天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

結婚容認の秋篠宮様「結婚と婚約は違う」は結婚を生活基盤充実後せず不明のお二人への納采の儀不認御決議?

2020-11-30 13:59:15 | 日記
今日の日記は、本日55歳になられた秋篠宮様の会見で、長女眞子様結婚問題で語ったお言葉の事です。以下に、私がとても印象に残ったお言葉の一部を引用・掲載します。
『結婚することを認めるということです。これは憲法にも、結婚は両性の合意のみに基づいて、というのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというほうに考えています。あくまでも私の主観になりますけれども、感じとしては決して多くの人が納得し、喜んでくれている状況ではないというふうに思っています。・・特に、結婚と婚約は違いますから、結婚については本当にしっかりした確固たる意志があれば、それを尊重するべきだと私は思います。』
私は、この眞子様と小室圭さんの結婚問題に関して、自身の日記:2019年1月25日付『「古代ギリシアの暮らし」当時男子結婚平均”30歳”で27歳小室圭さんは3年間勉学励み弁護士資格取得を』同年5月8日付『小室圭代理人弁「弁護士なる言ってない」私日記「弁護士資格取得を」と真逆で秋篠宮殿下から引導を渡して』でも話題にしています。
先日の眞子様の結婚決意表明を受けて、誕生日会見で秋篠宮様は不本意ながら、小室圭さんとの結婚を認めたようです。私が期待した引導を渡す行為(結婚を不認可処置)は、憲法違反(注:眞子様は皇族・戸籍無で日本国民ではないが)になるので、結果としては出来なかったのでした。しかし、秋篠宮様は「結婚」と「婚約=納采」は違うと、はっきりと語っています。添付した写真は、「納采の儀」を延期された当時のニュース報道です。
本来なら、結婚するお二人は、結婚する前の重要な皇室行事「納采の儀」は、小室圭さん自身、無収入の学生である身分を考慮して、私が指摘したように「弁護士資格取得」が実現した後と、御決意表明の時に、その時期を明確に示すべきでした。何も示さなかったのは、お二人は夫になる小室さんの生活基盤充実整備など全く歯牙にもかけないほどの特権的な身分になると、勘違いされているのでしょう。
しかし、一般庶民は、婚約=結納(注:天皇家の納采がルーツ)では、新郎側からは月給の3倍程度の【結納金】を新婦に贈与する風習があります。私自身も1983年結婚に当たり前年の結納の時、当時の月給の3倍(100万円)を結婚する相手に渡しています。現在、学生の無職である圭さんは、その結納金をどう処理するつもりだったのでしょうか?。私は、その彼の言動に全く不可解さ(元婚約者から借りた学費同様に結納金も踏み倒すつもりか?)を今強く感じています。
その言動の不可解さを秋篠宮様も同様に感じており、『【結婚と婚約は違う】ので、「納采の儀」は現在は認めない』との、全くの私見ながら、私は今推測・解釈しています。
事実、フジTV「とくダネ」(注:私は未見)でフジ皇室担当・橋本氏は「眞子さまと小室さん、儀式を行わずに結婚される可能性あり」と言及しています。
このような秋篠宮殿下の並々ならぬ御決意をお二人が聞いても、今でもお互い早く結婚したいと思うなら、もう皇室とは一切縁を切って、自由な一般市民として生活される事を私は強く望みます。
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韓国主張【東】海は方位でなく【朝鮮】と「東学党の乱」で知り日本海表示は国家主権問題と得心韓国に不敗を

2020-11-25 11:28:53 | 日記
今日の日記は、昨日「日本海の地名表示」に関して、韓国中央日報がNET報道した東海研究会会長の談話「東海という海と名称に対する愛は人類の普遍的価値」で、はっきり分った私の間違っていたその根拠由来の事です。
また、17日に韓国外務省報道官は『国際水路機関(IHO)総会の「日本海」単独呼称を継承する暫定承認が、確定したものではなく、今後も「東海」の表示拡散の基盤を拡大する』とも語っています。添付した写真は、その問題化している英語版海図表示です。
私は、この「日本海」表示に関する日本と韓国との国際紛争に関して、韓国が主張する名称「【東】海」を、当初その韓国の領土から見て、【東】の方位にある海からだと勝手に解釈していました。だから、何故、そんなに中国の東側の海の「東シナ海」のような主張をするのか?私には理解できなかったです。
しかし、前にも紹介した著書『世界哲学史5』第8章「近代朝鮮思想と日本」の著者小倉紀蔵氏の記述で、【東】とは、【朝鮮】との意味だったと、恥ずかしながらよく分かりました。単なる「方位」が問題ではなく、その属する国家・「日本」「朝鮮」間の問題だったのです。以下に、その著書から、その関連記述の一部を引用掲載します。
『かって「東学党の乱」と呼ばれた1894年の「甲午農民戦争」の主導陣営が、東学の信奉者だったが、1980年代から韓国で左派の民衆史観が勢いを得、東学に脱近代の思想を見出して、その部分を高く評価する動きが活発化している。東学が、「西洋の学に対して東(朝鮮)の学」という意味であるからである。』
私は、高校時代の歴史教科書で、日清戦争に関係して朝鮮半島で発生した「東学党の乱」の事件名記述があり、それが「甲午農民戦争」に変更された事を全く知りませんでした。このような最近の歴史教科書の事件名表示変更(注:【東】とは朝鮮の事で、中国から見て東側にあるからでその持つ国家思想が埋没してしまう)は、大いに問題があると思います。
そして、私は、いまだ韓国の事を全て知っているわけでないとよく分りました。さらに、この海図表示問題は、単なる呼称問題ではなく、国家間の主権問題と、今強く得心しています。だから、日本政府(外務省)は、未だに「東海」を主張し続ける悪漢国家に負けないで欲しいです。そして、その結果、喧嘩になって韓国と国交断絶になっても構わないと私は思ってします。
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文藝春秋六月号コラム映画『白痴』原節子写真「芝山氏は美貌天賦・石井氏表情で演技」に昔紹介した私は納得

2020-11-15 09:18:51 | 日記
今日の日記は、中央区区民センター図書室から借りてきた雑誌・文藝春秋六月号に掲載された記事『「原節子生誕100年映画ベスト10』で、芝山幹夫さん(評論家)と石井妙子さん(ノンフィクション作家)が、対談で語った私がとても共感した原節子の映画俳優像の事です。以下に、石井さんがベスト1と高評価し、芝山さんが8位とした映画『白痴』に関して、二人が語った言葉の一部を引用・掲載します。
『・芝山:黒澤作品、ドストエフスキー原作の「白痴」では、見ていて振り返った瞬間、夜叉の顔になる豹変の演技でした。有力政治家に囲われている娼婦役ですが、悪魔的で、物狂いが目に出ている。あの原節子を見るだけでも価値がある。個の力が強い。
・石井:冒頭で、町の写真館に原節子のポートレートが飾られているシーンがありますね。写真の中の、その表情だけでもう演技になっている。
・芝山:あの美貌は、もう天稟とか天賦の才としか言いようがない。
・石井:黒澤は小津とは異なる、原節子の魅力を引き出した。私は黒澤作品の原節子に強く惹かれます。』
この二人が語った映画『白痴』(1951年製作)でのそのシーンを添付しました。中央の写真館ウィンドウに原節子のポートレートがあり、左側に三船敏郎、右側に森雅之が映っています。冒頭から、この作品の主演者三人を描き出している黒澤監督のとても巧みな演出です。
私は、この映画『白痴』での原節子ポートレートの事を、自身の日記でも既に、皆さんに紹介しています。それは、2011年11月24日付『映画「白痴」登場する写真館ウィンドウに飾られた原節子写真なら盗み出そうとガラス割る不心得者出現と得心』で、趣味だったストリップ劇場の入口宣伝用ウィンドウのガラス破損事件(2006年6月24~25日:土日かけて発生)と絡ませて、その破壊犯人の行動の不可思議さを話題にしました。その破壊事件からもう14年以上も歳月が流れ、その間私自身の周辺でも、いろいろと事件がありました。
でも、私が9年前に話題した原節子写真に関して、芝山さんが【原節子の美貌は天賦】と語り、石井さんは【表情だけで演技になる】と高く評価しています。映画を真摯に観る人には、その映画評価はまったく同じになると、このコラムを読んで私は強く得心しました。
だから、これからも私が心に残る映画を、皆さんに紹介していきたいと思います。
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『世界哲学史3中世Ⅰ』阿部龍一著「日本密教の世界観」万象を一点に含むが真言に得心し日本学術会議会員に

2020-11-06 15:29:14 | 日記
今日の日記は、札幌自宅で読んでいる『世界哲学史3・中世Ⅰ超越と普遍に向けて』(ちくま新書2020年3月刊)の第10章日本密教の世界観(阿部龍一著:ハーバード大学東アジア言語文化学部教授)で書かれた私が強く共感した真言宗の「真言」の意味です。添付した写真は、その著書の表紙です。
この章の著者は、同大学ライシャワー日本研究所日本宗教担当教授でもあり、前にはコロンビア大学宗教学部長を務めた、とても博識に富む人文学者です。私は今まで、全くの不勉強で、このような立派な功績のある方を存知あげていなかったです。この著書の中で、空海(774~835)が開祖である平安期に始まった宗派『真言宗』の「真言」の意味を、著者はとても分かりやすく解説しています。以下に、私が深く共感し得心した記述の一部を、少し長くなりますが引用・掲載します。
『空海を「世界哲学史」の視野から思想家として捉えるとき、東アジア全域で初めて仏教を中心に据えて、儒教(律令制度)がそれを補佐するという構想を立ち上げ、平安初期朝廷で実現させたことである。・・密教の根本経典「大日経」には、ある文字からは無数の意味が算出されるありようを、空海は「真言」と規定している。では、その文字に無限の意味を生み出すような力が具わっているのだろうか。空海は「真言とは、言語一般が成立する原初的過程を明らかにする特殊な言語だからだ」と説明する。・・分りやすく説明すると「風」に関する国字である「凪」、「凩」、「颪」などで、他の言語文化圏では区別されない大気の動きが、日本語ではあたかもそれらが本来自然に存在していたかのように意識され用いられる。つまり言葉と物の関係は、儒教の正名の理論(「論語」第十三篇の問答)のように、もともと存在する事物に正しいラベルを貼っていくような単純なものでなく、空海によれば、言葉と物は同時発生的にその根源で結びついている。具体的に言うと、「凪」という一文字の中に、言葉で表現できる全ての他事象(連想される場所・時間等)をその連環として映し出しているのだ。このように読むとき、「凪」は、そして他のどんな言葉も、「万象を一点に含む」【真言】として機能すると、空海は説く。』
私は、今までこの「真言」を宗教的な意味合いで、単純に「呪文」のように捉えていました。しかし、その解釈は一側面であり、筆者の指摘する「万象を一点に含む」意味あいの深い言語的な言葉であると、今良く分りました。筆者は、密教を単なる宗教を捉えず、幅広く哲学・思想(慶応義塾大学経済学部卒・ジョンズホプキンス大学国際関係論修士等幅広い分野で勉学)として空海を考察しているから、このような鋭い卓見に達したのだと私は思います。
そして、このような博学で見識のある阿部龍一氏(1954年生まれ)の方を、「日本学術会議」の新会員メンバー(海外在住の為推薦人はいないか?)に、会議事務局は推薦(注:全世界な俯瞰的立場にピッタシのお方)すべきだったと、私は今強く思っています。
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長年映画界に貢献し逝去した名優ショーン・コネリーさんの遺族に来年アカデミー受賞式で特別賞授与を要望す

2020-11-01 15:30:43 | 日記
今日の日記は、31日に亡くなったイギリス・スコットランドが生んだ名優ショーン・コネリーさん(1930~2020年・享年90歳)が数々の主演した映画で演じた「真の男」を鑑賞した私の懐かしき思い出です。
私は、コネリーさんとは、1964年007シリーズ第3作『ゴールドフィンガー』を横浜のB級映画館で初鑑賞して以来、半世紀以上の長年の大ファンでした。最初は、とてもかっこいいスパイ役(007シリ-ズ5作品)どころだけでしたが、70年代中盤からそのイメージチェンジを図り、『オリエント急行殺人事件』『ロビンとマリアン』などに、アクションスターではなく演技俳優として出演されました。当時の私は、コネリーさんの重ねた年齢から湧き出るその男の風格に、自分自身もこのような「男」となりたいと強く思ったものでした。
そして、その集大成というべき作品である1986年仏・伊・独製作『薔薇の名前』・1987年米製作『アンタッチャブル』で見事に開花したのでした。『薔薇の名前』では、英国アカデミー主演男優賞を、『アンタッチャブル』では、米アカデミー助演男優賞をコネリーさんは受賞されています。添付した写真は、その映画『薔薇の名前』での修道院回廊を歩くバスカヴィルのウィリアム修道士(フランシスコ会所属)役のショーン・コネリーさんです。
この映画『薔薇の名前』は、私は劇場で拝見したのではなく旧テレビ朝日系で放映した「日曜洋画劇場」でTV鑑賞した作品でした。当時の私は、西洋の中世時代の事はあまり詳しくなく、中世は単なる暗黒時代としか考えていなかったのです。しかし、この主人公・修道士の中世的とは言えない合理主義的な思考にとても驚いたものでした。だから、それからもっと歴史の知識を習得しなければと思い、原作本を読破し様々な中世歴史書を買い求め始めました。そして、今でも私のその勉学は続いています。
また、ショーン・コネリーさんの母国スコットランドは、イギリスの一部でもありながら英国国教会の勢力より、カトリック派教会の方が支持されているから、この『薔薇の名前』のウィリアム修道士役(原作でも英国人)の役オファーを、コネリーさんも快く承諾したと思っています。
さらに、2000年にナイト爵の称号をエリザベス女王から授与される時も、母国のスコットランド民族衣装で現れたそうです。このような、バリバリの「スコットランド独立主義者」(その政治思想を嫌悪する映画人もいる?)のショーン・コネリーさんは、2006年アメリカ映画協会「生涯功労賞」を授与されていますが、何故か?映画界の最高権威アメリカアカデミー協会の特別・名誉賞をショーン・コネリーさんは今年まで受賞していません。
だから、アメリカアカデミー協会の会員の皆さんに、私からの衷心よりのお願いです。来年のアカデミー受賞式に、死後であってもショーン・コネリーさんの長年の映画界の貢献に報いて、アカデミー特別・名誉賞を遺族の息子さんに手渡してほしいです。
そうなれば、天国にいるショーン・コネリーさんもきっと喜んでくれると私は思います。そして、私は数々の名作を残してくれたショーン・コネリーさんのご冥福を、私は地上の日本・札幌よりお祈りします。
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