天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

五木氏談「キルケゴール書”あれか、これか”の選択せず生きる」共感し某踊り子トラウマ呪縛から己解放さる

2021-02-28 09:45:11 | 日記
今日の日記は、五木寛之氏が自著『大河の一滴』に掲載されていた「ラジオ深夜一夜物語」で語った私のトラウマ的存在である”キルケゴール”に言及し、私が深く感銘した五木氏の言葉です。以下に、その一編「あれか、これか、の選択ではなく」から、五木氏のとても含蓄に富む肉声を一部引用・掲載します。
『19世紀のデンマークの哲学者でキルケゴールという人がいます。「あれか、これか」というユニークなタイトルの著書が有名で、社会科の教科書にも紹介されていますから、記憶されているかたもいらっしゃるのではないでしょうか。ぼくの浅い理解でしかないですが、彼は、いきいきとした生の達成のために、個人のそのかけがえのない使命を遂行すべく、常に<あれか、これか>の選択をしなければならない、説いたのではないかと考えます。しかし、あれか、これかを選択するのは、ぼくのように生来なまけ者でいいかげんな人間にとって苦痛なのです。そして考えたのが、<あれか、これか>の選択をせずに生きていけないものか、ということです。あれもこれも、と抱えこんで生じる混沌を認め、もう少しいいかげんになることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させることになるのではないでしょうか。』
この五木氏の言葉を拝聴して、私は過去のトラウマである某踊り子の愛読書”キルケゴール”の呪縛から、今脱却できる気になりました。
五木氏は学生時代の社会科授業でキルケゴール難解な著書「あれか、これか」(注:添付した写真は1960年代に出版された著書の表紙で彼の第一作)が紹介されていたと言われています。でも、不勉強な私は、高校時代「倫理・社会(注:大学選択受験科目でないので授業に実が入らず」の授業で、「実存主義の元祖」とは教科書に書かれていたと承知していますが、その著作名に全く記憶はないです。だから、博識の五木氏だからその事実がよく分かったのでしょう。
また、私が昔応援した某踊り子は、愛読書を問われてその著作名を具体的に言えず、著者名”キルケゴール”と言うだけでした。この不可解な言動が私を深く悩ました。さらに、その後の彼女から、私はその応援行動の絶縁を彼女から言い渡され、その絶縁行動と”キルケゴール”とは、何か因果関係があるのか?<あれか、これか>の全く不毛な探求を今まで続けてきました。
しかし、この五木氏の肉声”もう少しいいかげんになることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させる”に大いに共感し、私の過去の出来事をトラウマと勘違いした己の浅はかさを、今強く実感しています。だから、もう、某踊り子の愛読書”キルケゴール”の事で私は悩まず呪縛を克服し、私は解放されました。さらに、彼女はそのようないい加減な人間だったとよく理解できるようになりました。
そして、私を呪縛から解放し目覚めさせてくれた五木寛之氏に、私は今心から深く感謝しています。
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売勧誘DMとマンション賃貸委託会社より届連絡は”道祖女神様”が関与のシンクロで賃貸空白1か月に安堵す

2021-02-27 09:01:03 | 日記
今日の日記は、昨日藤沢宅から転送された某不動産会社の売却勧誘DMとそのシンクロニシティ現象である賃貸業務委託している別の不動産会社担当者から届く賃借人が見つかったとのとても嬉しい連絡メールです。添付した写真は、その大手不動産会社子会社札幌支社(注:私はこの不動産会社に一切のコンタクト無・私の住所は登記簿閲覧か販売不動産からの情報で知ったか?)の届くDMです。
私は、先月24日付日記『賃貸タワーマンション賃借人3月末転居に伴い菅総理掲る施政方針一段階目【自助】で私は新入居者募集中』で、皆さんに次の入居者を募りました。それから1か月経過しても、日記閲覧者のどなたからも連絡は今のところないです。しかし、私が賃貸業務委託して不動産会社担当者から、5月初旬入居したい希望者が見つかったとの朗報メールが、同じ日に私まで届きました。
この賃貸用マンションは、別の大手不動産会社が売買用物件に関して大いに注目しているとても優良な不動産だから、早期に次の入居者が見つかるだろうと、私は多少安心していました。でも、その入居空白期間が1か月程度になるとは、私は思ってもみなかったです。そして今、私自身の経済環境は、日記で投稿した菅総理掲る施政方針一段階目【自助】から第二段階目【共助】に突入したと、強く得心しています。
その私の周囲にあり存在する【公助】とは、藤沢に住む私の家族ではなく、私の生活費の調達に経済的に貢献している不動産会社だけでなく、私の守護神である”道祖女神様”も含まれていると、今強く確信しています。
今回も、その”道祖女神様”は、私を影から助けてくれて、『賃貸マンションを売却する必要はないですよ。私が次の入居者を見つけました!。』と語っているような気がしています。だから、私の周辺に多発するシンクロニシティ現象は、”道祖女神様”が強く関与していると今確信しています。
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売勧誘DMとマンション賃貸委託会社より届連絡は”道祖女神様”が関与のシンクロで賃貸空白1か月に安堵す

2021-02-27 09:01:03 | 日記
今日の日記は、昨日藤沢宅から転送された某不動産会社の売却勧誘DMとそのシンクロニシティ現象である賃貸業務委託している別の不動産会社担当者から届く賃借人が見つかったとのとても嬉しい連絡メールです。添付した写真は、その大手不動産会社子会社札幌支社(注:私はこの不動産会社に一切のコンタクト無・私の住所は登記簿閲覧か販売不動産からの情報で知ったか?)の届くDMです。
私は、先月24日付日記『賃貸タワーマンション賃借人3月末転居に伴い菅総理掲る施政方針一段階目【自助】で私は新入居者募集中』で、皆さんに次の入居者を募りました。それから1か月経過しても、日記閲覧者のどなたからも連絡は今のところないです。しかし、私が賃貸業務委託して不動産会社担当者から、5月初旬入居したい希望者が見つかったとの朗報メールが、同じ日に私まで届きました。
この賃貸用マンションは、別の大手不動産会社が売買用物件に関して大いに注目しているとても優良な不動産だから、早期に次の入居者が見つかるだろうと、私は多少安心していました。でも、その入居空白期間が1か月程度になるとは、私は思ってもみなかったです。そして今、私自身の経済環境は、日記で投稿した菅総理掲る施政方針一段階目【自助】から第二段階目【共助】に突入したと、強く得心しています。
その私の周囲にあり存在する【公助】とは、藤沢に住む私の家族ではなく、私の生活費の調達に経済的に貢献している不動産会社だけでなく、私の守護神である”道祖女神様”も含まれていると、今強く確信しています。
今回も、その”道祖女神様”は、私を影から助けてくれて、『賃貸マンションを売却する必要はないですよ。私が次の入居者を見つけました!。』と語っているような気がしています。だから、私の周辺に多発するシンクロニシティ現象は、”道祖女神様”が強く関与していると今確信しています。
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五木寛之著『大河の一滴』談「マイナス思考から出発するが最後は微笑み死んだ仏陀」で私も更なる精神修養を

2021-02-26 09:40:40 | 日記
今日の日記は、皆さんに読むことを約束した五木寛之著『大河の一滴』(幻冬舎文庫版)での、私が深く共感した苦難に満ちた人生を体験した五木氏のメッセージです。添付した写真は、その著書の表紙です。
このエッセイ書は五木氏が60代後半(1998年出版)に上梓した作品です。そして、自らの過去を振り返られて「人間とは何か?生きるとは何か?」を問われた渾身を込めた名作であると、私は今強く確信しました。以下に、その著書から深く共感したメッセージの一部を、長くなりますが引用・掲載します。
『かってはブッダ(仏陀)の出発点も「生老病死」の存在として人間を直視するところからだった。この「生老病死」を、人間のありのままの姿とみる立場こそ、史上最大のマイナス思考だといっていい。問題は、そこから出発する。・・そのような人間が、豊かに、生き生きと希望をもって生きる道があるのか。それともないのか。答えのないその問いに全存在を賭けて二十九歳の青年ゴータマ(ブッダ)は旅に出たのだ。妻を捨て、子供を捨て、地位と名誉と平安な生活を捨てて、彼はひたすら人間探求の道を歩みつづける。・・そして、マイナス思考の極みから出発したゴータマは、少なくとも微笑みながら病で死んだ。その臨終の物語は、彼が自分の上に影をおとす樹々の姿を「世界はすばらしい」と讃えつつ自然に還っていったことを述べている。最大の否定から最高の肯定へ、マイナス思考のどん底から出発して、プラス思考の極致に達して世を去った人間だったからこそ、二千年後の今も、多くの人ひとはブッタの生涯に熱い心を寄せるのではあるまいか。・・人間とは哀しいものだと思い、人生は残酷であるのが自然だと考える。それをマイナス思考と恐れることはない。・・存在するのは大河であり、私たちはそこをくだっていく一滴の水のようなものだ。・・私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない。いま私たちはゆったりと海へくだり、また空へ還っていく人生を思い描くべきときにさしかかっているのではあるまいか。』
22年前の自身のこの肉声叫びが、今現在の五木氏の精神的根幹に強く影響していると、私は得心しました。五木氏は少年期に旧満州・朝鮮で、言語に絶する非人道的体験をされています。それでも、声高かにその野蛮行為を批難するのではなく、ズル賢く小悪人だったから生き延びることができたと己を卑下し、誠実な人は皆外地に残って死んだとも語っています。五木氏はまさにマイナス思考のどん底を実体験された方だからこそ、その語る肉声は万感の重みがあります。
私も今まさに、五木氏が『大河の一滴』を書かれた歳です。そして、今猛威を振るっているコロナ禍であっても、何も不自由ない生活を過ごしています。でも、生まれてきた人間は、だれでも最後には死ぬ運命になっています。だから、五木氏が語った「微笑みながら病で死んだゴータマ」に、少しでも寄り添い近づくような更なる精神修養をしたいと、今強く思っています。
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五木寛之著『死の教科書』五木氏談「死は生命の海に帰る事で消滅する自分は生命循環一部で存在続行」共感す

2021-02-20 09:18:48 | 日記
今日の日記は、今読んでいる五木寛之著『死の教科書-心が晴れる48のヒント』(2020年9月初版・宝島社新書)で、五木さんが語った私がとても共感した言葉です。添付した写真は、その著書の表紙です。
五木さんは、この著書の前書きで『古い言葉で、「前車の覆るは後車の戒め」がある。先に行った人間の失敗は、それなりに役に立つ、という意味だろう。これからは、思ったことを自由に発言していこうと考えるようになった。そのささやかな第一歩が、この一冊である。』と自らを謙遜しながら、同書の執筆動機を語っています。88歳になられても文学界の現役重鎮である五木さんは、私が物心付いて頃から知っている(彼の代表作「青春の門」は私の愛読書だった)人生経験がとても豊かで、私が深く尊敬する小説家の一人です。
そして今、その五木さんが、死後の世界を語った言葉に、私は強く共感しました。以下にその語った言葉の一部を引用・掲載します。
『現在に必要なのは、消えゆく自己のその先の物語ではないかと思う。私が「大河の一滴」で伝えたかったのも、そんな自己が消えた先の世界のイメージ、循環する生命の物語です。大河の一滴として海に還ったとき、自己は消滅します。しかし、それは悲しむべきことではない。生命の海は、まるで母親の懐のように、広く、温かく、すべてを包み込んでくれます。そして、時が来れば、まったく別の新しい生命に生まれ変わって、新しい人生の旅を続ける。死とは、生命の海に帰ることであり、その大海のなかでは自分という個人は消滅しているけれども、大きな生命の循環の一部として存在し続けているのではないか。それが私にとっての死後のイメージである、その循環する生命を「大河の一滴」という言葉で表現しました。』
親鸞が開祖の浄土真宗に深く帰依されている五木さんらしい御言葉だと、浄土系の時宗に機縁がある私は強く得心しました。現在のインドでも、ヒンズー教徒が遺灰をガンジス川に流すのは、シャカが開祖の仏教の強い影響だと思っています。また、日本にも『精霊流し』という宗教行事があります。そして、仏教が語る死後の世界が、「浄土」ではなく「大河」であるとの五木さんの指摘は、単なる浄土真宗信奉者でない懐の深さを、私は今強く感じています。
しかし、私は、五木さんには誠に申し訳ないですが、彼の代表作である『大河の一滴』を未だ読んでいません。だから、これを機会に、この著書を今必ず読破する決意です。そして、この著書を熟読して、五木さんのその死生観を私は強く実感したです。
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