今日の日記は、今札幌別宅で読んでいる菊地章太著『阿修羅と大仏』(2014年幻冬舎ルネッサンス新書)で書かれている源信の言葉と、本日日韓従軍慰安婦問題で安易な妥協した安倍首相へのとても深い危惧です。添付した写真は、その慧眼に満ちた著書の表紙です。
この著書の第二章「當麻寺サンセット浄土曼荼羅」で、奈良盆地の西のはずれにあって浄土の夢をつむいだひとりの女性の物語がその信仰をささえてきた當麻寺を、著者は、曼荼羅絵にして解き明かしていき千年もの時を経て、現在も深く日本人に信仰されていると、興味深く説いています。そして、当時の浄土教・宗教家の源信は、「横川法語」に次のよう語っています。以下に、その言葉等を引用・掲載します。
『「思うことがかなわぬのは世のつねではないか。せめても夢を物語にしてつむがずにはいられない」と。それは、フィクションにまみれている。けれども、それにしがみつかないでは生きていけない。物語が必要になるそのとき、事実など取るに足らないものになる。現実を乗りこえるほど物語が大きな意味をもってくる。極楽浄土の夢をつむいできた中将姫の物語を人々は信じた。信じることに自分をつないできたのである。』
まるで、同じく仏教伝搬の影響を受けた韓国に生きている慰安婦女性の心境を千年前に、日本人宗教家・源信が言い著わしているのに、私は強い衝撃を受けました。とても鋭い洞察力です。
朴大統領も恨みは千年経っても消えないと発言しています。事実など取るに足らないもので、事実(捏造ではあるが日本軍に強制連行された)と受け止めないと生きて行けないのです。
いくら、安倍首相が、被害者ビジネスに屈し10億円もの巨額見舞金を支払い、子や孫に謝罪させてはいけないと強調しても、この女性たちを韓国社会は悲しき犠牲者と千年経っても尊び続ける(捏造した慰霊施設やその碑文)のは、この千年前の源信の言葉ではっきりしています。
私は、いつも応援してきた安倍首相に、今度ばかりは大いなる失望を抱いています。そして、今後の悪漢国家・韓国の理不尽な動向を注視する必要があります。
この著書の第二章「當麻寺サンセット浄土曼荼羅」で、奈良盆地の西のはずれにあって浄土の夢をつむいだひとりの女性の物語がその信仰をささえてきた當麻寺を、著者は、曼荼羅絵にして解き明かしていき千年もの時を経て、現在も深く日本人に信仰されていると、興味深く説いています。そして、当時の浄土教・宗教家の源信は、「横川法語」に次のよう語っています。以下に、その言葉等を引用・掲載します。
『「思うことがかなわぬのは世のつねではないか。せめても夢を物語にしてつむがずにはいられない」と。それは、フィクションにまみれている。けれども、それにしがみつかないでは生きていけない。物語が必要になるそのとき、事実など取るに足らないものになる。現実を乗りこえるほど物語が大きな意味をもってくる。極楽浄土の夢をつむいできた中将姫の物語を人々は信じた。信じることに自分をつないできたのである。』
まるで、同じく仏教伝搬の影響を受けた韓国に生きている慰安婦女性の心境を千年前に、日本人宗教家・源信が言い著わしているのに、私は強い衝撃を受けました。とても鋭い洞察力です。
朴大統領も恨みは千年経っても消えないと発言しています。事実など取るに足らないもので、事実(捏造ではあるが日本軍に強制連行された)と受け止めないと生きて行けないのです。
いくら、安倍首相が、被害者ビジネスに屈し10億円もの巨額見舞金を支払い、子や孫に謝罪させてはいけないと強調しても、この女性たちを韓国社会は悲しき犠牲者と千年経っても尊び続ける(捏造した慰霊施設やその碑文)のは、この千年前の源信の言葉ではっきりしています。
私は、いつも応援してきた安倍首相に、今度ばかりは大いなる失望を抱いています。そして、今後の悪漢国家・韓国の理不尽な動向を注視する必要があります。