天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

子供の高校入学式出席の為休暇申請し担任の自ら高校入学式を欠席した50歳教師の行動は戦後教育の弊害実例

2014-04-29 14:08:00 | 日記
今日の日記は、高校生の子供の入学式に出席する為、有給休暇申請して自らが担任である高等学校の1年生入学式(公式行事)を欠席した50歳代の埼玉県の公立女性教師のことです。
このニュース報道を聞いて、私は現在までのゆとり教育を含めた日教組主体の歪な教育制度の弊害の具体的な事例がひとつ顕在したと思いました。この女性教師は50歳代だから、私のような政府から使う教科書が無償支給されず全て個人負担で自助努力で勉学した世代と全く違います。さらに70年代から始まったゆとり教育が、生徒ばかりか教師の質まで大きく低下させたのです。
私が昭和30年代に学んだ頃までは、先生は”聖職”であり、そして常に尊敬されるべき存在であると、私自身も今でも思っています。普通の職業とは全く違い、事前に有給休暇を申請すれば、なんでも許されて(注:しかし、普通の会社でも業務に支障がない限り有給休暇は認められるだけ)重要な公式行事を欠席して良い訳がないです。だから、許した上司である校長にも問題があると思います。
私の今年のGW休暇は、28日(月)だけは会社が強制的に定めた”計画年休”ですが、去年からそれ以外の平日は、”有給取得奨励日”であり、社内の規則では通常業務日になりました。業務に支障がない限り、有給休暇を取得してもよいと規則が変更されたのです。
だから、私は、30日(水)5月1日(木)2日(金)の内、休んだら業務上問題がある場合は、東京に戻らなくてはいけない覚悟を持っていました。しかし、幸にも何も問題が発生しなくて、GW休暇を11日間(4月26日~5月6日)も取ることが出来たのです。
普通の会社では、すべての有給休暇が無条件では認められない(注:忌引休暇は例外)のに、教師は重大な行事を欠席しても事前に申請すれば何でも認められるのは完全に間違っています。
また、私自身は私の子供の入学式や卒業式に一度も出席したことはないです。また、私の入学式や卒業式(すべて平日に開催)に両親が出席した記憶もないです。しかし、この問題の教師の親はどうだったか?私は知りませんが、私の育った昭和30年代後半から40年代までは、入学式や卒業式に各人の父兄は出席せず、PTA会長が代表して祝辞を述べていました。
個人の違った価値観(子供の祝いを同じ場で親が祝福する必要があるか?)を私は他人に押し付ける気はないですが、教師には自らの職務の尊さを自覚して、このような非礼な行動を厳に慎んで欲しいです。
だから、安部首相が目指す日教組が戦後間違った指導を行った結果多くの弊害を生んだ教育を是正する制度改革にも私は大いに期待しています。
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呉善花著『なぜ反日韓国に未来はないのか』反日根拠となっているのは日本を蔑視してきた歴史・小中華思想と

2014-04-27 20:55:43 | 日記
今日の日記は、札幌別宅近くの中央図書室に予約していた書籍が貸出可能になり、今読んでいる呉善花著『なぜ「反日韓国に未来はない」のか』(小学館新書・2013年12月刊)で、語られている著者の母国である凄まじき反日教育のことです。
私は、その韓国の実態を良く知る呉善花拓殖大学国際学部教授・呉善花(1956年韓国済州島生まれで日本国籍を取得、私より3歳若い同世代)の渾身の母国への告発を読んで、とても驚き、呉氏の見解に深く共感しています。だから、呉氏は、韓国政府から入国を拒否され売国奴と罵られいます(私見:全く韓国政府は民主主義国家ではない)。以下に、この驚くべき内部者しか知らない韓国の実態を著書から一部引用・掲載します。
『現在の韓国で、日本統治時代の体験をもつ70歳代後半以上の人に親日家が多いのは事実である。私自身、幼い頃までは親たちの世代から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされていた。だが学校教育ではいきなり「日本人は韓国人にひどいことをした」と教わることとなった。そうした戦後の反日教育を受けてきた70歳以下の人たちはことごとくが洗脳され、反日が当たり前になっている。この問題については、私は日本統治時代の朝鮮での生活体験をもつ多数の日本人と韓国人に直接インタビューをしている。・・韓国人でも大半が「日本人たちとは仲良く暮らした」という体験を語っており、あからさまな差別を受けたという人は一人もいなかった。・・なによりもまず、戦後60数年にもわたって、一貫して強固な反日教育が行われてきたこと、これが韓国の反日民族主義の実体を形づくっているのである。・・また、韓国の反日民族主義の根には日本を蔑視してきた歴史がある。日本統治時代への恨みが反日の根拠となっているのではない。蔑視すべき民族が自分たちを統治したことが許せず、それが強烈な反日民族主義を生み出しているのだ。・・私は韓国で生まれて26歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲が強制的に連行したといった話は一切耳にしたことがない。・・日本の左翼活動家が韓国の反日民族主義活動家に入れ知恵して以来、「そういうことがあったらしい」「そういうことがあったに違いない」「そういうことが事実あった」というようにエスカレートしていったことは明らかである。』
全くこの呉氏の主張は、その実際の日韓関係の相手方にいた者だけが知っている生々しくも強い真実を伴う母国を憂う悲痛な告発と、私は今思っています。さらに、呉氏は、その反日主義の根底には、”日本民族を蔑視している小中華思想がある”と説いています。とても慧眼な母国人しか判らない着想だと私も思います。
だから、日韓併合に反対していた朝鮮総督・伊藤博文を韓国人テロリストが満州の奉天で暗殺した理由は、日本統治時代への恨み(日韓併合)ではなく、自国で蔑視された日本人と一緒に生活するのが、もう耐え難かったからに違いないです。発生ルーツは同じの隣国日本民族を終生蔑視し忌み嫌う韓国人に対して、穏便な情けを掛けても、逆に『恩を仇で返す』だけです。もう日本には、韓国との国交断絶しか道は残されていません。
だから、安倍首相には、この呉氏の”韓国人の日本人蔑視論”を忘れないで、韓国に対して安易な妥協や陳謝を決してしないでほしいです。
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サポート中止ウィンドウズXP搭載PCネット接続中止処置で当分投稿不能御無沙汰日記の昨日閲覧814IP

2014-04-26 22:09:37 | 日記
久しぶりに投稿する今日の日記は、11日間GWで訪れた札幌別宅のPC(ウィンドウズ7搭載で2012年8月購入)インターネット経由で、17日からの藤沢本宅の私有PC(サポート中止されたウィンドウズXP搭載旧式2004年頃購入)でのネット接続禁止処置の為、日記投稿不能になったことへの私の心からお詫びです。
私自身は、この旧式ウィンドウズXPのサポートが中止になることを前から承知していましたが、藤沢本宅のインターネットシステム管理者である私の娘にその件に関して、事前に相談したのですが、彼女から何もはっきりとした回答がなかったです。ところが、私が銀行のネットバンキングを始めたと知ると、急に、彼女は”私たちのインターネットに被害が生じる恐れがあるので、新しいPCを購入するまで、私のインターネット接続を止める”と私に宣言しました。
私は、”急にそんなことを言われても困るよ!事前に相談したではないか!”と強く娘に抗議しました。しかし、娘は聞く耳を持たず、私は仕方なく新型の購入するPCを検討し始めました。残念なことに、消費税が上がる4月前には、その変え替えPC特需で安く購入できたのです。でも、今になったら、もうじたばたしないで、(注:私の日記の広告にもその紹介有り)じっくりと価格とその性能を検討して、5月中に購入できればいいと、割り切っています。
ですから、その新しいPCを購入するまで、この日記投稿(藤沢本宅から)もできなくなりました。閲覧している皆様には、誠に申し訳ないですが、準備が整うまでもう少々お待ちください。それにしても、私が投稿を9日間も御無沙汰していたのに、昨日25日(金)の閲覧者は814IPで、2,046PV・第556位の驚くべき数字でした。なにが、原因で投稿者が激増したのか?私自身には皆目分りません。
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昨日ブログ開設から1,700日迎えた私の日記は閲覧数1,322PVまで愛され人生の終焉まで継続の決意

2014-04-16 21:24:12 | 日記
今日の日記は、昨日(4月15日)でブログ開設(2009年8月19日)から1,700日を迎えた私の個人な思いを綴ってきた記録帳のことです。添付した写真は、そのブログ管理表に書かれてその証明記録です。
私はこの約4年半の間で、投稿回数は1,486回(平均値:0.87回/日)にもなり、昨日のブログの訪問者数は423人、閲覧数は1,322PV、2,009,322ブログ中の2,032位になるまで、皆さんに愛されるようになりました。
まったく個人情報を特定できないような不完全な日記を、このように読んでくれる人が社会にいるのは、私にはとても嬉しいことです。毎日、この閲覧記録を十分に確認・精査して、私は、それ以降の私の日記記載の励みや反省の一つの資料としています。
最近は、反日報道に対する私の噴飯した批判記事ばかりになって、以前のような古今東西の名作や新作映画の紹介をやらなくなって、私は今ちょっと反省しています。
だから、2,000日を迎える前に、少し日記の内容を変えようと思っています。そして、閲覧していただいている皆さんからも愛されて支持されるような内容を考えて、その私の率直な思いをこれからもこのブログで発信していきたいです。
いつまで続くか判りませんが、もう私の人生の終焉までずっと日記を継続していきたいです。
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徐焔著・朱建栄訳『一九四五年満州進軍―日ソ戦と毛沢東の戦略』周恩来は日露戦争ロ軍戦死者記念碑設立拒否

2014-04-13 10:45:48 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいる徐焔(シュ・イェン)著・朱建栄(ツゥ・ジェン・ロン)訳『一九四五年 満州進軍―日ソ戦と毛沢東の戦略』(1993年8月初版・三五館刊)に書かれている、当時の満州国の現実の姿と中国国家権力者・毛沢東の国際戦略のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は昨日の日記で、ソ連軍の満州への侵攻問題を取り上げました。だから、この問題に私はとても興味を持ち、近くの図書館でその関係図書を物色して、たまたま見つけたのが本著です。
この著書は、中国で1993年『蘇聯出兵中国東北紀実』と題された書籍で、筆者は当時の国防大学大佐教官・徐焔氏であり、中国政府の内部関係者により執筆された近代中国に関する歴史評論です。このような書籍が中国で出版されたのは、ソ連の崩壊と中国の「天安門事件」以後の新たな中国での民主化の動きがあったと、私は思っています。
何故なら、この著者・徐焔氏は、当時のソ連国家指導者スターリンを短絡的に礼賛せず、満州に駐留していた日本軍にも悪逆非道行為を働いたとは一方的な記載せず、ある程度の理解を示していたからです。
そして、その著書の中に、現在の大国的覇権国家を目指す中国最高指導者と誹謗・中傷を繰り返す韓国大統領に読ませたい記述がありました。以下に、その記述の一部を引用・掲載します。
『ソ連軍をとりなし、また自己防衛のために、各都市の日本人居住区で「維持会」が設立された。・・「維持会」の責任者の多くは年寄りで、彼らは、押しかけてくるソ連軍に対する賄賂の資金を日本人住民に拠出させるかたわら、ソ連軍兵士に仕えるための女性も用意した。・・そこで従軍慰安婦が前面にかつぎ出された。戦時中、日本軍は各都市に、従軍「慰安所」を設けており、終戦時にも「慰安婦」が多く残っていた。本国の良家子女を助けるためという大義名分のもと、「維持会」の説得、動員を受け、日本人慰安婦は再び組織され、押しかけてくるソ連軍兵士の取り成しに当たった。筆者は当時の目撃者から直接聞いたが、これらの「慰安婦」はロシア人をうまく取りなしたそうだ。ソ連国内でそのような経験がないソ連軍将兵はすこぶる満足し、ひいては、ソ連軍将校が兵士を派遣し、日本人居住区の防衛に当たらせる現象も発生した。・・中国は日本の侵略戦争で受けた被害が最もひどく、犠牲者も最も多かったが、毛沢東をはじめとする中国指導者は日中両国の長期的関係を考慮して、日本戦犯の取り扱いで報復処置を取らず、代わりに戦争真相に関する教育を行う方針をとった。これらの戦犯が自分自身の罪を認め、悔い改める意思表示があってのち、本国に釈放された。・・両国関係の消極的要素を積極的要素に転化させ、敵を友に変えることは大所高所に立って未来を目指すやりかたといえよう。・・中国とソ連が「兄弟のように」友好的だった50年代のある日、ソ連大使が、日露戦争におけるロシア軍戦死者記念碑を、旅順ロシア駐屯地に建てたいという希望を申し入れた。周恩来首相は、その場で厳正に拒否した。周恩来はソ連大使に、レーニンの著作の中の日露戦争を批判した文章をまじめに読みなさいと語った。』
このような著書は、現在の中国ではもう再版されないかも知れません。ソ連の大国的覇権国家方針が崩壊しても、新たに今度は中国が同じ道をたどっているからです。
そして、新生中国を生んだ毛沢東や周恩来の”敵を友に変えるで、大所高所に立って未来を目指す”との国家方針を完全に忘却し、その逆方向の覇権化を目指す現在の中国指導者の逆鱗に、この著書は触れるかも知れません。その意味で、この著書は歴史に関する優れた教訓書となっています。
さらに、満州国にも従軍「慰安所」があったが、その慰安婦は、中国人や朝鮮人であったとの記載は全くないです。逆に、その日本人慰安婦には、同情的な記載”本国の良家子女を助けるためという大義名分”までしています。その著書の出版された当時、国賊・朝日新聞の捏造報道が開始されたばかりでしたが、徐焔氏はそのような捏造報道に関して、何も触れていません。
また、今日の読売新聞朝刊によると、『韓国首相が中国重慶市トップに朝鮮独立運動家が創設した抗日軍「光復軍」拠点司令部の復元を要請した。』とありました。最近の中韓両国の連携による、理不尽な「日本叩き」には全く目に余るものがあります。
だから、私はこの中国戦史家による著書『一九四五年 満州進軍―日ソ戦と毛沢東の戦略』を、現在の中国と韓国の国家指導者たちに、必ず読んで欲しいと、今強く熱望しています。
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