久々の今日の日記は、今自宅で読んでいる三谷博著『維新史再考』(2017年・NHK出版刊)で書かれた明治維新内乱の事です。添付した写真はその著書の表紙です。
今年2018年は、1868年に起きた明治維新から150年目を迎える節目の年です。私が中学二年生だった維新100年周年の1968年(昭和43年)の頃よりも、大きな祝賀イベントは計画されていませんが、過去を振り返る重要な節目の迎える年です。そして、2月10日読売新聞朝刊コラムの五郎ワールド・『「維新の盛意」貫徹したか』(特別編集委員・橋本五郎)でも、この著書『維新史再考』を取り上げていました。
この著書から、私が印象的だった記述を以下に抜粋引用します。
『戊辰内乱は、同時代に起きたアメリカ南北戦争や普仏戦争にくらべば小規模の域に留まった。アメリカ南北戦争は約五間続き、その戦死者は61万人余りに上った。普仏戦争は期間10カ月ほどで戊辰内乱とさほど変らないが、死者の数はドイツ側が約4万5千、フランス側が約14万5千ほどであった。死者は約1万3千余人だった戊辰内乱は、戦争自体の規模として大きいとは言えないだろう。しかし、その政治的・歴史的意味は大きかった。』
この戦死者の低さは、橋本五郎氏は自身コラムでは、『維新を主導した人々が政治参加の主張を認める「公儀」「公論」によって、戦争を回避しようとしたからだ。』と述べています。全く私も同感です。その精神は、その後の新政府の政策指針『五か条御誓文:広く会議を興し、万機公論に決すべし』に良く反映されていると思います。また、騒乱が長く続けば欧米列強諸国の属国になるとの危惧もあったと強く思っています。さらに、遡れば聖徳太子の定めた『十七条憲法』の日本人的な精神国家観に辿り着くとも確信しています。
今年は北朝鮮の暴走による国際紛争激化が予想されます。このような国際的危機状況に置いても、この国内での無駄な騒乱は防ぐ必要があると、私は痛感しています。北朝鮮の国難に対して、一糸乱れぬ行動を日本人は海外に示す必要があるからです。その指導的立場である安倍首相は、その重責を強く自覚していると思います。だから、私は安心してその行動を支援したいと思っています。
今年2018年は、1868年に起きた明治維新から150年目を迎える節目の年です。私が中学二年生だった維新100年周年の1968年(昭和43年)の頃よりも、大きな祝賀イベントは計画されていませんが、過去を振り返る重要な節目の迎える年です。そして、2月10日読売新聞朝刊コラムの五郎ワールド・『「維新の盛意」貫徹したか』(特別編集委員・橋本五郎)でも、この著書『維新史再考』を取り上げていました。
この著書から、私が印象的だった記述を以下に抜粋引用します。
『戊辰内乱は、同時代に起きたアメリカ南北戦争や普仏戦争にくらべば小規模の域に留まった。アメリカ南北戦争は約五間続き、その戦死者は61万人余りに上った。普仏戦争は期間10カ月ほどで戊辰内乱とさほど変らないが、死者の数はドイツ側が約4万5千、フランス側が約14万5千ほどであった。死者は約1万3千余人だった戊辰内乱は、戦争自体の規模として大きいとは言えないだろう。しかし、その政治的・歴史的意味は大きかった。』
この戦死者の低さは、橋本五郎氏は自身コラムでは、『維新を主導した人々が政治参加の主張を認める「公儀」「公論」によって、戦争を回避しようとしたからだ。』と述べています。全く私も同感です。その精神は、その後の新政府の政策指針『五か条御誓文:広く会議を興し、万機公論に決すべし』に良く反映されていると思います。また、騒乱が長く続けば欧米列強諸国の属国になるとの危惧もあったと強く思っています。さらに、遡れば聖徳太子の定めた『十七条憲法』の日本人的な精神国家観に辿り着くとも確信しています。
今年は北朝鮮の暴走による国際紛争激化が予想されます。このような国際的危機状況に置いても、この国内での無駄な騒乱は防ぐ必要があると、私は痛感しています。北朝鮮の国難に対して、一糸乱れぬ行動を日本人は海外に示す必要があるからです。その指導的立場である安倍首相は、その重責を強く自覚していると思います。だから、私は安心してその行動を支援したいと思っています。