天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

明智憲三郎著『本能寺の変431年目の真実』謀反真相を土岐氏再興とすが信長により磔の母親お牧の方触れず

2019-12-27 16:42:37 | 日記
今日の日記は、今札幌別宅で読んでいる明智憲三郎著『本能寺の変431年目の真実』で書かれている謀反の真相での光秀の母親(お牧の方)を完全に無視した著者の御先祖様への全くの非礼言動です。添付した写真は、その著書(2016年6月初版・文芸社刊)の表紙です。
私は、この著書のタイトルに惹かれて、この歴史本(来年の大河ドラマへの投稿資料にもなるか?期待して)を読んでいます。この著者は、光秀の子・於づる丸の子孫と称しており、明治以後に名字を明智姓にした一族で1947年生まれの歴史家です。
彼は、巷間言われている信長への怨恨説(注:彼は、新聞の三面記事史観とこれら全てを嘲笑する)を完全否定して、織田信長が徳川家康を本能寺で謀殺する計画の当事者であったが、信長を裏切って、光秀の出身本家の「土岐氏の再興」と「信長の唐入り野心を防ぐ」為の事前によく計画された政治的な行動と断定しています。
いろいろな考えを持って魔訶不可思議な学説を唱えても、全く個人の自由です。しかし、その根拠を、読んだ人が合理的な判断と、完全に納得しなければ、全くの絵空事の話です。以下に、著書の主張に、私の個人的な意見を具体的に述べます。
1:信長が盟友である家康を謀殺する必要はない。:いくら下克上の時代でも、信長は家康の長男を自害させており、家康が信長を謀殺する理由はあっても、自身の使い易い隣国武将を殺す理由は全くない。
2:土岐氏再興が信長謀殺と直接の因果関係がない。:信長が土岐氏をどう処断していたか不明です。直接の因果関係は何もないです。逆に、著書では「信長のせいで光秀の母親が殺されたので恨んだ」と怨恨説の一例として取り上げていますが、この母親(注:お牧の方:大河ドラマ「麒麟がくる」では歌手の石川さゆりが演じる)に関しての考察を、何もしていません。著者の先祖も土岐氏なのだから、お牧の方はどうなったのか?読者に書くべきでしょう。でも、これに触れると、著者の否定した怨恨説を認めることになるで、私の推測ですが、一切書かなかったのでしょう。
3:家康が光秀を裏切る事は思慮できるが、この二人の軍事同盟が著者の指摘「義」であったとは、全くの見当違い:下克上の戦国世界では、「義の人」は石田三成と大谷𠮷継、上杉景勝と直江兼続ぐらいしかいないです。狸おやじと言われる家康に、光秀がそれを期待する訳がない。
4:信長の唐入り野心を防ぐ為に、謀殺する根拠が乏しい:信長は未だ日本統一を成し遂げていないのに、何故、短絡的にそのような愚行を光秀が犯すのか?私には理解できない。
この著者は、巷間いわれている三面記事史観を真っ向から否定するから、その論理が完全に破綻していると私は思っています。そして、来年の大河ドラマ「麒麟がくる」に登場する「お牧の方」の描き方によって、脚本家の持つ光秀史観がはっきりと分かるでしょう。でも、私はそのドラマを鑑賞しないですが。


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2,000回目投稿記念:2008年8月20日盆興行楽日西野さゆき・匠悠那嬢よりつがい鶴図柄振袖頂戴す

2019-12-21 14:32:46 | 日記
今日の今年冬至前大安の日記は、2009年8月19日私のブログ開設以来3,776日目の、ちょうど投稿2,000回目になる記念版です。
その投稿は、このブログ日記の開始趣旨でもあったストリップ界の踊り子:西野さゆき嬢・匠悠那嬢(注:両名共、既に引退されているので、今回は記念版に付き芸名表示)から、2008年8月20日某渋谷劇場楽日で頂戴した、ステージ演目用衣装の一部端切れ(色打掛の振袖)の事です。
添付した写真は、その頂戴した着物で、つがいの鶴と赤や紫・肌色の牡丹を色鮮やかに描いた振袖の一部(横35cm・縦45cmの着物一部で、ステージ写真と照合すると西野嬢衣装のものか?)です。その図柄の鶴は「鶴は千年」と言われますが、頂いた鶴はつがいですので、二千年になります。だから、今回の2,000回目に、とても相応しいと思い私は投稿しました。また、鶴は私の名字の一部なので、より深い因縁があります。
この11年と4か月前の某渋谷劇場のお盆興行(「夏祭りでありんす」のスペシャルチームショー)で観劇した西野さゆき嬢(2003年9月13日初鑑賞以来、2009年5月10日突然の引退まで240回観劇)と匠悠那嬢(2003年9月27日初鑑賞以来、2009年8月8日予期せぬ劇場追放まで212回観劇)は、ほとんど同時期に私が強く応援していた踊り子さんです。私がストリップ劇場の理不尽な追放が無ければ、匠悠那嬢の観劇回数は、引退した西野さゆき嬢の240回観劇記録を軽く抜き去ったと、今でも私は確信しています。
「継続は力なり」と巷間いわれますが、当時の私は、それほどまでもストリップ界の踊り子嬢に夢中(当時はまだ天命を知る齢だったからより精力的)になっていたのです。今では、当時の劇場での私の行動・出来事を思い出しては、「昔は元気だったな~」と感嘆する始末ですが。
でも、この振袖の図柄の御目出度い長寿の「つがいの鶴」と「百花の王」と呼ばれ富貴や幸福の象徴される「牡丹」を、二人の応援していた踊り子嬢から私は頂戴したのです。だから、私は元気印をもう一度出して、ブログ日記の3,000回投稿を目指して一層奮起したいと、今強く決意しています。


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春日武彦著『老いへの不安』落すパンを棚に戻す老人目撃エピソードは池袋母子殺害事故被告元高級官僚と思う

2019-12-11 14:12:54 | 日記
今日の日記は、今年4月19日に都内東池袋駅近くで自動車事故を起こし11月12日自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で書類送検された元通商産業省職員(当時87歳)の17年前に起こした行動ではないかと、私が強く思い起こした今札幌別宅で読んでいる書籍『老いへの不安 歳を取りそこねる人たち』の著者の目撃エピソードです。
添付した写真は、その著書(著者:1951年生まれ精神科医・春日武彦:2019年6月初版・中公文庫版:原書は2011年4月朝日新聞出版刊)の表紙です。
この元職員は工業技術院の院長にまでなった高級官僚ですが、昼に予約していたレストランのフレンチに間に合わなくなりそうになったので、猛スピードで速度を上げて、前の車を追い越しながら進み、交差点では、ブレーキを踏むどころか、間違ってアクセルを踏み込んでしまい、渡っていた母子二人を死亡させた交通違反男です。でも、警察の事情聴取では、ブレーキが利かなかったと全くの虚偽証言をし、「高齢者にとって安全な車を作ってほしい」と自分の行為を棚に上げて、逆にその前職らしい自動車業界への【注文】をしている卑劣な人間です。
たまたま、この著書「第2章 鼻白む出来事【パン屋での出来事】」の著者の目撃体験エピソードを読んでいて、この登場した一人の老人は、約17年前の元通商産業省職員ではないか?と、私の勝手な判断ながら強く思い込みましました。以下に、その一老人の行動をその著書から一部引用・掲載します。
『もう十年近く(私注:2002・3年頃か)前の話である。新宿にあるデパートの地下のベーカリーへ立ち寄った。土曜日の午前、比較的空いている時間帯であった。その場で、一人の老人が目に入った。70歳くらいの男性であろうか、薄青いジャケットを着た外見は、金銭的にも生活にも余裕があることを窺わせていた。お気に入りのレストランでワインを傾けつつ【フレンチ】を楽しんだり、紅葉の季節になると妻と箱根湯本温泉に二泊くらい出掛けるのを習慣にしていてもおかしくない風体である。その彼が、一斤のイギリスパン(スライスされていないカタマリ)を床に落としてしまったのである。その事態に、わたし以外、不思議なことに店員も客も誰も気付いていないようであった。彼はあわててパンを拾い上げた。焦っていたのだろう、トンクを使わず素手でパンを掴んで盆に戻していた。そして、イギリスパンが並べてある棚に戻って、今度はトングを使ってその落としたパンをさっと棚を戻し、別なイギリスパンを新たに自分の盆へ載せた。そして何事もなかったようにレジの列へ並んだのである。他人ならば、床に落ちたパンを食べても構わないというのか。そこまで自分勝手なのか。彼はこうした不慮の事態においてこそ、その外見に相応しい「品のある老人」としての身振りを示す義務があると思う。ああいう老人を指して「馬齢を重ねる」と称するべきではないか、と私は甚だ不快に思ったのであった。』
私もこのエピソードを読んで、著者と全く同感です。この無駄に馬齢を重ねた老人は、戦後の食糧難の自らの体験を全く失念放棄して、美食の世界に自らを埋没させています。さらに、他人にはその世界には干渉させず、食当たり(でも、その可能性は皆無だが)になってもいいと、自分勝手に判断しています。
私は、今回の事故を起こした元高級官僚の17年前の姿(お気に入りのレストランでワインを傾けつつ【フレンチ】を楽しむ)を見た思いがしました。そして、食あたりどころか、母子二人の尊い命を奪っていながら、遺族に真摯な謝罪がないのは、人間としての失格者「全く品性の無い老人」だと、私は今強く思っています。

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本能寺の変で嘘付く明智光秀選ぶNHK製作者はその代役条件を時代劇経験有と平然と嘘を付き私来年番組見ず

2019-12-08 13:52:56 | 日記
今日の日記は、来年大河ドラマ『麒麟がくる』主人公を私の『男の美学』実例人物と全く正反対の武将「明智光秀」にしたNHK番組製作者らしい濃姫の代役女優決定結果の事です。
私は番組発表の時、この大河ドラマの主人公に一度も登場したことのない、織田信長に抜擢された武将の「明智光秀」に選んだことに、とても違和感を持ち続けていました。時代劇の歴史上の人物のその生き様をテーマにするなら、その時代に生きた人物の行動に共感するところを見いだせなければ、ドラマ化する価値はないと、私は思っています。そして、この「明智光秀」は私の人生信条の『男の美学』に全く反する人物です。だから、今でもこのNHK番組製作者の選んだ人物題材には、全く納得できません。以下に、私の人生信条の『男の美学』を記載します。
Ⅰ.男は決して嘘をつかない。(武士に一分はあっても、二言はない。)しかし、時として男は真実を隠す例外も有り。(例)『南部坂 雪の別れ』で『瑤泉院(阿久里)』に対する『大石内蔵助良雄』
Ⅱ.男の喧嘩は素手でやる。(お互いに対等な条件で勝負する。)(例)男の理想像を描いた名作映画『静かなる男』(1952年アメリカ製作)での主人公『ジョン・ウェイン』
Ⅲ.男は決して友を裏切らない。(例)『関ケ原の戦い』での『石田治部少輔三成』に対する『大谷刑部少輔吉継』 『銀河英雄伝説』での同盟軍リーダー『ヤン・ウェンリー』に対する『ワルター・フォン・シェーンコップ』
Ⅳ.男は対戦相手に義を見つければ、その勝負の勝ちを相手に譲る。(例)『安宅の関』での義経・弁慶主従の『弁慶』に対する関守『富樫』 『聖闘士星矢(十二宮編)』での『ペガサス星矢』に対する金牛宮・黄金聖闘士『アルデバラン』
Ⅴ.女子と小人は養い難し、されど男はどんな仕打ちを受けても、弱音を吐かない。(例)あまりに現実的すぎて、特定の人物を挙げることは不可能 
この項目で明智光秀は、条件の3項目で全く相反する行動をしています。「Ⅰ.男は決して嘘をつかない。」では、本能寺の変で家臣には嘘を付いて中国の羽柴秀吉援軍に行くと言いながら、途中で信長暗殺の為、京都に向かっています。「Ⅱ.男の喧嘩は素手でやる。」では、本能寺の変で無力の信長に大軍にて殺害しています。だから、全く対等な条件ではないです。「Ⅲ.男は決して友を裏切らない。」では、友ではないが、抜擢し引き上げた恩義のある信長を完全に裏切っています。
以上の項目違反で、私は明智光秀に人間としての魅力を全く感じないです。もし、まだ題材にされていない戦国時代の武将を選ぶなら、私の具体例として挙げた『大谷刑部少輔吉継』にしてほしかったです。
この題名の『麒麟がくる』は、「仁政を行う王の元に現れる伝説の動物「麒麟」が由来で、麒麟が何者で如何にして何れの英雄の元に現れるのかを問いていく」と番組製作者は解説しています。この論理でいくと「麒麟」とは明智光秀の行動を引き起こした原動力と、NHK番組製作者は真剣に考えているかもしれないです。
延暦寺僧侶大虐殺や光秀の人質母親を殺した原因を造った悪逆非道の改革家・織田信長に天誅を加えたと、能吏型の故事礼典に秀でた武将「明智光秀」を、仁政を行う義士と番組製作者は考えているかも知れないです。でも、私はその考えに全く共感しません。
さらに、この番組製作者らは、濃姫の代役条件としては「時代劇の経験があり、乗馬ができ、その所作が時代劇に相応しい女優」とマスコミに公言していました。しかし、その人選結果は、事前の報道とは全く食い違い、時代劇経験の全くない女優を選んでいます。番組製作者は、世間に大きな嘘を言っていたのです。私が推薦した新川優愛(注:私はその条件を知る前に強く押していた)は時代劇『大富豪同心』の経験が有りより相応しいと私は思っていました。添付した写真は、同番組で刀を構えた新川優愛(時代劇の様・所作になっている)です。
でも嘘を付く「明智光秀」を選んだNHK番組製作者は、平然と嘘を付くこと(結果として時代劇経験関係なし)に、何ら罪悪感を感じないでしょう。だから、時代劇ファンの私でも、この来年放映される『麒麟がくる』を決して見ないです。
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カエサルのクレオパトラ出会いは映画『クレオパトラ』絨毯内包説よりプルタルコスの寝具袋隠れ説が現実的と

2019-12-05 16:24:47 | 日記
今日の日記は、今読んでいるプルタルコス『英雄伝5』で書かれたカエサルとクレオパトラとの出会い記述と米映画『クレオパトラ』(1963年製作:ジョーゼフ・L・マンキーヴィッツ監督 主演エリザベス・テイラー)で描かれた巻かれた絨毯から突如として登場した女王の大きな違いの事です。
添付した写真は、その映画の一場面で、解かれた絨毯から突如として現れた妖艶なクレオパトラ(エリザベス・テーラー当時30歳)が、カエサルを見つめる有名な劇的シーンです。そして、右上隅にその巻かれた絨毯の一部が見えます。
私は、この映画をリバイバル上映公開(1970年冬)の時、劇場の大スクリーンで見ましたが、この絨毯から出て来たエリザベス・テーラーに、とても驚いた記憶がありました。はたして、生身の柔肌の女性を、固く頑丈に織られた敷物に巻くことが可能?かどうか、全く確信が持て無かったからです。
でも、このプルタルコスが書いた「カエサルとクレオパトラとの出会い」の記述を読んで、その疑問は氷解しました。以下に、その著書からその記述の一部を引用・掲載します。
『クレオパトラは、侍従の中からシキリア出身のアポロドロスひとりを供に従え、小さな舟に乗り込んだ。王宮では、人目を避ける手当てがなかったので、寝具袋の中にもぐり込んで体をいっぱいに伸ばし、アポロドロスがその袋を紐で縛ったうえで、戸口を抜けてカエサルのもとに運んだ。いきなり見せられたこの奇策に、カエサルはとても驚いた。そして、クレオパトラの妖しい魅力に憑りつかれたカエサルは、その後も彼女の艶美な物腰にすっかり負かされてしまい、弟との和解と共同王位の実現に自らが尽くしてやったのだと伝えられている。』
このように、寝具袋(麻製で人間一人は十分入れるスペース有り)「寝具袋隠れ説」の方が、長く大きな絨毯で包む「絨毯内包説」より、私はより現実的と思えます。しかし、一部の歴史家ら(ウッキ辞書によると)の「古代エジプトでは、贈り物や賄賂として宝物を絨毯に包んで渡す習慣があった。」との「絨毯内包説」をこの映画関係者たちが採用して、映画『クレオパトラ』では、ロール状の絨毯から突如としてクレオパトラが登場したのです。この方が観客に見せる映画では、より劇的な効果があったと私も認めます。女王クレオパトラは、エジプトに凱旋したカエサルに、宝物ではなく自らの身体を贈った事になるからです。
でも、紀元一・二世紀に生きていた歴史家プルタルコスが1963年にタイムスリップして、この映画『クレオパトラ』を観たら、どんな感想を持ったか?私は今、興味深々です。
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