅行家1831年~1904年)のとても慧眼ある当時の李王朝への考察です。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書は、薩摩出身の陸軍軍人で大本営参謀として日清戦争を勝利に導いた川上操六の歴史的考察書です。私は、司馬遼太郎氏が自著『坂の上の雲』で、この川上操六を高く評価し、日露戦争前にその実力を発揮出来ず死去した事を司馬氏が嘆いていた事を、読んで知っていました。だから、この川上操六の業績をもっと知りたいと思い、この著書を購入し今読んでいます。
そして、この歴史的な事実の考察文献として、イザべラ・バードの『韓国奥地紀行』(東洋文庫版1993・4年刊)が使われており、私はとても嬉しくなりました。このイザべラ・バードは、自身の日記ブログ2012年12月7日付『Iバード著「日本奥地紀行3北海道アイヌの世界」白老入墨無し少女は見鼻立ち血色や優美さで極上美人と絶賛』で、皆さんに紹介しており、その紀行文での観察の正確さに、私が強く共感したからです。以下に、この著書からイザべラ・バード『韓国奥地紀行』から言及した記述を引用・掲載します。
・「日清戦争(1894年)が始まる前、朝鮮の仁川に上陸した日本兵は、ほとんど音を立てないで静かに任務に従事し、威張りちらす者もいなかった。」(第1巻・288頁)
・「朝鮮王朝の高宗や閔妃が外国の政治制度に向けた関心は、王室費と大臣任免権であった。」(第2巻・77~78頁)
・「金首相は民衆に虐殺され、閣僚の魚充中も殺害された。朝鮮における近代的政治改革はここに挫折した。日本と金弘集内閣から自由となった高宗が指示した政策は、全体として進歩と正義の方向に向かっていた政策とは対照的なもので、王朝最悪の伝統に逆戻りした。」(第2巻・329~330頁)
3か所だけの言及でしたが、全くの部外者である英国人であるイザべラ・バードの言葉には、強い説得力があります。また、このような外国人の自国批評である『韓国奥地紀行』は、韓国国内では全く出版されていないでしょう。何故なら、自国の歴史を全くいいように捏造した事実を完全に覆す真正な証拠となるからです。
そして、イザべラ・バードが120年以上前に語った【王朝最悪の伝統に逆戻りした】も、現在の韓国に綿々と引き継がれています。だから、現在の韓国大統領官邸(青瓦宮)は、李王朝の宮殿(景福宮)の敷地の一部に立っています。そして、文在寅大統領も、南北を統一し李王朝後継支配者となるべきと、今真剣に考えているでしょう。
元外交官の宮家邦彦氏(キャノングローバル戦略研究所研究主幹)も、最近『文在寅大統領は、李王朝政治(周辺強国の間の振り子バランサーとして生き残った)に先祖帰りした』とメディアに指摘しています。
昨日の韓国政府の日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄も、親米路線より反日を推進し北朝鮮・中国と親密になる路線の完全変更だと、私は思います。だから、このような、イザべラ・バードが120年前に強く指摘した進歩と正義の方向に向う政策と全く違う王朝最悪の伝統を引き継ぐ悪漢国家の大韓民国とは、断固国交を断絶するしか方策はないと、私は今強く確信しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日放映『世界遺産』英国「ポントカサルテ水道橋」7年前と同じ水流れを見て鴨長明『方丈記』無常観に共感

2019-08-19 11:33:24 | 日記
今日の日記は、この私のブログ日記開設10周年特別版(トータル閲覧数:4,660,741PV トータル訪問者:1,119,414UU 累計投稿回数:1,969回)です。そして、その投稿は、昨日のTBSテレビ午後6時放映『世界遺産』に登場したイギリス「ポントカサルテ水道橋」を見て感じた、不変に流れる歳月にその間起きる諸行に対する無常観の事です。
私は、2011年12月30日に、このイギリス世界文化遺産(19世紀の産業遺産)「ポントカサルテ水道橋」を現地で見学しました。その経緯は2012年2月3日の自身の日記でも紹介しています。添付した写真は、その水道橋を行く遊覧船の姿です。
だから、約7年8か月ぶりにテレビ番組でこの水道橋を見て、私はとても懐かしい思いをしました。私が見た当時は真冬だったので、ベストシーズンのテレビの姿と風景は違いますが、今でもこの水道橋は現役で観光客らに使用されているようです。
そして、今でも前と同じように絶えず流れている天然水路水に比べて、私が訪問した当時から、イギリスの政治情勢は大きく変わりました。訪問当時、ロンドン市長だったポリス・ジョンソン氏が、辞職したメイ氏の後任のイギリス首相になり、今後EUから離脱しようとしているからです。
だから、私はこの何も変わらず絶え間なく流れる水路を見て、日本の鴨長明が書いた『方丈記』の冒頭の一節を、ふと思い出しました。”ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし”です。
また、私のブログ日記開設当時、全国に25か所あったストリップ劇場が7か所も閉館して残り18か所となりました。私が鑑賞復活した後、ちょうど一年前に鑑賞した新宿某劇場も、残念ながら今年6月末で閉館となりました。今後も閉館する劇場が増えていくかもしれないです。
だから、私は、約800年前に生きていた鴨長明の抱いていた世の中の森羅万象に対する無常観を、今強く共感しています。そして、10年もの長きにわたり、私の拙い日記にお付き合いをしてくださった閲覧者の方々に、私は今衷心より感謝の気持ちを申し上げます。これからも、10年後の私を紹介できるよう、健康に留意してブログ日記を続けていきたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする