天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

2009年7月に民族暴動が発生した中国新疆ウイグル自治区ウルムチ市の治安情勢が私のGW旅行可否を左右

2011-02-28 21:23:51 | 日記
今日の日記は、とても気になる昨日の時事通信ネットニュースのことです。以下にそのニュースを、引用・転載します。
『・・外国記者らを徹底マーク=集会を警戒-ウルムチ・・【ウルムチ(中国新疆ウイグル自治区)時事】中国新疆ウイグル自治区ウルムチでは27日、民主化を求める集会開催の呼び掛けがあった場所の周辺で、当局者が外国メディアの動きを徹底的にマークした。記者らが動いて、やじ馬が集まらないよう警戒したとみられる。インターネット上で呼び掛けられたウルムチ市内の集会場所は2カ所。映画館前は自動小銃を持った警察官がにらみを利かせ、人民広場も警察官が隊列を成してパトロール。外国人記者は宿泊先から尾行された。2カ所に人だかりができることはなかった。市内のデパートでは「上海の友人からの連絡で集会の呼び掛けを知った」という20代の女性もいた。ただ、「関心はない」と素っ気ない。44歳のタクシー運転手の漢族男性は「中東情勢の悪化はニュースで見た。でも、今、新疆への影響を心配する市民はいない」と語った。ウイグル族居住区にある掲示板には、エジプトのムバラク前大統領やリビアのカダフィ大佐の写真を掲載したウイグル語の新聞が張ってあった。見入っていた住民は「もちろん、関心はある。でも、遠い国の話」と言葉少な。近くにはウイグル族の警官がいた。(2011/02/27-21:37)注:添付した写真は、その現地の壁新聞を見る住民』
昨日の日記で、私は『今年のGWに、中国旅行に出かけることにしました。この敦煌とシルクロードの中継地であるトルファン・ウルムチ・クチャ・カシュガルを巡る中国旅行の予約を、私は今日早速入れました。』と書き込みました。この私の旅行は、正に中国の新疆ウイグル自治区を巡る旅です。だから、私はこのネットニュース報道を見て、少し不安になり、今回の旅行が実施可能かどうか?心配になってきました。
この新疆ウイグル自治区のウルムチ市では、2009年7月5日に140人が死亡し828人が負傷したウイグル族による民族暴動が発生しているからです。
しかし、あと2か月後のGWのウルムチ訪問まで、この時事通信の記者がネットに書いたように「無関心な住民」の現地情勢に、あまり大きな変化は無いのではないか?とも、私は少し楽観的に思っています。
いずれにしても、私は、当分中国の国内治安情勢に、十分注意を払っていく必要があります。その情勢結果により、私のGW中国旅行の可否が、大きく左右されるからです。
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中国敦煌莫高窟第107窟二人の妓女祈願文『賤を恥じ生まれ変わったら良き妻に』に感動し私は中国行を決意

2011-02-27 18:41:41 | 日記
今日の続編日記は、今読んでいる紀行文『NHKスペシャル 新シルクロード3 天山南路 敦煌』(NHK「新シルクロード」プロジェクト編著 2005年日本放送協会刊)のことです。添付した写真は、その著書表紙です。
この著書を読んでいて、私がとても感動した記述がありました。以下に、それを一部引用・掲載します。
『取材と撮影で、敦煌には四度、計四十五日ほど滞在したことになる。撮影も残り少なくなった頃、何度も反芻する問いがあった。莫高窟とは一体何であったのか。・・照れずに言えば、そこは、人間が絶対に手に入れることのできない願いを掛けた場所なのだと思う。・・唐代に作られた第107窟。室内は狭く、壁画もどちらかというと稚拙で、芸術的にも歴史的にもさほど価値のある石窟ではないとされている。ただ、そこには、この石窟に寄進した二人の女性の絵が残っている。女性の脇には祈願文が書かれている。解釈の違いはあるが、半分着えかかった文字の意味はこうだとされている。
「賤を恥じ 生まれ変わったら良き妻に」
すなわち、人生で行った卑しい行為を恥じ、生まれ変わったら、誰かの妻にならさせてください、というのである。そう願った二人の女性は妓女であった。・・当時の身分・社会制度では、妓女に身を落とした女性は、普通の妻になることはできなかった。すなわち、この二人は現世では決してかなわない夢をこの小さな石窟に託したのだ。』
この著書に登場する二人の妓女は、日本の江戸時代の吉原や島原の遊女とまったく同じ悲しい定めの女性です。そこには、国境を超えた普遍的な女性の願いがあります。私はとても感動しました。私は、突然、この敦煌・莫高窟を訪れたくなりました。
私は、去年の尖閣諸島中国漁船領海侵犯事件の中国政府の対応を見て、もう中国旅行を止めようと思いました。しかし、中国五千年の歴史からみれば、現在の中国共産党の蛮行は、ほんの一瞬の出来事です。また、日本と中国は同じ文化圏に属する昔からとても親しい隣国です。私は中国共産党は嫌いですが、中国は大好きです。
だから、私は今年のGWに中国旅行に出かけることにしました。この敦煌とシルクロードの中継地であるトルファン・ウルムチ・クチャ・カシュガルを巡る中国旅行の予約を、私は今日早速入れました。
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映画『クオ・ヴァディス』の皇帝ネロ廷臣ペトロニウスはフェデリコフェリーニ監督作品『サテリコン』原作者

2011-02-27 13:01:54 | 日記
今日の日記は、映画『クオ・ヴァディス』(1952年製作 マーヴィン・ルロイ監督 ロバート・テイラー デボラ・カー ピーター・ユスティノフ主演)に登場した皇帝ネロの廷臣ガイウス・ペトロニウスが書いたといわれている小説『サテュリコン』(Satyricon) のことです。
私は、この映画『クオ・ヴァディス』を鑑賞して、このペトロニウスが古代ローマの皇帝ネロの堕落した世界を描いたといわれているピカレスク小説『サテュリコン』を思い出しました。
そして、驚いたことに、この小説をモチーフにして、フェデリコ・フェリーニが映画化した作品である『サテリコン』を1970年に東京・有楽町の「みゆき座」(注:今は閉館されて無し)で劇場鑑賞していたのです。
この映画は、横浜地区では上映しておらず、東京「みゆき座」での単独館上映でした。だから、当時の私は高校2年生の熱烈な洋画ファンで、巨匠フェデリコ・フェリーニのこの新作を観たくて、東京「みゆき座」まで出かけて行きました。添付した写真は、たまたま保存していた私が劇場で買った映画パンフレットの2ページ目です。
このパンフレットに、慶応大学教授の岩崎良三氏(『サテュリコン』日本語訳者)が、ペトロニウスの『サテュリコン』と題して投稿しています。その一部を抜粋して引用・掲載します。
『シェンキェヴィチの歴史小説「何処へ行く」(クオ・ヴァディス)はネロ皇帝治下の初期キリスト教徒の殉教史を描いた作品として有名であるが、そこには異教世界の教養文化を身につけた最後の代表者としてペトロニウスが活躍している。その得意な性格描写は歴史家タキトゥスの次のような記録にその根拠をおいている。「・・ペトロニウスは昼を睡眠に、夜を公務と歓楽生活とに過した人であった。・・背徳者らしくみせかけて、皇帝ネロの数少ない親友の中に加えられて<趣味の決裁者>となった。」しかしネロの寵愛は競敵の嫉妬を招き、ペトロニウスは皇帝に対する叛逆を企てたという疑いの下に軟禁されてしまう。・・『サテュリコン』は古来背徳の書として有名であるが、ひびの入った一帝国の爛熟老衰した文明の悪徳をこれほど見事に描き出した作家は他にない。』
この40年前に購入した映画パンフレットを再び読んで、時代の流れを強く感じました。みゆき座で鑑賞した当時の私はまだ未熟な青二才でした。だから、岩崎良三氏の指摘した古代ローマを深く理解できませんでした。
でも今の私は、古今の名著を読んだり名作映画を多く鑑賞した御蔭で、この岩崎良三氏の投稿に強く共感できるようになりました。
だから、もし機会があったら、劇場で観たフェデリコ・フェリーニ監督の映画『サテリコン』を再び鑑賞したいと今思っています。
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映画『クオ・ヴァディス』ローマ人ペトロニウスは布教者ユダヤ人ペテロに「教えは正しいだが放って置いて」

2011-02-26 22:53:56 | 日記
今日の続々編日記は、映画『クオ・ヴァディス』(1952年製作 マーヴィン・ルロイ監督 ロバート・テイラー デボラ・カー ピーター・ユスティノフ主演)に登場したキリスト教伝道者ペテロ(映画台詞では英語名のピーター)のことです。
添付した写真は、そのペテロに扮したフィンレイ・カリー(右側前面)です。私の愛読書、塩野七生著『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち(四)・20巻』(新潮文庫版)にも、このキリスト教伝道者ペテロに関する記述があります。以下に、その該当する箇所を引用・掲載します。
『シェンキェヴィチ作の「クオ・ヴァディス」中に、象徴的な一場面がある。ローマ有数の知識人で皇帝ネロの側近でもあるペトロニウスを、ローマで布教活動中の聖ペテロが訪問し、キリストの教えに帰依するように熱心に説く。それに対し、ペトロニウスは次のように答える。「あなたの説く教えは、きっと正しいものだろう。だが私は、死ななければ時は、自ら毒杯をあおることを知っている。だから、放って置いてほしい」放って置かないのが、キリスト教なのである。キリスト教の立場からすれば、放って置けないのも当然だ。彼らが信ずる神は唯一神であり、その神を信じない人は真の宗教に目覚めないかわいそうな人なのだから、その状態から救い出してやることこそがキリスト教の使命と信じているからである。だがこれは、非キリスト者にしてみれば、”余計なお節介”になるのだった。』
私は、この塩野氏の卓越した宗教的見解に、まったく同感です。この映画でも、漁師だったペテロは、イエスとの出会いを信者に話しています。その説教で彼は、イエスから『これからは、魚ではなく多くの人を獲れ』と諭されたと語っています。
そして映画では、その当時のキリスト教の布教シンボルが「魚」であるかのように、信者の主人公女性リジア(デボラ・カー)にそのマークを自宅の砂地に書かせています。だから、塩野氏が指摘したように、キリスト教布教者は、”余計なお節介”とは全く考えず、”布教で多くの人を獲れ”と考えていたのです。
映画では原作通り、ペテロは、一度は迫害を受けたローマから逃亡します。でも、途中でキリストに出会い、『主よ何処に行き給うや』(クオ・ヴァディス)とキリストに問うと、同行した少年を通してキリストは『余はローマに赴きて再び十字架にかからん』と彼に答えます。ペテロは、そのキリストの声を聞き、自ら過ちを悔いてローマに引き返します。そして、キリスト処刑よりもっと惨い「逆さ磔」で処刑されています。
この処刑地跡に創建(注:いろいろな学説があり確証なし)された寺院がカトリック総本山・バチカンサンピエトロ大聖堂です。だから、この映画『クオ・ヴァディス』は、敬虔なキリスト教徒には必見の宗教的啓蒙映画にもなっています。
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塩野七生著『ローマ人の物語』記:映画『クオ・ヴァディス』ローマ大火はキリスト教反ローマ立場で大げさに

2011-02-26 21:31:45 | 日記
今日の続々編日記は、映画『クオ・ヴァディス』(1952年製作 マーヴィン・ルロイ監督 ロバート・テイラー デボラ・カー ピーター・ユスティノフ主演)で皇帝ネロの命令で西暦64年起きたローマの大火のことです。添付した写真は、その映画シーンです。
この映画は、ヘンリク・シェンキェヴィチの原作『クオ・ヴァディス』を忠実に再現しているので、当然原作通りローマの大火は新都「ネロポリス」を建設する為、部下に命じてローマ市内に放火したと、皇帝ネロの狂った悪行を描いています。
しかし、この「ローマ大火の皇帝ネロ犯人説」には、歴史的な確固たる証拠はなく、原作者ヘンリク・シェンキェヴィチの個人的な宗教的見解(キリスト教徒には皇帝ネロは教徒を迫害虐殺した悪行人)だと、私は思っています。
私の愛読書、塩野七生著『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち(四)・20巻』(新潮文庫版)にも、このローマの大火に関する記述があります。以下に、その該当する箇所を引用・掲載します。
『出火当時、ネロは夏の暑さを避けて、ローマからは50キロ南にある海岸の町アンツィオの別荘に滞在中だった。ローマでの火災は、その翌日に知った。知るやネロは、二頭の馬に引かせた馬車を駆って、アッピア街道を北上し首都に入った。エスクィリーオの丘にある別荘は無事だったが、そこに落ちつくことなど、二十六歳の皇帝は考えなかった。被災者対策の陣頭指揮をとったのである。ネロの口からは次々と命令が発せられ、それは迅速に確実に実行された。・・現在の研究者たちの間では、建造物の被害はすさまじかったが、人的被害のほうは少なかったとするのが大勢である。映画「クオ・ヴァディス」での描写は、キリスト教という反ローマの立場からのものゆえ大げさになったのかもしれない。』
私もその塩野七生氏の見解にまったく同感です。皇帝ネロは焼けたローマの再建計画(塩野氏はこの著書でその計画に伴う発表された条例を明記)では、火事に強い快適でより美しいローマを建設しようとしているからです。
やはり、歴史映画はその原作に逆らうことはできず、このような解釈「ローマ大火皇帝ネロ犯人説」になったのでしょう。特に、敬虔なキリスト教徒が多い欧米社会ではいかしかたない処置であったと、私はある程度好意的な映画製作の見方をしています。
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