今日の日記は、五木寛之氏が自著『大河の一滴』に掲載されていた「ラジオ深夜一夜物語」で語った私のトラウマ的存在である”キルケゴール”に言及し、私が深く感銘した五木氏の言葉です。以下に、その一編「あれか、これか、の選択ではなく」から、五木氏のとても含蓄に富む肉声を一部引用・掲載します。
『19世紀のデンマークの哲学者でキルケゴールという人がいます。「あれか、これか」というユニークなタイトルの著書が有名で、社会科の教科書にも紹介されていますから、記憶されているかたもいらっしゃるのではないでしょうか。ぼくの浅い理解でしかないですが、彼は、いきいきとした生の達成のために、個人のそのかけがえのない使命を遂行すべく、常に<あれか、これか>の選択をしなければならない、説いたのではないかと考えます。しかし、あれか、これかを選択するのは、ぼくのように生来なまけ者でいいかげんな人間にとって苦痛なのです。そして考えたのが、<あれか、これか>の選択をせずに生きていけないものか、ということです。あれもこれも、と抱えこんで生じる混沌を認め、もう少しいいかげんになることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させることになるのではないでしょうか。』
この五木氏の言葉を拝聴して、私は過去のトラウマである某踊り子の愛読書”キルケゴール”の呪縛から、今脱却できる気になりました。
五木氏は学生時代の社会科授業でキルケゴール難解な著書「あれか、これか」(注:添付した写真は1960年代に出版された著書の表紙で彼の第一作)が紹介されていたと言われています。でも、不勉強な私は、高校時代「倫理・社会(注:大学選択受験科目でないので授業に実が入らず」の授業で、「実存主義の元祖」とは教科書に書かれていたと承知していますが、その著作名に全く記憶はないです。だから、博識の五木氏だからその事実がよく分かったのでしょう。
また、私が昔応援した某踊り子は、愛読書を問われてその著作名を具体的に言えず、著者名”キルケゴール”と言うだけでした。この不可解な言動が私を深く悩ました。さらに、その後の彼女から、私はその応援行動の絶縁を彼女から言い渡され、その絶縁行動と”キルケゴール”とは、何か因果関係があるのか?<あれか、これか>の全く不毛な探求を今まで続けてきました。
しかし、この五木氏の肉声”もう少しいいかげんになることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させる”に大いに共感し、私の過去の出来事をトラウマと勘違いした己の浅はかさを、今強く実感しています。だから、もう、某踊り子の愛読書”キルケゴール”の事で私は悩まず呪縛を克服し、私は解放されました。さらに、彼女はそのようないい加減な人間だったとよく理解できるようになりました。
そして、私を呪縛から解放し目覚めさせてくれた五木寛之氏に、私は今心から深く感謝しています。
『19世紀のデンマークの哲学者でキルケゴールという人がいます。「あれか、これか」というユニークなタイトルの著書が有名で、社会科の教科書にも紹介されていますから、記憶されているかたもいらっしゃるのではないでしょうか。ぼくの浅い理解でしかないですが、彼は、いきいきとした生の達成のために、個人のそのかけがえのない使命を遂行すべく、常に<あれか、これか>の選択をしなければならない、説いたのではないかと考えます。しかし、あれか、これかを選択するのは、ぼくのように生来なまけ者でいいかげんな人間にとって苦痛なのです。そして考えたのが、<あれか、これか>の選択をせずに生きていけないものか、ということです。あれもこれも、と抱えこんで生じる混沌を認め、もう少しいいかげんになることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させることになるのではないでしょうか。』
この五木氏の言葉を拝聴して、私は過去のトラウマである某踊り子の愛読書”キルケゴール”の呪縛から、今脱却できる気になりました。
五木氏は学生時代の社会科授業でキルケゴール難解な著書「あれか、これか」(注:添付した写真は1960年代に出版された著書の表紙で彼の第一作)が紹介されていたと言われています。でも、不勉強な私は、高校時代「倫理・社会(注:大学選択受験科目でないので授業に実が入らず」の授業で、「実存主義の元祖」とは教科書に書かれていたと承知していますが、その著作名に全く記憶はないです。だから、博識の五木氏だからその事実がよく分かったのでしょう。
また、私が昔応援した某踊り子は、愛読書を問われてその著作名を具体的に言えず、著者名”キルケゴール”と言うだけでした。この不可解な言動が私を深く悩ました。さらに、その後の彼女から、私はその応援行動の絶縁を彼女から言い渡され、その絶縁行動と”キルケゴール”とは、何か因果関係があるのか?<あれか、これか>の全く不毛な探求を今まで続けてきました。
しかし、この五木氏の肉声”もう少しいいかげんになることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させる”に大いに共感し、私の過去の出来事をトラウマと勘違いした己の浅はかさを、今強く実感しています。だから、もう、某踊り子の愛読書”キルケゴール”の事で私は悩まず呪縛を克服し、私は解放されました。さらに、彼女はそのようないい加減な人間だったとよく理解できるようになりました。
そして、私を呪縛から解放し目覚めさせてくれた五木寛之氏に、私は今心から深く感謝しています。