今日の日記は、昭和天皇ご生誕120周年記念(昭和の日)に因んで、今読んでいる秋山徳蔵著『味 天皇の料理番が語る昭和』で書かれている昭和天皇のお姿です。添付した写真は、その著書(中公文庫2015年改版)です。
今日の祝日をマスコミはあまり報道もせず、昭和天皇のお人柄を振り返る事もないです。とても残念な事です。しかし、現在の皇室存亡の危機に際して、2代前の天皇の御行動を知る事は、私はとても大切な事だと思っています。だから、この著書を読んで、私がとても感動した昭和天皇の側に仕えた主厨長(1888年生~1974年没)の語った言葉(1955年原著出版より)の一部を以下に引用・掲載します。
『私は、陛下ほど民主的な方はないと信じている。40年間お傍に仕えた私が言うのだから、誰が何と言おうと真実である。陛下は、現在、配給の七分づきの米に、丸麦を混ぜたものを召しあがっておられる。戦前でも、半つき米に丸麦混入のご飯で、おすしの場合も、白米の使用をお許しにならなかった。・・陛下は昭和の初め頃、静岡・牧野の原の茶園の御陪食の際に、「米の七分づきに麦を混ぜたご飯は、衛生上たいへんよろしいそうである。私はこれを常食にしている。しかし、私の好物だからといって、諸子に強制する気持ちはない。それで、半分だけ白米飯を加えて、これは、参考までに皆に添えた食事である。」一同は、心底から恐れ入り、かつ感激した。半生を美味追求に没頭してきた私にとっては、そのような御飯をさしあげるのは、一種の苦痛であったが、思し召しだから、仕方がないのである。』
この記述を読んで、昭和天皇のお人柄がよく分かり、私はますます畏敬の念を強く持ちました。そして、現在の飽食の時代(コロナ禍であっても、約束違反の夜間飲食を繰り返す一部不届きな国民がその悪しき象徴)を見たら、昭和天皇は強く嘆かれていると、私は今痛感しています。
さらに、この著書を眞子様ご結婚問題の当事者である小室圭母子に、私は是非とも読んでもらいたいです。皇室には、このような粗食の天皇陛下がいたのです。母親の元婚約者の話だと、3人の会食の為元婚約者が予約したレストランが気に食わず、もっと豪華な料理店に変更させられたそうです。だから、この行動をした母子に、昭和天皇陛下の食生活を学んで、深く反省してもらいたいと今強く思っています。
今日の祝日をマスコミはあまり報道もせず、昭和天皇のお人柄を振り返る事もないです。とても残念な事です。しかし、現在の皇室存亡の危機に際して、2代前の天皇の御行動を知る事は、私はとても大切な事だと思っています。だから、この著書を読んで、私がとても感動した昭和天皇の側に仕えた主厨長(1888年生~1974年没)の語った言葉(1955年原著出版より)の一部を以下に引用・掲載します。
『私は、陛下ほど民主的な方はないと信じている。40年間お傍に仕えた私が言うのだから、誰が何と言おうと真実である。陛下は、現在、配給の七分づきの米に、丸麦を混ぜたものを召しあがっておられる。戦前でも、半つき米に丸麦混入のご飯で、おすしの場合も、白米の使用をお許しにならなかった。・・陛下は昭和の初め頃、静岡・牧野の原の茶園の御陪食の際に、「米の七分づきに麦を混ぜたご飯は、衛生上たいへんよろしいそうである。私はこれを常食にしている。しかし、私の好物だからといって、諸子に強制する気持ちはない。それで、半分だけ白米飯を加えて、これは、参考までに皆に添えた食事である。」一同は、心底から恐れ入り、かつ感激した。半生を美味追求に没頭してきた私にとっては、そのような御飯をさしあげるのは、一種の苦痛であったが、思し召しだから、仕方がないのである。』
この記述を読んで、昭和天皇のお人柄がよく分かり、私はますます畏敬の念を強く持ちました。そして、現在の飽食の時代(コロナ禍であっても、約束違反の夜間飲食を繰り返す一部不届きな国民がその悪しき象徴)を見たら、昭和天皇は強く嘆かれていると、私は今痛感しています。
さらに、この著書を眞子様ご結婚問題の当事者である小室圭母子に、私は是非とも読んでもらいたいです。皇室には、このような粗食の天皇陛下がいたのです。母親の元婚約者の話だと、3人の会食の為元婚約者が予約したレストランが気に食わず、もっと豪華な料理店に変更させられたそうです。だから、この行動をした母子に、昭和天皇陛下の食生活を学んで、深く反省してもらいたいと今強く思っています。