天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

去年9月11日A嬢踊り子情報は私存知”N野さゆき”嬢でなく不知”I原さゆみ”と判明『砂の器』思い出す

2019-04-30 12:14:45 | 日記
平成最後の今日の日記は、去年9月11日某ストリップ大和劇場で応援していた踊り子A嬢から頂いた同僚元踊り子の情報の事です。
私は、その当日彼女から第1回目写真撮影時の会話の際、『私のダンスレッスンの先生から、”さゆぽん”がレッスンに通っていると教えられた』との言葉を頂戴しました。その言葉を聞いた時、私は私が昔応援して10年前5月10日に突然引退した”N野さゆき”嬢と勝手に思い込み、『とても信じられない!』と彼女に返答しました。
次回の撮影時に、確認の為踊り子のフルネームを教えてもらえば良かったのですが、一回目写真の彼女からコメントが全く予期せぬもの(前回の日記を参照の事)だったので、私はその行為を怠ってしまいました。二回目写真の彼女からのコメントにも『”さゆぽん”どうしてレッスン受けてるのかしら?やっぱり踊る事楽しいもんね♡』とあったので、すっかり私は応援していた”N野さゆき”嬢の事だと思い込んでしまいました。
しかし、今年某渋谷劇場の正月公演香盤表に、”I原さゆみ”嬢の名前が掲載されている事に気が付き、A嬢が私に語った、”さゆぽん”は”N野さゆき”嬢では全くなく、”I原さゆみ”嬢だったと、私はようやく得心しました。
A嬢は、昔の”N野さゆき”を、”N野さゆ子”と私へのポラ写真コメントで表現(2018年8月16日付日記『ステージアスリート嬢”アイドル難しい”と評す応援踊り子嬢は私推薦「花しばり」をアイドル的「春の夢」に』を参照の事)したけれど、私は”さゆぽん”という言葉は彼女から一度も聞いた事が無かったです。
また、A嬢はその同僚元踊り子”I原さゆみ”嬢を、私が知っていると判断して、私に話したようですが、彼女の劇場デビューは、私が劇場追放されていた期間中の2014年12月21日です。だから、私は彼女の事を何も知らないのです。さらに、A嬢は私が劇場追放された事(9年ぶりの再会と、私が彼女に復帰後劇場で語ったのだが?)を、全く関心もなく何も知らなかったのです。だから、この私が全く知らない関知しない情報を、何も分からず教えたのです。もう少し慎重な考察が必要だったと、私は今強く反省しています。
そして、この言葉の勘違いのエピソードを目にして、今松本清張著名作『砂の器』で語られる地名”亀田”と”亀嵩”の事を、私は思い出しています。この名作『砂の器』は、読売新聞夕刊に1960年(昭和35年)5月17日から掲載され、当時まだ小学生だった私でもその名作推理小説をリアルタイムで無謀にも読んでいました。
さらに、1974年(昭和49年)製作の映画『砂の器』も、リアルタイムで私は劇場鑑賞もしました。東北弁らしい地名「カメダ」を秋田県「亀田」と勘違いした刑事丹波哲郎は、言語研究所で出雲地方にも東北弁に近い言葉があると知り、ようやく間違いに気付き、本当の地、島根県”亀嵩”に到達したのでした。添付した写真は、その”亀嵩”の石碑です。
昭和時代を生き大いに活躍された丹波哲郎さん・加藤剛さん・緒方拳さんは全て亡くなっておられます。平成の時代が終わろう今日、「平成」の前には間違いなく「昭和」が有った事を、御三方が私に静かに訴えているように、私は今強く感じています。
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客クレームに良所認知されないストリップ劇場の写真でもその写真が卑猥でなければ掲載に何ら問題無しと確信

2019-04-29 12:00:01 | 日記
今日の日記は、昨年9月11日某大和ストリップ劇場で今も現役で活躍している踊り子A嬢から頂いた2ショット写真に書かれた彼女自身のコメントの事です。
その経緯は、2日後の9月13日付日記『私の胃に巣食っている「ピロリ菌」除菌為朝夕2回一週間連続服用約を繰上本日2ショット写真も削除』でも触れていますが、今回私は再びこの件を言及します。
このA嬢は2004年5月30年初観劇以来、劇場追放までに87回・復帰後は10回ほど劇場鑑賞した私が現在まで応援していた唯一の踊り子さんです。その彼女から某大和劇場で、2ショット写真(注:得意なポーズを聞いたらこの写真と答えたので、私はこれしか選択の余地が無かった)に書かれたコメントに、私は大きな衝撃を受けました。以下にコメントを掲載(彼女との写真掲載はもう出来ないがコメントは可能)します。
・第1回目撮影時:”お客さんから言われまして、つるみさんのブログ?踊り子とのツーショット写真のせていると聞きました・・・余り良くないみたいですので、劇場を守る為にも、写真だけ削除して頂きたいです。”
・第3回目撮影時:”つるみさんが他のお客さんに嫌われたりトラブルあったりするの嫌なので写真の削除を宜しくお願い致します🌸”
この出来事が起きてから、私はあれ程好きだったストリップ劇場に一度も出かけて行ってません。何故なら、彼女は、問題となった私のブログ日記を閲覧もせず、”お客さん”(彼女の重要な応援客)から聞いた”余り良くない”の感想だけを鵜呑みにして、彼女との写真掲載を止めて欲しいとの態度だったからです。さらに言えば、私の彼女への応援行動より、”お客さん”からの助言を彼女が選んでしまい、私は、もう彼女への劇場での応援する熱意が一気に冷めてしまったからです。
この”お客さん”の主張する論理根拠は、著作権や肖像権の侵害に基づいているのでしょう。しかし、私は金品を支払い私との写真撮影に同意した踊り子さんとの写真は、私自身の所有物であります。
世間的に良い場所とは決して認知されていないストリップ劇場内での写真とは言え、その写真が卑猥なものでなければ、掲載しても何ら問題はないと、私は強く確信しています。
添付した写真は、ちょうど10年前2009年4月29日に同じストリップ某大和劇場でもう引退してしまった踊り子嬢との2ショット写真(当時はポラロイド写真)です。この写真掲載の何処が良くないのか?、私はこの”お客さん”に問いたいです。
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文春去年12月号五木寛之『ひとりで死ぬことの幸福論』歩んだ道を振り返り後ろを向きながら進むに強く共感

2019-04-28 11:39:51 | 日記
今日の日記は、札幌区民センター図書室から借りた雑誌『文藝春秋・2018年12月号』に掲載された五木寛之投稿の『「ひとりで死ぬこと」の幸福論』で語られたとても印象に残り強く共感した記述文です。添付した写真は、その雑誌の目次です。以下にその共感した著述の一部を引用し抜粋掲載します。
『かっては「人生五十年」と言われたものです。しかし、今では五十歳は人生の前半に過ぎません。人類は九十歳、百歳まで、当たり前に生きる時代になりました。口を開けば「昔はよかった」と言う老人がいて、よく非難の対象になったりしますね。今の流行りで言うならば、昔の話しかしない老人は「生産性がない」なって文句を言われそうです。しかし私は、こういう考えには懐疑的です。人生の後半生は、これまで自分が歩んできた道を振り返りながら、後ろを向きながら進む、いわば「後進」や「背進」が大事です。自分の過去とじっくり向き合う「回想を語る」ことが大事なのです。過去を振り返るという作業は、個人の歴史を検証することです。ひいては、その国の歴史を検証することでもあります。「生産性がないこと」などではなく、むしろ、非常に豊かな行為ではないか。』
昭和7年生まれの五木寛之氏は、私より21歳年長の文学界における人生の達人です。去年再雇用契約が打ち切りになった私は、全く「生産性がない」無職人間になりました。しかし、この五木氏の投稿文を読んで、私自身が始めた過去を振り返るブログ日記の投稿意義を、五木氏が分かり易く説き、その行為は、「非常に豊かな行為」なのだから、これからも長く継続するようにと、私を叱咤激励しているような気が強くしました。
さらに、この過去を振り返る出来事のテーマまで、この雑誌『文藝春秋・2018年12月号』は、私に強く示唆していました。それは、「ヒトは120歳まで生きるか」(注:添付した目次を参照の事)で、高橋淳京都大学iPS細胞研究所教授が、その著述で『脳のなかの黒質という部分には、「ドパミン」と呼ばれる物質を生み出す神経細胞(ドパミン神経細胞)が存在します。』と語っていた事です。
この言葉「ドパミン」は、2007年頃ストリップ客が利用していたネット掲示板で、私が初めて「ドパーミン」と記述投稿したところ、その言葉にネット閲覧客が「ドーパミン」が正しく間違っているぞ!と、私を強く非難した因縁の言葉です。私のブログ日記・2010年5月3日付『私が感じたオーラの変幻自在の変化は、脳内ドーパミン神経とセロトニン神経の熾烈な戦いの所産だったと得心』と3年後の日記・2013年5月13日付『”ドパーミン”騒動から6年の歳月流れ「快楽の脳科学」著者”ドパミン”表現に私は眼から鱗が落ちる気分に』でも、その言葉のお互いの正当性を言及していました。
この「ドパーミン」を全く間違いで「ドーパミン」が正しいと強く主張したストリップ応援客は、この一連の学術用語の流れ(どちらでも無い)を、今どう思っているのか?私はとても知りたいです。しかし、自身の強く信じている事が全て正しいと独善的に主張するストリップ応援客は、私が9年間劇場追放され去年4月末復帰した後の劇場社会でも、今現在も確実に存在します。そのような思想のストリップ応援客が未だに存在する事を、去年9月11日大和某ストリップ劇場で、私が思い知らされたからです。
その詳細は、ちょっと長くなるので次回に掲載します。
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16日メインバンクみずほ1か月定期預金を取引中断中の10倍以上高金利のあおぞら銀行へ徒歩1分移し替え

2019-04-18 10:57:49 | 日記
今日の日記は、4月16日にみずほ銀行からあおぞら銀行へ徒歩1分で移し替えた私の定期預金の事です。
私は、現在無職ですが不動産の家賃収入と企業年金の所得から生活費を除き余った金を、メインバンクのみずほ銀行の1か月定期預金(年利0.01%)にしていました。3月末で200万円にもなりましたが、毎月の利息はたった12~14円でした。現在の低金利の経済状況を考えれば、タンス預金より安全ですこしマシな金融商品でした。
しかし、2014年4月に500万円を1.5%金利の3か月定期預金の為に、新宿支店で口座開設したあおぞら銀行(注:その後取引を中断していた)から5年間経過し今回更新したキャッシュカードが、たまたま藤沢本宅に送られて来ました。
取引中断後、この銀行に私はあまり関心はなかった(注:無職になり、当時の務め先の新宿には、私はもう出かける事もなくなったので)のですが、ちょっとこの銀行のHPを閲覧してみました。そうしたら、高金利の定期預金の商品がHPで紹介されていました。添付した写真を参照して下さい。
普通の都市銀行やゆうちょ・地方銀行でも、横並びで1年定期の金利は0.01%です。それが、あおぞら銀行では0.15%と10倍以上の高金利でした。そして、あおぞら銀行の支店網では、私の藤沢本宅近傍には支店が無い(注:メガバンクは全て湘南台支店有り)ですが、札幌支店が存在している事を知りました。地図検索してみたら、そのあおぞら銀行札幌支店は、みずほ銀行札幌支店とメイン道路を挟んでちょうど向かいあっていました。運よく全く近くに、私の関係するお互いの銀行があったのです。
だから、私は札幌別宅に帰った翌日の16日午前中に、みずほ銀行の1か月定期預金(年金利0.01%)を全て解約して、徒歩1分であおぞら銀行1年定期(年金利0.15%)へ移し替えました。今後も、メインバンクのみずほ銀行普通預金が100万円を超えたら、即引き出して徒歩1分で移動しあおぞら銀行1年定期(利息は税引後1,190円)に預け替えるつもりです。
ANA機内誌の私の初占い運勢では、積極的な投資は控えようとの神託がありました。だから、日銀がマイナス金利を長く継続している事を考えれば、1年間で千円程度の利息(原資は百万円)でも、私にとっては全く”御の字”です。
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今回藤沢本宅帰還目的二つ(ホームドクター健診+統一地方選挙投票)100%近く達成次回は5月30日予定

2019-04-12 13:24:38 | 日記
今日の日記は、今日届いた藤沢市議会議員選挙の投票所入場整理券(裏面:期日前投票請求書)と、私のホームドクター医院で貰った採決血液の生化学検査報告書の事です。
私は、午前中に近くの掛かり付け内科医院で、8日に採決した血液検査報告書(添付した写真の左側)を貰い、前回と同じように治療薬(3種類の生活習慣病)の処方箋を出して貰いました。この今回の検査報告書では、血糖値の数値が107mg/dlとなって、基準値範囲の109mg/dl以下になっていました。毎日の食生活の改善が、功を奏したかもしれません。しかしHbA1cの数値6.7%は、基準値範囲(4.6~6.2%)に収まって収まっておらず、私はより一層の改善を痛感しました。
そして帰宅したら、本宅ポストに21日実施の藤沢市議会議員選挙の家族分の投票所入場整理券(添付した写真の右側が私分のその裏面)が投函されていました。私は、この選挙当日の21日まで、藤沢本宅に滞在するつもりは無く、その前に期日前投票を行うつもりでした。藤沢市HPで調べたら、告示日14日の翌日から期日前投票ができるようです。ですから、15日に、その期日前投票を湘南台市民センター(本来の投票は六会市民センター)で行ってから、札幌別宅に戻る計画です。
だから、その計画案では、今回の藤沢本宅への帰還目的の二つ(ホームドクター健診+統一地方選挙投票)は、もう100%(注:実際の市議選投票実施で100%)近く達成した事になりました。
次回の藤沢本宅への帰還は、単独のホームドクター健診の為5月30日を予定しています。さらに、次々回の藤沢本宅への帰還は、参議員選挙が7月21日実施予定ですので、その日の羽田行き早朝便の予約を、私は既にしています。

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