天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『韓国人のしくみ・理と気で読み解く文化と社会』マルセ太郎談日本人と韓国人の飛行機墜落時反応違いに共感

2012-08-29 21:32:44 | 日記
今日の日記は、今読んでいる小倉紀藏著『韓国人のしくみ <理>と<気>で読み解く文化と社会』(2001年刊・講談社現代新書)で語っている在日韓国人の芸人・マルセ太郎の日本人と韓国人の”飛行機が落ちたときの反応の違い”です。
添付した写真は、その著書の表紙です。
この著者は、ソウル大学哲学科博士課程を修了した韓国学研究者で、現在は京都大学の教授(専門は韓国哲学、韓国文化社会論)です。その彼が11年前に出版した韓国人論がこの本書です。
この著書の中で、私がとても共感した興味深い記述がありました。在日韓国人の芸人・マルセ太郎が、母国人について語った薀蓄のある言葉です。以下に、その記述を抜粋・引用掲載します。
『芸人のマルセ太郎氏(私注:1933年12月6日~2001年1月22日:大阪府出身のパントマイム芸人)は在日韓国人です。彼は、日本人と韓国人とでは、飛行機が落ちたときの反応がまるで違う、といいます。日本人の遺族はどんなに悲しくてもしくしくと静かに泣く。・・ところが韓国人の遺族は感情を爆発させて、おいおいわあわあと大声で泣き叫ぶ。その場に航空会社の職員などが顔を出そうものなら、遺族たちは赤鬼のような顔をしてどなり散らし、職員のネクタイをしめ上げて、たいへんな騒ぎとなる。このような感情の表出の違いを、小さい頃から恥ずかしいと思っていた、とマルセ太郎氏は告白します。「日本人は感情を抑えて上品だ。それに較べて韓国人は感情を抑えない。これは下品なんだ」と思っていたのだ、というのです。・・これは社会の階層構造の問題でもあります。・・韓国の民衆は、<気>のみ<気>のままで生きていたわけです。この民衆層は、当然感情を露骨に表す層です。・・これに対して、日本は、明治以降の「国民の意識上での武士化」によって、特に都市部においては、庶民までが「感情をみだりに表出させない」という<理>を注入されました。・・泣かない。感情を表出しない。そういう美徳が、徹底的に教化されたわけです。その違いが、感情の表出の違いになっているのは明らかです。』
この”感情の表出の違い”は、日本映画『サンダカン八番娼館 望郷』での大女優・田中絹代の抑えた哀しみに満ちた演技と、従軍慰安婦と名乗り出た韓国人女性のとてもオーバーな表情での抗議パフォーマンスの違いにも、如実に良く顕れています。
また、この韓国人女性のオーバーな表情での抗議行動を、韓国の大手新聞紙は”明らかな証拠”と短絡的に決め付ける始末です。その間違った韓国のジャーナリズム姿勢には、著者が指摘した”明治以降の日本の「国民の意識上での武士化」によって、庶民まで尊重した<理>”を、私は全く見出せません。
だから、この韓国人を正しく解説したこの名著を読んでいて、私は、日本人とは全く違う韓国人の悪しき国民性が良く判りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田急線中吊『STOP暴力!どんな理由があろうとも暴力に言い訳は許されない』を首魁と劇場関係者に捧ぐ

2012-08-27 21:48:53 | 日記
今日の日記は、本日夜、会社帰りの小田急・江ノ島線の車内で見つけた中吊広告『STOP 暴力!』のことです。添付した写真は、警察庁・国土交通省が作成したその広告です。
この意見広告には、警告の文言『駅や車内での暴力行為は犯罪。どんな理由があろうとも暴力に言い訳は許されない。お客様同士はもちろん、駅係員・乗務員への暴力行為は警察等の出動を要請する場合もあります。』が、しっかりと記載されていました。
これは、最近の交通機関での車内暴力事件の多発を受けて、警察庁と国土交通省が共同して、交通機関を利用する乗客に注意・警告する為に、啓蒙用ポスターを作成したものです。そして、その警告用の文言を車内で読んでいて、私は某ストリップ劇場で親衛隊首魁が引き起きた暴力事件の顛末を、ふと思い出しました。
このポスターの警告用文言には”どんな理由があろうとも暴力に言い訳は許されない”としっかりと記載されていますが、首魁のシンパらは、その暴力を起こした動機(ステージで騒いでいた酔っ払い客を実力行使で注意しただけ)に深く同情し、事件の犯人である首魁を不問にしています。また、この劇場関係者も、何故か彼を注意・叱咤・劇場出入禁止にしないで、そのまま何事も無かったように曖昧な対処しているみたいです。
一般社会とは違った特殊で閉鎖的な世界だからなのか?この中吊り広告のような毅然たる再発防止を図る正しい対応が、暴行事件を起こした親衛隊首魁に未だに向けられていません。逆に、某ストリップ劇場関係者とこの親衛隊首魁とは、何か悪しき癒着が有って、一般客には完全に悪いと思える存在(親衛隊首魁)を、劇場から切り落とすことが全く不可能なのかも知れません。
これは、一般社会とは全く解離した悲しく不健全な事後処理です。私は、警察庁と国土交通省が作成した警告文”どんな理由があろうとも暴力に言い訳は許されない”を、親衛隊首魁と某ストリップ劇場関係者に衷心より捧げたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

従軍慰安婦登場20年前から『サンダカン八番娼館望郷』有セネカ名言”難しいは憎悪消去教育”を支援GLに

2012-08-26 09:18:05 | 日記
今日の日記は、”からゆきさん”を扱った日本映画『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年製作 山崎朋子原作 熊井啓監督 栗原小巻 高橋洋子 田中絹代主演)のことです。
添付した写真は、その映画の1シーンの3カットです。上段は、ルポライター役の栗原小巻が”からゆきさん”元娼婦・老婆役の田中絹代から昔話を聞いてしているところです。その他は、田中絹代のアップシーン(私注:この演技で彼女は、第25回ベルリン映画祭で最優秀主演賞を受賞)です。
最近の私の日記の「韓国人女性従軍慰安婦」に関連して、私が過って劇場で鑑賞して感動した名作映画『サンダカン八番娼館 望郷』を、今懐かしく思い出しています。
日本には、1990年台に唐突として従軍慰安婦問題が世論を賑わす20年前に、山崎朋子氏が、”からゆきさん”(東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性で長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在、「から」は、ばくぜんと「外国」を指す言葉)を扱った『サンダカン八番娼館』を出版していたのです。その原作を、映画化したのが本作品です。
だから、日本軍が海外進出した15年戦争(私注:学者・吉見義明氏の表現)期には、既に、民間業者が経営する立派な娼館が、海外各所に存在していたのです。また、娼婦は朝鮮人女性だけの”専売特許”では全く、日本人女性が大多数であり、それら日本人女性は、韓国人女性と違い、国家に決してその補償を求めてなどしていません。
また、大阪市の橋下徹市長が、従軍慰安婦問題について「軍に暴行・脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」と述べたのも、これら立派な施設が存在している歴史的事実が、その根拠となっていると、私は強く推察しています。
しかし、これに反発した市民団体「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」は24日、大阪市役所を訪れ、橋下市長あて公開質問状『私注:橋下市長発言は「事実に反するばかりか、女性の人権をないがしろにする看過できない重大な問題を含んでいる」として、謝罪と発言の撤回を要求。その上で、慰安婦の募集や移送などに強制性があったことを認めた93年の河野洋平官房長官(当時)の談話を批判する根拠などの説明を求めている。回答期限は1週間以内。』を提出しています。
この支援市民団体は、この名作映画『サンダカン八番娼館 望郷』を全く観ていないから、”軍に暴行・脅迫を受けて連れてこられた確固たる証拠が有る”と頑な主張しているのです。
古代ローマ帝国の有名な哲学者セネカ(BC4年~AC65年)の名言に、”やさしさや愛情を育てる教育は、それほど難しくはない。ほんとうに難しいのは、残虐さや憎悪を消し去る教育である。(「怒りについて」より)”があります。
今、韓国人や彼らを支援するグループに強く求められているのは、この2,000年も前に、この現在の国際紛争「韓国人女性従軍慰安婦」を、適切に予言した哲学者セネカの名言を、良く咀嚼することです。そして、客観的に国際社会が強く納得するより冷静な対応を執ることです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『戦後歴史学用語辞典』で”従軍慰安婦”を軍が主体で創設運用と完全解明断定した吉見義明氏見識を強く疑う

2012-08-24 21:14:45 | 日記
今日の日記は、今読んでいる木村茂光監修・歴史科学協議会編『戦後歴史学用語辞典』(東京堂出版・2012年7月初版刊)に書かれた「従軍慰安婦(文責:吉見義明)」のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書を、私はネット紹介で見つけ、その解説文”用語の意味・定義が確立するまでには、長い期間にわたる研究の成果や研究者間での論争を経ています。歴史用語についても新たな史料の発見や、研究成果などを踏まえて長い期間をかけて定義づけがされてきています。研究発展のためには単に用語の意味を把握するだけでなく、どのような議論を経てきたのか、といった点を踏まえた上で理解することが必要です。そこで本書では、古代から現代までの全時代を対象として、歴史学研究の重要なテーマ300項目を取り上げ、その概略・提起者・概念・論争の経過や影響、現在の状況を詳細にまとめました。歴史学研究者にとって必携の事典です。”の、巧みに購買意欲を掻き立てる誘導に負けて、この辞典(本体5,200円+税)を購入してしまいました。
この辞典の執筆者は、180人もいて、その分野の専門家が分かりやすく解説しています。しかし、近現代の「従軍慰安婦」を執筆した吉見義明氏(1946年生まれの歴史学者で、中央大学商学部教授<日本史>日本の戦争責任資料センター代表)だけは、偏見のある自説を強く主張しており、まったくこの項目の正しい解説にはなっていませんでした。
私は、この彼が記述した独善的な解説を何故、この監修者たちがそのままま掲載を許した?のか、今とても強い憤りを抱いています。以下に、その問題の記述の一部を引用・掲載します。
『従軍慰安婦とは何か 十五年戦争期に、戦地・占領地で日本軍の監督・統制下に置かれ、軍人・軍属の性の相手をさせられた女性のことである。・・日本政府は当初、民間業者が勝手に作ったものと主張していたが、軍が主体となって創設・運用したことは完全に解明された(吉見95、吉見・林95)。・・最近「植民地責任」論が注目されるようになったが(永原09)、主に植民地や占領地の女性が「従軍慰安婦」にされた問題の研究を深めると、新たな歴史像が構成される可能性がある(宋・金10)。』
彼は、”従軍慰安婦は、軍が主体となって創設・運用したことは完全に解明された”と断定しています。しかし、その根拠となったものは、日本陸軍の資料「陸支密大日記」に閉じ込まれていた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(昭和13年3月4日、陸軍省兵務局兵務課起案、北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長宛)だけです。その内容は、「内地にて、民間業者が誘拐まがいの方法で、慰安婦を募集することの疑いで、官警の取調べを受けたり、みだりに軍の名を使って慰安婦募集をする民間業者がいるので、そういうことのないよう軍と地元官警でしっかり管理するように」という内務省管轄をよく指導するようにとの通達事項です。(引用文献は、ウィキペディアによる)
その内部通達が、何故?軍が強制的に慰安婦を募集し創設・運用したことになるのか、私には甚だ疑問です。私は、彼の学者としての見識を強く疑います。
そして、このような胡散臭い資料を鵜呑みした朝日新聞や吉見義明氏は、亡国奴と言うべき輩です。私は、辞典の正しい意味合いを完全に放棄した『戦後歴史学用語辞典』の編集者に、今完全に失望しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ル・クレジオ映画を語る』著者は雨月物語の娼婦を”戦争中日本軍に連れ去られた朝鮮人女性境遇と同じ”と

2012-08-22 21:16:39 | 日記
今日の日記は、今読んでいる映画評論J・M・G・ル・クレジオ著『ル・クレジオ、映画を語る』(中地義和訳・河出書房新社2012年3月刊)で語られた日本映画『雨月物語』でのとても気になる”ある表現”のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著者J・M・G・ル・クレジオは、1940年南仏ニースに生まれた小説家で、2008年ノーベル文学賞を受賞したフランスを代表する著名な文化人です。
その彼が、自分の観た映画を鋭く評論した著書を、私は今自宅で読んでいます。その評論した映画の中で、多くのページを割いて解説しているのが、溝口健二監督の代表的な名作『雨月物語』(1953年製作 京マチ子 水戸光子 田中絹代 森雅之 小沢栄太郎主演)です。
その日本映画をとても深く理解したフランスノーベル賞作家の私がとても気になった記述を、以下にその著書から抜粋・引用します。
『溝口は、ともに戦のテーマの変奏であるふたつの併行した物語を圧縮している。源十郎(私注:森雅之)の義弟藤兵衛(私注:小沢栄太郎)もまた、その野心と虚栄心の犠牲者である。藤兵衛は、戦で栄光と富を獲得しようとして、妻阿浜(私注:水戸光子)を捨てる。・・柴田軍の兵士たちによる阿浜の凌辱シーンはきわめて粗暴で、他のいかなるシーンよりもまざまざと戦のおぞましさを語る。凌辱は、彼女の夫が冒険を探し求めている町から遠からぬところ、鳥のさえずるロマンティックな風景のなかで起こる。凌辱のあと、阿浜は彼女を犯した武士からひと握りの銀貨を受け取り、娼婦となる。”第二次世界大戦中に、日本軍によって連れ去られたという朝鮮人女性たちの境遇と同じである。”・・藤兵衛が手に入れたばかりの侍の地位を買いかぶって得意になる一方、阿浜は娼婦に身を落とすのであるが、そのとき彼女は次のような苦い言葉を吐くー人生の成功はみな、不幸を代償としているー』
私は、この名作映画を最近再鑑賞しているので、著者の鋭い指摘には大いに賛同しています。しかし、”第二次世界大戦中に、日本軍によって連れ去られたという朝鮮人女性たちの境遇と同じである。”という記述には、私は全く同意できません。
この朝鮮人女性の従軍慰安婦に関連して、昨日、大阪市の橋下徹市長は、『慰安婦という人たちが軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない。もしそういうものがあったというなら、韓国の皆さんにも出してもらいたい。』と述べています。私も、橋下徹市長の意見に強く共感しています。
だから、この著書を読んでいて、このフランスの著名な文化人の記述に、強い不満を抱きました。しかし、この文化人は、何の根拠もなしに、全世界に深く蔓延している<朝鮮女性を日本軍が強制連行して従軍慰安婦にした>との間違った史実を、単に鵜呑みしているだけだと私は思っています。
だから、橋下徹大阪市長のような世界的に影響力のある人が、この間違った歴史的行為を是正するような言動を広く発信することは、全世界に対して日本の正しい姿を見せることになり、とても重大かつ重要な発言です。
そして、フランス人小説家のJ・M・G・ル・クレジオ氏も、橋下徹大阪市長の意見に耳を傾けて、この自著に書かれた間違った歴史的表現を、私は”早いうちに”是非とも修正・改訂してほしいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする