天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

現地関係とのコミュニケーションがプラスと自賛し原発視察した現地主義者菅首相は現地対策本部長不在を放置

2011-05-31 21:53:48 | 日記
今日の日記は、パーフォマンスばかりの無能な菅首相の呆れるばかりの福島原発事故対応組織に対する間違った認識です。また、今日も菅内閣の間違った福島原発対応が、またひとつ明らかになりました。以下に、そのネットニュース(読売新聞・2011年5月31日11時52分配信)を引用・掲載します。
『・・現地本部長の池田氏、体調崩して入院・・海江田経済産業相は31日午前の衆院東日本大震災復興特別委員会で、東京電力福島第一原子力事故に関し、福島県庁内に置かれている政府の原子力災害現地対策本部の本部長を務める池田元久経済産業副大臣(70)が19日に入院し、現在は自宅療養中であることを明らかにした。自民党の西村康稔氏が「池田副大臣は福島で指揮をとっているのか」とただしたのに答えた。菅首相は「副大臣などが(対策本部に)常駐することが好ましいと思っている。早急に他の副大臣、政務官に対応してもらえるようにしたい」と述べた。』
添付した写真は、休養している原子力災害現地対策本部本部長の池田元久経済産業副大臣です。
このニュースで判るように、菅政府は、何も現地責任者の不在を野党が国会で問いたださなければ、その事実を国民に公表しなかったのです。
現地責任者不在を放置した菅首相は、大震災翌日に自ら福島原発を視察しています。この行動はまったく間違ったものと、私自身は思っています。
しかし、逆に好意的な見方をすれば、現地の被害状況を最高司令官が直接見ることは、それだけ現地を大切に思う「現地主義」を強く意識した行動だと高く評価できます。だから、菅首相は『(現地で関係者と)コミュニケーションができたことは大変プラスになった。』とその意義を国会答弁で強調しています。
しかし、菅首相の「現地主義」は、まったくのパーフォマンスだけの実行が伴わない空虚な口先思考であることが、今回の人事対応ではっきりと判りました。何故なら、「現地主義」の見解に立てば、現地対策本部の本部長不在は、重大な対策組織の瑕疵です。菅首相は、その事態になったら、速やかにその後任人事を断行するべきでした。それを訳もなく放置したのは、菅首相の「現地主義」がまったくのパーフォマンスだけのものだったのです。
また、菅首相がコミュニケーションができたと自慢した東京電力福島原子力発電所の所長は、菅首相の対策方法に対する強い意向を完全に無視して、独断で海水注入を中断せず続行したそうです。そして、その事実をコミュニケーションがとれた菅政府に、何の報告もしていませんでした。
菅首相は、自身の「現地視察が大変プラス」になったと強弁していますが、まったくその事実と反する情けない出来事が次々と明白になっています。
だから、パーフォマンスだけが得意な菅首相には、私は論語の名言『巧言令色鮮矣仁』を捧げます。
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札幌で久しぶりに『かつ丼』食べて私の幼年期から物事に強い拘りを持つ私の自我をこの大好物が育んだと得心

2011-05-30 20:52:09 | 日記
今日の日記は、私の物心付いてからいつもデパートの大食堂で頼んでいた定番メニュ『かつ丼』のことです。
昨日、札幌のとんかつ店で久しぶりに大好きな『かつ丼』を食べました。この飲食店の主力人気メニューは、玉ねぎにたれを入れ卵とじをした「どんぶりもの」より、秘伝のソースだけで食す「とんかつ膳」でした。添付した写真は、そのとんかつ店でいただいたクーポン券です。だから、この得々クーポン券でも、「どんぶりもの」の『デラックスかつ丼』は、一番最下段の最後に記載されたメニューです。
私は、いつもご飯・味噌汁・キャベツのお替り無料の「かつ膳」ばかりを頼んでいましたが、初めてこの『かつ丼』を29日の昼食に頼んでみました。そうしたら、私が驚いたことに、その「どんぶりもの」だけでなく、別の中鉢に盛り合わせたいつも「かつ膳」で食べているキャベツが一緒に付いてきました。
だから、普通の店の『かつ丼』とは違うメニューに、『かつ丼』愛好家の私は、とても嬉しくなりました。
私は、まだ戦争の爪あとが社会に色濃く残っていた終戦8年後に生まれた者です。私が小学校入学前、家族で横浜の繁華街に出かけても、白衣を着た傷痍軍人が街頭で募金活動をしていた記憶を決して今でも忘れることが出来ないです。だから、私はまだ社会が皆貧しかった「戦後第二世代」の人間なのです。そして、貧しかった子供の頃、繁華街のデパート最上階の大食堂で食べる豪華な昼食が、いつも私の楽しみでした。
その豪華な昼食を、私は当時の子供に人気のあった『お子様ランチ』ではなく、いつも決まって大好きな『かつ丼』を母に頼んでいました。いつも同じものを頼んでいた食べ物嗜好に強い拘りを持った私に、ある時母は『変わった子だね~』と話しかけてきました。
だから、私にとって『かつ丼』は、単なるメニューではなく、とても深い思い出が残っている食べ物です。北海道の札幌で食べている時も、半世紀以上前の1960年頃の自分を懐かしく思い出していました。
そして、物事に強い拘りを持つ私の自我は、この『かつ丼』が育んだと、私は今深く得心しています。
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札幌旅行無事帰宅といつも札幌の食事で利用しているとんかつ店スタンプカード満願(成果約14%値引)報告

2011-05-29 23:50:52 | 日記
今日の日記は、札幌旅行帰宅報告と、いつも札幌で利用しているとんかつ店のスタンプカード(有効期間1年間)満願のことです。
28日(土)から2日間の札幌旅行から無事に帰宅しました。帰り便の台風の影響がとても心配でしたが、予定通りのフライトでいつも時刻に自宅に到着しました。私はもっと雨が強く降っているのでは?と不安でしたが、駅に着いたらもう小雨になっていました。
今回の札幌旅行では、夕食や昼食に利用しているとんかつ店のスタンプカードが満願(28日の夕食・ロースカツ膳で10個目)になったので、29日の昼食は500円引きになったデラックスカツ丼を食しました。そうしたら、1,000円以下の食事料金でしたが、私は新しいスタンプカードをレジでいただきました。添付した写真は、そのスタンプカードです。
前回のスタンプカードは、去年6月26日から9回の札幌訪問で達成したものです。その間、その他の料理店(全日空の食事クーポン券他)も利用していましたので、最後の今年4月から5月28日までの3回の札幌訪問では複数回利用しなけければ、私は達成できなかったです。だから、このお店のマスターにしっかりと私の顔を覚えられてしまいました。
今回いただいた二枚目のスタンプカードも再び満願になるか?今現在では、私はあまり自信がありません。でも、このとんかつ店のご飯・キャベツ・味噌汁お替り自由と1,000円以上で10回利用するとトータルで約14%引き(注:私は10%値引きになるクーポン券を所有・両方の併用は不可)になるサービスはとても魅力的です。
だから、私はまた、その誘惑に負けて頑張ってこのとんかつ店に通うかもしれません。
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21日逝去された長門裕之さんの31年前出演ドラマ『池中玄太80キロ』を北海道北見市で見た思い出を懐古

2011-05-27 21:04:08 | 日記
今日の日記は、21日に逝去された俳優・長門裕之さん(享年77歳)が出演したTVドラマ『池中玄太80キロ』のことです。このTVドラマは、1980年に日本テレビで土曜の夜9時から放映された人気ホームドラマです。
当時46歳だった長門裕之さんは、主人公の通信社専属カメラマン池中玄太(西田敏行当時32歳)の上司の編集長に扮していました。添付した写真は、ドラマでの長門裕之さんです。(私注:後ろ姿は部下役で2000年46歳で亡くなった俳優・三浦洋一)
このテレビドラマでの長門裕之さんが、その彼の長い俳優活動の中で、私にとっては一番印象に残っています。
何故なら、その放映開始当時、27歳で独身の私は、北海道の北見市の仕事先で見ていて、そのドラマ設定にとても親近感を抱いたからです。
この主役の池中玄太の趣味は、鳥類の写真撮影で、特に丹頂鶴の求愛ダンスを撮影することをライフワークとしていました。その丹頂鶴が毎年11月から3月頃までの冬期間に飛来し生息している有名な北海道阿寒郡鶴居村は、仕事で滞在した北見市の近くでした。だから、私はその鶴居村まで日帰りで出かけて、丹頂鶴の求愛ダンスを実際に見ていたからです。
テレビでの西田敏行は、嫌々仕事で撮る報道写真の時より、丹頂鶴の求愛ダンスを撮影している時のほうが、とても生き生きとしてとても楽しそうでした。また、それが問題なく出来たのも、上司である編集長・長門裕之さんの温かい思いやりや理解があったからです。
でも、いつも二人は仕事では、喧嘩ばかりしていました。しかし、その二人の喧嘩の中にも、役職の上下関係を超えた男同士の温かい友情を、私はいつも感じていました。だから、こんな上司だったら仕事も嫌にはならないだろうにと、私はとても西田敏行を羨ましく思ったものです。
そして、その二人のやりとりを『2人だけのアドリブ合戦』であったと、西田敏行は故人を偲んで回想しています。もう31年前のドラマのことですが、そのドラマのシーンを今でも私は鮮やかに思い出します。
このような良き思い出を残してくれた名優・長門裕之さんのご冥福を、私は衷心よりお祈り致します。

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去年の日記で紹介しながら見れなかった25日から開催「さっぽろライラックまつり」を見る為私は札幌行決意

2011-05-26 20:28:33 | 日記
今日の日記は、昨日の25日から始まった「さっぽろライラックまつり」のことです。そのネットニュース(ネット朝日新聞・マイタウン・北海道 2011年05月26日)より、以下に引用・掲載します。
『・・ライラック輝く季節 札幌・・初夏の訪れを告げる「さっぽろライラックまつり」が25日、札幌市中央区の大通公園で始まった。約400本のうち白のライラックを中心に花が咲き始めており、多くの市民らが楽しんだ。29日まで。実行委員会によると、まだつぼみが多い紫を含めて今週末から見頃を迎えるという。この日は「ミスさっぽろ」らが、集まった市民らに2千本の苗木をプレゼント。ミニコンサートなども開かれた。期間中は道産のワイン59種類が楽しめる「ワインガーデン」や、市民グループらによる音楽祭が開かれる。添付の写真は、つぼみがほころび始めたライラック(札幌市中央区の大通公園)です。』
今年も北海道・札幌の季節の風物詩「さっぽろライラックまつり」が始まりました。この「ライラックまつり」は、私の日記でも去年紹介しています。2010年10月3日付け日記『ボディカラーを「クリスタルライラック」と命名した自動車会社にある種文化的な匂いを感じ率直な敬意を払う』で、私が購入した車のボディカラーに触発され私の願いを思わず吐露していたからです。その該当する文章を、以下に掲載します。
『この「ライラック」とは、樹木名です。モクセイ科ハシドイ属の落葉樹で、日本ではフランス語由来のリラでも呼ばれ、和名はムラサキハシドイ(紫丁香花)です。このライラックなら、私にはとても馴染み深い植物です。何故なら、この樹木は「札幌市の木」と選定されているからです。昔、札幌に赴任し暮らしていた春先に、紫色(圧倒的にこの色が多い)・白色の花を咲かせていました。香りがとてもよいので、街を歩くのがとても気持ち良かった記憶を、私は今でも良く覚えています。そして、イベント『ライラック祭り』が「札幌の木ライラック」碑が立っている大通公園で毎年行われていました。今日納車された新車を見て、今年の「ライラック祭り」はもう終わってしまいましたが、私はまた札幌旅行に出かけたくなりました。』
まだ7か月半前の出来事ですが、私はとても懐かしい思いがしています。そして、去年の「ライラック祭り」を私は見れなかったが、今年の「さっぽろライラックまつり」は是非見たいと、強く思いました。だから、本日昼休みに私は、旅行代理会社に札幌フリープラン2日間(28~29日)の予約を取りに出かけました。そして幸運にも、往復の飛行機と土曜日の宿泊ホテルが取れました。
残念なことに、今週末の札幌の天気はあまり良くないです。でも、雨に濡れたライラックも、とても風情があると、私はあまり落ち込まず前向きに思っています。だから、今年5回目の訪問になる週末の札幌旅行が、私は今からとても楽しみです。
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