天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

2020年夏季五輪招致を実現し1964年に私が体験した高揚感を大震災後生れた子供達にも実感してほしい

2011-06-17 22:32:41 | 日記
今日の日記は、石原慎太郎東京都知事が2020年夏季五輪の開催地に立候補表明したことです。以下に、その朝日新聞ネットニュース(2011年6月17日20時5分配信)より引用・掲載します。
『・・2020年の夏季五輪招致、都知事が再挑戦の意向表明・・2020年夏季五輪について東京都の石原慎太郎知事は17日、都議会の所信表明で「(東日本大震災の)被災地をはじめ広く日本全体とスクラムを組んで東京にオリンピック・パラリンピックを再び招致することを考えていただきたい」と述べ、招致を目指す意向を表明した。石原知事は、1964年の東京五輪が戦災からの復興を国際社会に示したものだったと回想。20年五輪についても「9年後の日本の姿を披瀝(ひれき)すれば、世界中から寄せられた友情や励ましへの何よりの返礼となる」と話し、大震災からの復興を招致のテーマに掲げる考えを示した。リオデジャネイロに敗れた16年五輪招致では、世論の支持が高まらなかった経緯がある。それを踏まえ、「国やスポーツ界、経済界など国家の総力が結集され、機運が盛り上がることが不可欠」として、各界に協力を呼びかけた。』
添付した写真は、五輪招致を目指す意向を表明した石原慎太郎都知事(17日、東京都新宿区の都議会)です。
石原都知事が指摘した「1964年の東京五輪が、戦災からの復興を国際社会に示したものだった」に、私も強く共感します。47年前に行なわれた東京オリンピックの時、私はもう小学5年生だったから、その当時のことを今だに鮮烈に覚えているからです。
10月10日(土)の開会日は、前の日まで降っていた雨も止んで、早朝から晴天でした。当日の昼過ぎに行なわれる開会式を実況放送するNHK番組を、自宅のテレビで見るため、私は学校から急いで帰宅した思い出もあります。
そして、その東京オリンピック開催日に間に合うように、突貫で新幹線や東名高速道路が整備されていく工事も、子供ながらとてもワクワク興奮する毎日の出来事でした。何故なら、その当時は、世界の檜舞台にデビューする敗戦国の日本を、すべての国民が強く応援した社会(子供だった私も含めて)があったからです。
それから、半世紀近くの歳月を経て、皆国民がとても豊かになると、個人の価値観も多様化しました。そんな全国民の共通的な高揚感を望むのも、もう無理かもしれません。
しかし、前回の招致を失敗した時と違い、今回は東日本大震災の復興を掲げるという世界に対する大義があります。被災地の方々は、現在はまだ心のゆとりもなく、そんな気持ちにまでならないでしょう。でも、開催時期はまだ9年後の2020年です。だから、私は全国民がこの9年後のオリンピック招致に賛同・応援して、開催実現を是非勝ち取ってほしいです。
何故なら、私が体験したワクワクした高揚感を、今年大震災後誕生した子供たちにも9年後再び実感してほしいからです。
コメント
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