天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

貧困女性実態調査・支援の高尚な偽名出会い系バー通いを厳重注意さる前川前次官は実名の私と違い保身で中止

2017-05-27 11:42:46 | 日記
今日の日記は、出会い系バー通いをしていた前文部科学省事務次官・前川喜平氏の事です。
読売新聞の5月22日朝刊社会面『前川前次官出会い系バー通い・文科省在職中、平日夜』で、「前川前次官は、文部科学審議官だった約2年前からこの出会い系バーに通っていた。平日の午後9時頃にスーツ姿で来店することが多く、店では偽名を使っていたという。同席した女性と交渉し、連れ立って店外に出たこともあった。店に出入りする女性の一人は”しょっちゅう来ていた時期もあった。値段の交渉をしていた女の子もいるし、私も誘われたことがある”と証言した。昨年6月に次官に就いた後も来店していたといい、店の関係者は”2~3年前から週に1回は店に来る常連だったが、昨年末頃から急に来なくなった」と話している。」と、報道されていました。
私の新聞報道記事で、前川喜平氏が”昨年末頃から急に来なくなった”のは、本人の行動を強く抑える何か外部的要因があったのか?と想像していましたが、その読売新聞の報道では全く触れられていませんでした。
しかし、その外部的要因が、本日の読売新聞記事の『前川氏に厳重注意・出会い系バー問題』の菅官房長官の記者会見ではっきりと分かり、私の疑問は完全に氷解しました。杉田和博官房副長官から、次官在職中に出会い系バーに出入りしたとして、”厳重注意”を受けていたからです。
また、この前次官は、自身の記者会見で、その出会い系バー通いを認め、その動機を貧困女性の実態調査で、お金を渡して支援したと述べています。しかし、彼はこの店では自身の身分を隠し、偽名を使っていたのです。そのような”社会的弱者?”を支援する”高尚”な目的なら、何故、正々堂々と実名で入店しなかったのか?私には全く理解できないです。
何故なら、私も、同じ様に所属する組織(私は企業・彼は役所)から、趣味だったストリップ劇場通いを注意された経緯があったからです。しかし、何もやましい思いのない私は、その劇場でも、応援していた踊り子さんには本名で接し、決して偽名(他の愛好者は偽名が大多数)を使用しなかったです。その私の純粋な思いが悪用され、ある踊り子さんの一部悪質親衛隊らから所属企業へそのストリップ通いを理不尽にも密告され、ストリップ劇場通いがその後出来なくなりました。そして、その状態が現在も続行中(1年間延長された)です。
私のような一介の管理職でもないサラリーマンは、断腸の思いでその趣味を止めたのですが、最高実力者の事務次官にまでなった前川喜平氏は、その”厳重注意”を受けても、自ら高尚の理念”貧困女性の実態調査で金を渡して支援”を強く訴えて、出会い系バー通いを続行しても良かったはずです。でも、彼は自らの保身を優先し、その行為を止めてしまいました。
この行為をみると、前文部科学省事務次官・前川喜平氏の人間性がはっきりと分かると、私は強く得心しました。だから、そのような卑怯な彼が、加計問題の「怪文書」を「本物」と主張しても、私は全く共感しません。逆に、「再就職あっせん問題」で処分された自身の恨み・「趣旨返し」としか私には思えません。
そして、人間の価値は、その勤めていた場所の受けた役職とは、全く無関係と強く得心しました。
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『昭和天皇実録第十二』昭和33年11月27日皇室会議本人と正田家心労が極めて大きかったが内諾を得ると

2017-05-21 09:44:03 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいる『昭和天皇実録第十二 自昭和三十年至昭和三十四年』(2017年3月・東京書籍刊)で書かれた皇太子殿下(今上天皇)御成婚の事です。添付した写真は、その著書の表紙です。
最近、秋篠宮殿下の長女眞子様のご婚約報道がありました。今回のこの報道に比べて、昭和三十三年七月から皇太子殿下の御妃に関する報道では、当時の昭和天皇実録記録によると、とても慎重かつ重大な慶事であったと、私はこの著書を読んで、得心(注:その当時、私は幼稚園児で微かな記憶しかない)しました。以下に、その著書よりその該当箇所を、一部引用掲載します。
『・昭和33年7月23日(水曜日):宮内庁長官宇佐美毅・東宮大夫鈴木菊男・侍従職小泉信三参与の拝謁を受けられ、約1時間30分にわたり皇太子妃選考の説明を皇后と共にお聞きになる。なお翌日、日本新聞協会加盟の各社は、皇太子妃選考の正式発表までの自主的報道規制を決定する。
・昭和33年11月13日(木曜日):宮内庁長官宇佐美毅の拝謁を受けられる。去る8月下旬、正田美智子を皇太子妃として迎えたい旨を正田家へ内々に申し入れたところ、同家では事の意外に驚き、これを固辞する。しかし、その後の話し合いの結果、この日ようやく正田家より内諾を得る。またこれらの経緯、及び2か月半の間、本人はもとより正田家の心労が極めて大きかったことなどが27日の皇室会議において説明される。
・昭和33年11月21日(金曜日):夕刻、宮内庁長官宇佐美毅の拝謁を皇后と共に受けられる。長官より、この日正田家に赴き皇太子との婚約につき申し入れを行い、同家よりお受けする旨の得たことをお聞きになる。
・昭和33年11月27日(木曜日):午前10時より東の間において皇室会議が開催される。・・宮内庁長官より議案説明として、正田美智子を皇太子妃として最もふさわしい方と考え、皇太子の意志も伺い、8月中旬に天皇・皇后のお許しを得たこと、ついで同月下旬、正田家に内々に申し入れを行い、11月13日ようやく同家より内諾を得たことなどの経緯が述べられる。・・それより質疑応答を経て、全会一致をもって可決される。・・午後、正田英三郎・同夫人富美子、並びに美智子の拝謁を皇后と共に受けられる。
・昭和34年1月14日(水曜日):皇太子結婚式中納采の儀が行われる。
・昭和34年3月17日(火曜日):宮内庁長官宇佐美毅より、来る4月10日皇太子明仁親王が正田美智子と結婚の礼を行うことが告示される。また、当日を休日とする法律が公布・施行される。
・昭和34年4月10日(金曜日):皇太子結婚式が行われる。・・お皇太子の結婚につき、次の御製あり。
「あなうれし神のみ前に皇太子のいもせの契りむすぶこの朝」
「皇太子の契り祝いて人びとのよろこぶさまをテレビにて見る」』
この当時の事は、私には微かな残像(休日だったのかも含めて)としてか残っていませんが、改めて振り返ってみると、隔世の感を強く抱きます。その皇太子殿下と美智子妃のお孫さんの眞子様のご婚約が、今話題になっているからです。
しかし、報道自主規制があった当時の世相が変わって、誰でも社会に発信できるインターネット世界の現代では、今回婚約を迎える御両人に、大きなご負担を発生しかねない危惧を、私は抱いています。さらに、当時の美智子妃の御両親の御心労を思うと、今回のマスメディア報道も大きな責任があると痛感しています。
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『復刻版教科書帝国地図大正9年』第二〇圖「海流圖・附帝國絶島」に尖閣諸島と竹島の表示有領土問題資料に

2017-05-20 14:50:31 | 日記
今日の日記は、今自宅で見ている帝国書院著『復刻版教科書・帝国地図 大正9年』(2017年4月帝国書院刊)に描かれた日本固有の領土の尖閣諸島と竹島の事です。添付した写真は、その第二〇圖「海流圖」(附帝國絶島)です。
私が学生だった時(注:まだ教科書無償配布が開始される前だった)、教科書以外に社会科の地理授業の際必ず必要な副読本の地図帳を購入させらました。その地図帳は、大手出版社の帝国書院作成のものだったです。その当時からそれだけ権威(名前の古めかしい)があったと、私は思っていました。そして、毎年更新出版されるので、3歳年上の兄が持っていた古い地図帳では、全く役に立たず、仕方なく書店で買った記憶(注:母親からもらった書籍代を私はケチろうと思った)があります。
そして、今年出版された大正9年(1920年)版の『帝国地図』を見て、当時の日本領土範囲が、明確に図示されている事に今気が付きました。その海流図には、当時委任統治地であったマリアナ諸島の内、グアム島だけ(米領)と記載されています。しかし、記載されている帝國絶島「尖閣諸島」と「竹島」には何も記載なく、当時から日本から日本帝国の領土と政府が認めていた事がわかります。
でも、その竹島北方の絶島には、欝陵島(松島)とあり、二つの島名表示がされています。これは、日韓併合(1910年)後、韓国領だった「欝陵島」を日本名の「松島」と追加表示した為と思われます。それほど、当時の日本国は良心的な国際国家だったのです。しかし、この海流図にも「日本海」と表示されていますが、何ら根拠なく悪漢国家の独立した韓国は「東海」と、別呼称を国際社会に不法に訴えています。また、中華人民共和国は「尖閣諸島」を古来固有の自国領土と不法に主張しています。
だから、日本政府は、このすぐ隣の卑劣な悪漢2国家に、この帝国書院著『復刻版教科書・帝国地図 大正9年』を、反論資料として必ず見せるべきです。さらに、国際社会にも強く訴える必要があると、私は確信しました。


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『昭和天皇実録第十一』陛下は64年前昭和28年4月1日朝鮮戦争休戦提案中共声明見通しを外務大臣に質す

2017-05-14 14:48:40 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいる『昭和天皇実録 第十一 自昭和二十五年至昭和二十九年』(2017年3月・東京書籍刊)で書かれている「朝鮮戦争の休戦」のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
本日、北朝鮮は、日本海に向けて弾頭ミサイルを発射しました。でも、日本政府に比べて、悪漢国家・韓国(特に融和政策を取る新大統領だから)は、それほど危機感を持っているように、私には見えません。また、韓国の国民も、普通の生活しており、韓国メディアは前回の発射における日本の交通機関の過剰な対応を、批判までしています。
しかし、朝鮮半島は分断された二国家が、未だに戦争状態(一応休戦ではあるが)にあることを、悪漢国家の韓国民は、全く失念しているようです。たまたま、この『昭和天皇実録 第十一 自昭和二十五年至昭和二十九年』の昭和二十八年(注:私が生まれた年で今年で休戦64周年目に当たる)の記述を読んでいて、この北朝鮮の挑発行為のニュースを目にしました。以下に、昭和天皇もこの朝鮮戦争を御心痛された御様子を、一部引用掲載します。
『・4月1日(水曜日):去る3月30日に発表された中華人民共和国国務院総理周恩来の「中共声明」(朝鮮戦争の休戦を提案)に関する見通しなどについて、外務大臣の意見をお聞きになりたい旨を仰せられる。
・5月13日(水曜日):侍従次長稲田周一の拝謁を受け、休戦成立後の動向、日韓協約締結のための条件に関する大韓民国大統領李承晩の意見などについて、話題にされる。
・6月9日(火曜日):侍従次長稲田周一をお召しになり、朝鮮戦争の休戦会談のこと等につきお話になる。なお、朝鮮戦争の休戦会談は本年7月27日に行われ、国際連合軍UNC代表のウィリアム・ハリソン・ジュニア(米国陸軍中将)と、朝鮮人民軍及び中華人民共和国人民志願軍代表の南日(朝鮮人民軍大将)が休戦協定に調印する。』
その頃は、まだ昭和天皇は和平等の外交に関する政務に御関心があり、晩年ような政務には一切タッチしない姿勢とは違い、生々しい御真情が伺えます。また、休戦協定を結んだには現場指揮官であり、国家元首ではないのです。だから、休戦状態が64年間も続いたのは奇蹟といってよいでしょう。
このような、歴史的事実は当事者である韓国では、国民に教えていないでしょう。だから朝鮮戦争を全く知らない若い世代は、融和政策を取る候補者を新大統領に選んだのです。
休戦64年目を迎えた今年は、何か朝鮮半島に動乱が起きる可能性があります。でも、隣国の日本政府(注:特に稲田防衛大臣「実録でも同姓者が登場」の真価が問われる)は、毅然とした態度で、この分断された朝鮮民族(北朝鮮と韓国)に対応するべきです。そして、昭和天皇を大王と呼び捨てている悪漢国家を助ける筋合いは全くないです。
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国賊・吉見義明中央大学名誉教授は韓国女性被害犯罪4件だけで朝鮮人女性が誘拐・人身売買されたと曲解結論

2017-05-13 09:08:59 | 日記
今日の日記は、日本人の名誉を著しく毀損した国賊・吉見義明中央大学名誉教授が執筆している『歴史を学ぶ人々のためにー現在をどう生きるか』(東京歴史科学研究会編・2017年3月岩波書店刊)が自著の中で展開している全くお粗末な歴史的事実の捉え方です。添付した写真は、その著書の表紙です。
国連の某お粗末機関が、2015年の慰安婦問題の最終的かつ非可逆的合意をした「日韓合意」の見直しを勧告してきました。この全くナンセンスな国家的屈辱犯罪を広めた国賊・吉見義明中央大学名誉教授(2017年に”名誉教授”?に昇格)は、またこの自著の中で、当時韓国人慰安婦が数十万人(自説で主張)いたとされる売春婦の中で、「朝鮮人女性が誘拐あるいは人身売買された」との意見に歴史家・秦郁彦氏が同意したという【根拠】のたった朝鮮人女性の犯罪数4件を、最重要歴史的事実として自説の正当性を主張していました。以下に、その吉見氏の見解を著書より、引用・掲載します。
『日本大学元教授の秦郁彦さんは僕の論争相手で、二回、直接対決したことがあります。その討論の中で確認できたのは、朝鮮人女性が誘拐あるいは人身売買されたということについては、【意見の違いはない】ということです。秦さんが書いた「慰安婦と戦場の性」(新潮社、1999年)の「慰安婦はどのように集められたか?」という部分では、秦さんが信頼性が高いと判断して選んだものが挙げられていますが、誘拐と人身売買に該当するケースが【多く(私の注釈?)】含まれます。(朝鮮人女性の誘拐が3件、人身売買が1件、日本人女性の誘拐が2件、略取相当が1件)』
この指摘された日本人と朝鮮人の合計被犯罪件数7件の内、韓国人女性は4件だけです。日本人と朝鮮人の民族的な差別は全くないのです。さらに言えば、内地でも東北地方の貧農の娘は、女衒に連れられて外地に慰安婦(「からゆきさん」)として駆り出られていたのです。国賊・吉見氏は、この日本人女性「からゆきさん」の存在を全く無視して、韓国人慰安婦数十万人の内、違法に集められた慰安婦4件(4名か?)の拡大化し、全ての韓国人慰安婦が違法に日本軍隊によって集めてられたと、曲解解釈し、正しい歴史的事実を著しく捏造しています。
こんな歴史家?吉見義明氏に、ナチスドイツの戦犯該当者800万人がほとんど無罪になったドイツ戦後処理を問いただしても、全く馬耳東風でしょうが、万国に認められる歴史的事実は、正しい数値が存在してこそ、その正当性が検証されるのが、歴史観の【正論】です。
だから、この国賊吉見義明氏を自大学の”名誉教授”にした中央大学の全く非常識な見識に、私は今大いに疑問を抱いています。
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