天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

ギルバート著『中華思想を盲信する中国人と韓国人の悲劇』戦時徴用は国民徴用令の勤労動員で国籍保有者義務

2018-10-31 13:54:33 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいるケント・ギルバート著『中華思想を盲信する中国人と韓国人の悲劇』(2018年2月講談社刊)で書かれている韓国の【戦時徴用裁判】の事です。添付した写真は、その著書の表紙です。
昨日、韓国の大法院(最高裁)は、日本統治時代に朝鮮半島から動員された韓国人元徴用工4人が新日鉄住金を相手取り、損害賠償を求めた訴訟の差し戻し上告審で、同社の上告を棄却しました。それにより、同社に1人あたり1億ウォン(約980万円)の賠償を命じた2013年7月のソウル高裁の判決が確定しました。私も、このソウル高裁の判決について、自身ブログ日記2013年7月11日付『ソウル高裁が強制徴用新日鉄住金に初賠償命令に、もう日韓関係は全く危機的段階で安倍首相は国交断絶覚悟も』で、その強い義憤の思いを投稿しています。興味ある方は再読して下さい。
そして、アメリカ人弁護士であるケント・ギルバート氏も、自身の著書で【戦時徴用裁判】の件を言及しています。以下に、私が強く共感した記述の一部を、ちょっと長くなりますが引用・掲載します。
『韓国側は戦時徴用を「強制労働」だったとして、次々と訴訟を起こしています。・・しかし、戦時徴用とは、法令(国民徴用令)に基づいて行われた勤労動員です。戦時中、朝鮮半島は日本国に属し、朝鮮民族は全員が日本国籍の朝鮮系日本人でした。後に大統領となる李承晩も、日本国籍のパスポートを使って渡米しています。だから、朝鮮人徴用工は、日本国籍保有者の義務として動員されたに過ぎないのです。さらにいえば、朝鮮半島に住む人は日本に住む人より優遇されていました。日本本土では男性は徴兵され、女学生は徴用されていたからです。当時の朝鮮にいた男性は、「同じ帝国臣民のはずが、朝鮮人は志願して難関を突破しなければ帝国軍人になれない。徴兵がないのは朝鮮人に対する差別だ!」と声を挙げていたといいます。徴用工も、憧れの日本に住めて高給が保障されるのですから、大人気でした。それがいまになって、「強制労働をさせられた」などと叫び、謝罪と補償まで求めている。ついには「軍艦島」などという映画まで製作しました。・・韓国は世界中から愛される日本が、羨ましくて憎くて仕方ないのです。まさに小中華思想と「恨」の文化の相乗効果といえるでしょう。・・韓国は言論の自由がない国です。特に日本の統治時代について好意的な意見を述べることは、何があっても許されません。・・日本人は他の民族を見下すような人たちでないと断言できます。これは40年以上にわたって日本で生活してきたアメリカ人たる私がいうのだから、間違いありません。・・韓国はそのような日本に嫉妬し、今後も日本を批判し、攻撃を仕掛けてくるでしょう。しかし、それに負けてはなりません。先人が命を懸けて日本を守ってきたように、いまを生きる日本人にも、自分の力で日本を守るという意識を強めてもらいたい。私は心から、そう願っています。』
日本人でなく、日本に滞在した期間が40年以上にもなる弁護士ケント・ギルバート氏だからこそ、その主張には強い説得力があります。一般的な日本政府等の韓国側への反論の主張は、1965年日韓国交正常化に伴い結ばれた『日韓請求権・経済協力協定』で、賠償請求は既に解決されたというものです。しかし、それだけでは不十分です。
私も5年前に主張していますが、当時の日本人は該当になる者は、すべて勤労動員されていたのです。ケント・ギルバート氏は法律家らしく「国民徴用令」という全国民が守るべき法律を出して、その韓国側が訴える「強制労働」という欺瞞を明らかにしています。そして、当時の日本国籍所有者が、国を相手にして、戦時徴用の違法性を訴えているのは、この当時の韓国系日本人だけです。
また、「李承晩大統領が、日本国籍のパスポートを使って渡米(注:非合法の朝鮮総督府の転覆計画の為)」とのギルバート氏の指摘に、当時の日本政府の健全な朝鮮統治のありかたを、如実に見る思いが私はしました。何故なら、ケント・ギルバート氏が言うように、「日本人は他の民族を見下すような人たちでない」が良くわかる反政府主義者の李承晩の日本国籍パスポート保持のエピソードだったからです。
でも、もうこうなったからには、5年前にも私が指摘したように、安倍首相には韓国との国交断絶も覚悟して、日本人の名誉(ケント・ギルバート氏も同じ趣旨発言)を守って悪しき日韓関係の対処をしてほしいです。
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映画『善き人』大学教授は親友ユダヤ人前で親衛隊【髑髏の指輪】外すが私はストリップ劇場では自身指輪着用

2018-10-30 14:24:08 | 日記
今日の日記は、今藤沢本宅でネット映画鑑賞しているイギリス・ドイツ合作映画『善き人』(2008年製作・日本公開は遅れて2012年1月1日:ヴィセンテ・アモリン監督 ウィゴ・モーテンセン ジェイソン・アイザックス主演)に、登場したナチス親衛隊隊長ムヒラーが造った”髑髏の指輪”の事です。
私は、札幌別宅から藤沢市委託アルバイトの調査最終報告書を提出の為、25日(木)に藤沢の自宅に戻って来ました。藤沢のホームドクターの健診も受けて、手持ち無沙汰な時間を利用して、今無料配信しているこの映画をネット鑑賞しています。
私のブログ日記9月18日付『浜本隆志著「図説指輪の文化史」ナチス・ムヒラー組織結束図る指輪を読みストリップ応援客体質は不変と得心』で、”ナチス親衛隊隊長ムヒラーが造った【髑髏の指輪】を初めて知りました。”と投稿しました。この映画では、その【髑髏の指輪】の実物アップが映し出されています。私はとても驚き、この指輪はとても有名だったのだと判り、20世紀最大の悲惨な出来事での自身の不勉強さを、今恥じています。以下に、その映画での【髑髏の指輪】に関するシーンを含めて詳細に紹介します。
1938年10月、ナチス親衛隊大尉になっていた大学教授で学部長(ウィゴ・モーテンセン扮する・彼の論文がナチスに認められる)が、ナチスの”恩寵の死”を正当化する映画製作現場で、ゲッペルス宣伝大臣と一緒になり、お互いに握手を交わします。その大学教授の左手の薬指には、大きくクローズアップされて、【髑髏の指輪】が嵌められていました。ヴィセンテ・アモリン監督の意図がはっきりと分かるシーンです。
そして、その後彼の愛人には嘘を言ってその場で別れて、彼の親友であるユダヤ人精神科医(ジェイソン・アイザックス扮する)の呼び出しを受け自宅を深夜訪問します。その玄関先で、彼は今まで嵌めていた【髑髏の指輪】を外します。そして、室内に入ると、親友のユダヤ人精神科医は、彼にドイツ国外脱出の手助け(パリ行き乗車券)を依頼します。添付した写真は、その室内での二人の会食シーンです。左側はジェイソン・アイザックスで、右側はウィゴ・モーテンセン(左手はテーブルに隠れて見えないが、彼の出世作は映画「ロード・オブ・リング」であり、何か因縁有りか?)です。
しかし、彼の親友の依頼をとても出来ないと拒否します。会談が物別れになった後で、親友のユダヤ人精神科医(ジェイソン・アイザックス)は大学教授(ウィゴ・モーテンセン)に、”指輪をつけろよ!”と忠告します。
大学教授は、ナチスに入党した事や学部長になった事も、彼から進んで親友に話していません。彼には何か”後ろめたさ”があったからでしょう。ナチス党員・親衛隊にも、ほんの一握りだが、ある程度健全な良心を持っていた人間がいたと、映画は訴えています。彼は一旦は断った国外逃亡のパリ行き乗車券をようやく手にして、彼は愛人に親友へ手渡すように頼みます。しかし、愛人の教え子アーリア女性は、彼の約束を破って、ゲシュタポに親友の身を売ってしまい強制収容所に送られてしまいます。その送還された強制収容所でも親友を発見できず、最後は、ユダヤ囚人のとても悲しい音楽隊を彼が聞くシーンで終わっています。
とても人間の弱さや、エゴイズムを静かに訴えたとても良い反戦映画だと思いました。不倫をした大学教授に、上司の親衛隊少佐は、”親衛隊ムヒラー隊長は、「女遊びをして、総統に捧げろ!女がアーリア人ならいい!」と言っている。”とその行為を正当化しています。やはり、ナチスドイツの親衛隊中枢部は、全く倫理感など持ち合わせていないと強く得心しました。
何故なら、ウィゴ・モーテンセンは親衛隊のシンボル【髑髏の指輪】を親友ユダヤ人の前では外しましたが、私は家人から貰った代替の結婚指輪をストリップ劇場の踊り子さんの前では、一切外していません。間違って私が独身者と踊り子さんに思われたくないからです。

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2020年東京五輪映画監督決定河瀬直美氏に前作市川崑監督のチャスラフスカ美しい跳馬シーンを観て欲しい

2018-10-24 13:44:05 | 日記
今日の日記は、昨日2020年東京オリンピック公式記録映画の製作監督に決まった河瀬直美氏(49歳・1969年5月30日~)に、是非共観て欲しい1964年東京オリンピック公式記録映画(市川崑監督・1965年3月20日公開)の事です。
この映画は、オリンピック開催の翌年に完成し、当時の河野一郎担当大臣が、”内容が良く分らない”と全く理不尽な批判をした作品です。完成当時、小学5年生だった私は、在学生らと一緒に担任教師に引率され、私の鑑賞常連劇場だった『横浜ライオン座』(故に、私は同級生にいろいろと劇場案内の説明をした)に出かけました。だから、私と同世代の高齢者は、皆この映画を無料で劇場鑑賞しているはずです。記録によると、1、600万人(学校動員)も観たとあります。
とても長い映画ですので、中には途中で居眠りをするクラスメートもいました。しかし、映画ファンだった私は、競技者の勝った負けただけの記録を見せるのは監督が作る映画ではないと、その当時から良く理解していました。だから、富士山をバックに走る聖火ランナーや、修道僧みたいにひたすら走る男子マラソン優勝・アベベ選手の悲しそうな表情に、私は深く感動をしました。
そして、競技者の最も美しいシーンとして今でも深く記憶に残っているのが、東欧チェコの女子体操代表選手のベラ・チャスラフスカ(1942年5月3日~2016年8月30日)の跳馬種目の分解連続映像写真です。添付した写真は、その映画のシーンです。
チャスラフスカ選手は、東京オリンピック女子体操で個人総合・平均台・跳馬の種目で優勝しています。この個人種目の内、平均台はあまり躍動的でないと市川崑監督は考えたのか?、この跳馬での彼女のとても美しい優雅なフォーム(彼女は当時22歳で、現代では年長者扱い)を連続的にとても美しく表現しています。当時小学5年生だった私でも、ライオン座の常連映画鑑賞のお蔭で、女性の持つ固有の美しさは良く分っていました。そして、私はこの映画での彼女のシーンを見て、以後ベラ・チャスラフスカさんの大ファンになりました。
今回2020年オリンピック公式記録映画の監督に決まった河瀬直美氏(注:私は彼女の製作映画未見ですが、何か暗い印象のある映画人)に、当然なことですが、同性女性の持つ美しいアスリートの姿をよく表現してほしいです。また、奇しくも、チャスラフスカさんの誕生日は5月3日、私の誕生日も5月中旬、そして河瀬直美氏は5月30日です。だから、”五月晴れ”のような爽快で世界が元気になるような映画を私は強く期待したいです。
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雑誌『プレジデント』香取氏”寿命伸長で働く期間長くは本人と社会全体の持続可能性確保為に必要”に異議有

2018-10-22 14:40:55 | 日記
今日の日記は、札幌市中央区市民図書室から借りて今別宅で読んでいる雑誌『プレジデント 2018.4.2号』に掲載されたコラム1・香取照幸著「厚労省の元キャリアが明かす年金制度が100%潰れない証拠」の国民個人の各人全く違う労働意欲を無視した今後の年金制度保全方策の事です。添付した写真は、その雑誌の表紙です。
私は、市民図書室でこの雑誌の表紙タイトル『人生100年+α、ずっと安心を約束!日本人の給料、貯金、老後のお金』にとても興味を持ち、貸出して、今別宅で中身を熟読し自らの老後との比較検証しています。その特集記事の内、「社会保障・税一体改革」を取りまとめた元年金局長の香取照幸氏の”上からの目線”での今後の年金制度維持のコラム記事に、一個人として強い不満を持ちました。以下に、その関連する記述の一部を抜粋・引用します。
『公的年金制度の基本的仕組みは、「働いている現役世代が生み出した付加価値を、生産から退いた高齢者に配る」ことです。・・公的年金は「付加価値の分配」ですから、経済の実力以上の年金制度というのはありえません。だから、日本経済が潰れない限り、公的年金は潰れません。・・世界中どこでも公的年金は必ず「終身年金」です。払い込んだ保険料の総額とは全く関係ありません。「保険」ですからその損得論は全く無意味です。・・「現役世代が負担できる範囲に年金給付を調整する(マクロ経済スライド)」で公的年金財政は安定しましたが、給付水準は少しずつ引き下げていきます。・・人口が高齢化する、高齢者が増えるというのは、労働しなくなる引退年齢を後ろ倒ししなければ、収支バランスが成り立たないことになります。スウェーデンでは、平均余命の延びに対してどのくらい就労期間を延ばせば給付水準が維持できるかを、国民に示しています。だから、重要なのは労働力人口を増やす(今年生まれた子供が支え手になるまでには20年かかるので、元気な高齢者には働いてもらい、非正規労働者への社会保険の適用拡大等で付加価値を増やす)ことです。平均寿命の伸長に合わせて働く期間を長くするというは、本人のためにも社会全体の持続可能性を確保するためにも必要なことです。』
このコラム著書の香取照幸氏は厚労省の元キャリアエリート(年金局長)で現アゼルバイジャン共和国大使の方です。国民一人一人の老後の生き方を一方的に決めつけ(全ての高齢者が同じように勤労意欲がある)て、”平均寿命の伸長に合わせて、その働く期間を長くしろ”と、国の年金制度維持の為、彼は強く主張しています。
でも、現状の日本では、65歳を過ぎた高齢者の労働環境は、全く良くないです。私は、65歳で再雇用契約(定年前賃金の30%給与の契約基準でも)を打ち切られました。他に転職しても、支給される年金支給額より大幅に下がる賃金なら、私は働く気(高齢者の中には、ボランティア意識の方もいるかも知れないが私は全く無理)にはならないです。
著者が、国の年金制度維持を実行したいなら、まず70歳まで定年延長を企業に義務つける法制度が必要と、私は思います。そうしてから、”社会全体の持続可能性を確保するために、高齢者にも長く働いて欲しい”と高齢者に言うべきです。だから、【社会全体の持続可能性を確保】を高齢労働者だけに一方的に求めるのではなく、雇っている全企業(大から中小企業まで全て)にもその負担を求めるべきです。
この年金制度改革に関して、安倍首相が今後の手腕を強く発揮できるのか?私は今、見守り強く期待しています。
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沢田研二は観客少ないとドタキャンするが客4人だけの某上野ストリップSM大会興行で私は女王様に調教さる

2018-10-20 14:45:59 | 日記
今日の日記は、ストリップ劇場観劇で観客が私を含めて4人しかいなかった某上野劇場のSM大会興行の懐かしい思い出です。
今月17日歌手の沢田研二(70)が、全国ツアー「さいたまスーパーアリーナ」公演で事前に9,000人の観客動員だと聞いていたが、実際見たところ7,000人しか集まっていない事を契約違反だと言い、そのステージ公演を直前に中止しています。私は、彼をデビュー頃から知っています。このお粗末な出来事は、欧米のビートルズ旋風の追い風で、エレキギターを演奏する若いグループ・サウンズと言うだけで、若い頃から音楽界でチヤホヤされた身勝手な彼の甘えやプライドがそうさせたと、私は今強く得心しています。
”メジャー”的な彼は、観客が2,000人少ない(予定より22%少ないだけ)だけで、自身の大事な興行をドタキャンしています。こんな事は、”マイナー”的なストリップ業界では、考えられないとても信じがたい行為です。以下に、劇場観客数が90%近く少なかった、2004年4月11日から20日までの某上野ストリップ劇場(収容可能人員は50人程度か)のSM大会興行を、期間中5回鑑賞した私のステージ観劇記を紹介します。添付した写真は、その宣伝ポスターと香盤表です。
ストリップ劇場の公演演目でも、SMを題材にする踊り子さん(注:このSM大会16日に出演したお嬢は現在も現役で活躍中)もおり、ステージの一部と立派に認められています。でも、すべてのステージをSMの演目だけにするSM大会は、興行主の大きな冒険ですが、某上野劇場ではそれを実現したのです。それは、快挙と言うべき行為です。
私は、このSM趣味は全くないですが、3月21日に5万円を払ってこの劇場のVIP会員(3か月間何回も無料入場可能)になっていたので、何でも興味を持つ私(一人だけ孤軍奮闘で出演している香盤2番目お嬢の応援もあった)は、この10日間中5回観劇(全て平日の会社帰りで第3・4回目ステージだけ鑑賞)しました。
最初の12・14・16日までは、そこそこの観客(10~12人程度・SMファンは朝から入場しても第3回目頃は退場していたが)が入っていました。でも終盤の19日になると、SMファンのリピーターも少なくなって、10人を切って8人くらいになってしまいました。
そして、楽日(注:普通の公演だと踊り子さんを応援する観客が増える傾向があるが、特殊なSM大会は全く当てはまらない)になったら、第4回目ステージでは私を含めて4人しか残っていなかったのです。その為、ステージに上がってSM女王様に調教される客がおらず、私がこの興行の”常連”(香盤2番目の踊り子嬢の推薦もあった)になっていたので、生まれて初めてSM女王様に”調教”されることになりました。
SM調教といっても、裸になった上半身(注:SMファンはパンツ1枚だけだが、私は固辞しズボン着用)を荒縄で縛られて、天井から吊るされて背中を鞭で打たれ、火の付いたロウソクのロウを垂らされるだけでしたが。調教の女王様は、私に手加減をしてくれたので、鞭打ち(注:本格的な鞭ではないものを使ってくれた)もそれほど痛くなかったです。
このように、”マイナー”な興行であるストリップでは、観客が4人でも演技者と観客が共同で、ステージをお互いに盛り立てているのです。そして、歌手・沢田研二のように20%以上観客が少ないからと公演中止と言っていたら、全てのストリップ劇場は運営不可能になると、私は断言できます。
後日談ですが、SM大会2番目に出演していた踊り子嬢(既に引退済)が、私の”調教”されるシーンを楽屋袖からしっかりと見ており、その後の彼女のステージ鑑賞後ポラ写真の際、”鞭打ちされたSM愛好の〇〇〇さん”と冷やかされてしまいました。今振り返ってみれば、とても懐かしいストリップ劇場の思い出です。
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