天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

天気が心配な明日から一泊二日の信州善光寺と上高地・乗鞍高原の旅:早春の訪問は19年ぶりでとても楽しみ

2011-04-30 21:30:31 | 日記
今日の続編日記は、明日から一泊二日で出かける信州善光寺と上高地・乗鞍高原の旅のことです。
明日の天気は、あまり良いものではないです。1日(日)は善光寺なので多少雨が降ってもしょうがないと思っていますが、2日(月)は上高地・乗鞍高原に出かけるのでとても天気が心配です。その為、インターネットの上高地の公式HPでその情報を確認しました。以下にそれを掲載します。
『・・今日の上高地情報・・[2011年04月30日] 奥穂高岳の山頂にガスが架かっているもののその他の峰は頭を出していますが天気は次第に下り坂の予報になっておりまして、明日になると雨が降りそうです。登山をされる方も今朝は疎らにしか見えません。未だ芽吹きも始まらない中、化粧柳だけが芽吹き前の梢が真っ赤に色づいていて目だって見えます。残雪が多い分足元が不安定になりがちですので注意をして下さい。添付した写真は、ライブ状況写真です。』
今月27日に開山式をした上高地は、今だに春の装いにはなっていないみたいです。上高地には何度も訪れていますが、GWに出かけるのは1992年に初めて訪問して以来ですから、久しぶりなことでとても楽しみです。また、その時よりも、今回はライブ写真や状況コメントを見ると残雪が多いです。この状況だと乗鞍高原の水芭蕉も、残念ながら見ごろには至っていないでしょう。服装も完全装備が必要みたいです。
また、今日の夜9時放送のNHK番組で、冬の上高地(氷点下25度にもなる)で暮らすニホンカモシカやニホンザルを紹介していました。そして、上高地に生息するニホンザルが、冬の冷たい川辺の石裏に隠れている子虫まで食べなくては生きていけない大自然の厳しさに、私は深く驚嘆しました。
尚、この旅行の為、明日の日記投稿は休みます。
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800回記念『海は見ていた』遊女の言葉「海が見て呑み込み隠し助けた」は石原都知事『天罰』発言と同趣旨

2011-04-30 11:00:25 | 日記
今日の日記は、投稿800回記念特別版です。映画『海は見ていた』で遊女・菊乃(清水美砂)が後輩遊女・お新(遠野凪子)を助けた職人・良介(永瀬正敏)にかけた言葉です。
この映画のラスト近くで、深川岡場所・葦の屋の火事場(洪水)泥棒にやって来た遊女・菊乃のヒモ・銀次(奥田瑛二)の悪行を止める為、誤って殺害し上方に逃げた良介が、葦の屋の屋根に残された菊乃とお新を助けに舟に乗って再び戻って来ます。
しかし、その舟には漕ぎ手を入れて二人しか乗れません。迷わず残ることを決めた菊乃と助け出そうとする良介の会話を、その映画の絵コンテ・シナリオ・創作ノートを残した黒澤明著『海は見ていた』より、以下に引用抜粋掲載します。添付した写真は、その著書表紙です。
・良介『(菊乃に手を差しのべ)さ、早く乗ってくれ!』
・菊乃『駄目だよ、この舟、三人乗ったら沈んじゃうよ!』
・良介『だって!』
・菊乃『だってもへちまもないよ、さ、早くお行き!』
・良介『じゃ、俺、お新を降ろして、すぐ戻って来る!』
・菊乃『・・それより、あんた、よくお聞き・・お前さんは、もう大丈夫だよ、何も心配する事はない、なにもかも、海が呑み込んで隠してくれた。・・フフフ・・なんだか、お前さん達の事、海が見ていて助けてくれたみたい!・・さ、早く、お行き・・そして、二人でしっかりやるんだよ・・そうだ、二人にこれをあげる、永い事かかって、ためたんだ、ずっしりあるよ!(菊乃、手早く腰の胴巻きをとってお新に渡す)』
この映画の題名にもなっている菊乃の言葉『海が呑み込んで隠してくれた。海が見ていて助けてくれた』に、私は今深く感動しています。平時なら、遊女・菊乃のヒモでヤクザ・銀次を殺した良介は罪を受ける必要があります。その罪を人間には如何ともし難い大自然”海”が、その純粋な動機が起した行動をよく見ており、その罪を呑み込んで隠してくれたと、遊女・菊乃に黒澤明は語らせているのです。
また、この映画のシナリオを読んで、先月14日今回東日本大震災に関して、記者会見での石原慎太郎東京都知事の発言を、私は思い出しました。石原都知事は大震災への国民の対応について、
『アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲。日本人のアイデンティティーは我欲。我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを、この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ』と述べています。
この発言の”天罰”ばかり問題視されて、後に石原東京都知事は謝罪していますが、何も間違った発言ではないと私は思っています。そして、石原東京都知事の発言趣旨の根底には、『海は見ていた』の黒澤明シナリオでの菊乃の言葉と同じ思いがあったと、今私は思っています。
映画『海は見ていた』では、遊女・菊乃のヤクザのヒモ銀次を殺した良介を、大自然”海”はあえて隠しその罪を許して、逆に殺されたヤクザのヒモ銀次は、自身の悪行への”天罰”を受けたと、大自然の脅威災害(洪水)を通して黒澤明監督は語っているのです。
だから、石原東京都知事は映画『海は見ていた』を以前御覧になって強く感動され、この発言したと、今私は確信しています。
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映画『海は見ていた』脚本残す黒澤は『俺は女を描くのが下手と言われたから死ぬ前に一度女の映画を』と語る

2011-04-30 00:11:34 | 日記
今日の続編日記は、前の日記で紹介した山本周五郎著『つゆのひぬま』他を原作した映画『海は見ていた』(2002年製作 黒澤明脚色 熊井啓監督 清水美砂 遠野凪子 永瀬正敏主演)のことです。この映画を今、今回大震災を振り返って、私は懐かしく思い出してします。
この映画は、83歳になった黒澤明が自ら監督し映画化を望んで書き終えていたシナリオを、その彼の死後、黒澤プロが熊井啓監督で製作した作品です。映画『夢』で自らの思いを伝えた黒澤監督も自分の寿命も考えて、最後にはもっと素晴らしい愛の人間賛歌の作品を残そうとしたのでしょう。
その作品は、過去原作を多くの映画化している山本周五郎の著書だったのです。この映画『海は見ていた』は、山本周五郎の『つゆのひぬま』と『なんの花か薫る』を原作にしています。
でも、この原作の映画化には、最後の大洪水の場面で、セット自体を沈めるほどの大きなプールを使って、舞台の岡場所をだんだん沈ませながら撮ろうという費用が掛かるものでした。この大掛かりなセットを特殊撮影ではなく実際に撮影所に実現させるには、莫大な映画製作費になってしまいます。だから、製作会社がこの企画を予算上の理由から順延してしまいます。
その後、黒澤監督が亡くなってしまい、この映画化が中断してしまいました。その陽の目を見なかった黒澤明の脚本を、7年後に熊井啓監督が映画化したのです。
添付した写真は、熊井啓監督が映画化した『海は見ていた』でのラスト近く水没した深川岡場所遊郭の屋根に避難した遊女(遠野凪子)を舟で救い出した遊女に通っていた若い男(永瀬正敏)です。熊井啓監督の作品もとても良かったですが、私は黒澤監督の作品が見たかったです。
黒澤明監督は、生前この映画化の前、『俺はずっと「女を描くのが下手だ、下手だ」と言われ続けていたから、死ぬ前に一度、女の映画を撮ってやろう』と語っています。
もし、この映画が黒澤明監督自身で製作されていれば、どんな素晴らしい作品を残したか?今思うと私はとても悔やんでいます。


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『手のひら、ひらひら』著者志川節子に、水害を受けた二人遊女を描いた先輩山本周五郎著『つゆのひぬま』を

2011-04-29 15:43:21 | 日記
今日の日記は、江戸時代の岡場所で暴風雨による水害を受けた二人の遊女を描いた山本周五郎著『つゆのひぬま』のことです。添付した写真は、久しぶり読み直したもう黄ばんでしまった私の愛蔵著書の表紙(1972年発行初版新潮文庫)です。
私は、4月26日付日記『志川節子著「手のひら、ひらひら」食当り料理人をネタにした瓦版売り上ゲ屋は遺児遊女から人殺しでありんす』で、新人作家・志川節子氏の著書『手のひら、ひらひら』を紹介しました。
彼女はこれから伸びていく有望な時代小説の若手です。でもその読書後、まだ彼女の作品に登場する人物には描き方に荒削りな所があり、もっと先輩作家の作風を勉強してほしいと、今私は思っています。
だから、彼女には、私が高校生から大学生の頃全作品を読破した山本周五郎の優れた作品集をもう一度熟読してほしいと思っています。特に、その作品集の中で、江戸時代の市井を扱った岡場所物の短編傑作『つゆのひぬま』は、彼女の今後の作品にきっと血や肉になると確信しています。
作家の山本周五郎自身は、江戸幕府公認の遊郭・吉原に生きる遊女を扱っていません。彼は、そんな格式ばった陽のあたる場所より、その公認外の「岡」場所に生きる遊女に強い親近感を抱いていたのでしょう。また、彼は江戸時代に何度も起きた大火や洪水等の天災とそれに遭遇した人の生き方を、深い愛情を持った目で優しく描いています。
そして、この両方の要素を内包した小説が、短編傑作『つゆのひぬま』です。だから、私は、40年近く前に初めて読んだこの著書を深く愛し、今でも手元に置いているのです。
また、その彼の市井の人々を深く愛し公儀や権威に抱く反骨精神が、1943年に『日本婦道記』で第17回直木賞に選ばれるが辞退する行動を生んでいるのです。
でも、とても皮肉なことですが、志川節子氏が直木賞を受賞したければ、その受賞拒否した山本周五郎が生んだ優れた作品を、もう一度熟読・勉強してほしいと私は思っています。
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東電社長搭乗自衛隊機Uターン指示北沢防衛相は当事者も参加した映画『タワーリングインフェルノ』鑑賞せず

2011-04-28 21:39:41 | 日記
今日の日記は、3月11日の東電社長の自衛隊機での防衛省の輸送指示命令(同省運用企画局長)とその撤回命令(北沢俊美防衛相の発令)のことです。
その関連するネットニュース3件を以下に、引用・掲載します。
・(1)『・・東電社長の自衛隊機輸送、指示の出所不明・・(2011.4.27 23:16 産経ネットニュースより)東京電力の清水正孝社長が3月11日、帰京のため自衛隊輸送機で離陸した後、政府の判断でUターンさせられた問題で、自民党の国防部会は27日、防衛省から事情を聴いた。しかし、防衛省側は輸送依頼の経緯や依頼元について曖昧な説明に終始。出席議員から「誰に言われたのか分からないまま飛行機が飛ぶのか」(石破茂政調会長)などと批判が相次ぎ、防衛省に経緯を調査し同部会に結果を提出するよう求めた。』
・(2)『・・東電社長 搭乗自衛隊機 Uターン・・(2011年4月26日 東京新聞夕刊より)防衛省によると、午後九時半ごろ、東電を所管する経済産業省から、自衛隊機に清水社長を搭乗させるように要請があった。これを受け、清水社長は名古屋空港に隣接する空自小牧基地の輸送機C130に搭乗し、十一時半ごろ、入間基地(埼玉県)に向けて離陸した。しかし、防衛省事態対処課長から報告を受けた北沢俊美防衛相が「輸送機の使用は被災者支援を最優先すべきだ」と指摘。輸送機は既に離陸していたため、同課長が引き返すよう指示したという。』
・(3)『・・東日本大震災:東電社長、防衛相指示でUターン 発生当夜・・(4月26日 15時31分毎日新聞ネットニュースより一部抜粋)防衛省によると、11日午後9時40分ごろ、首相官邸の緊急参集チームに詰めていた同省の桜井修一運用企画局長から「清水社長を航空自衛隊の輸送機で東京に運べないか」と要請があった。これを受ける形で、清水社長は午後11時半ごろ、空自小牧基地からC130輸送機に乗り、入間基地(埼玉県)に向けて離陸した。』
産経新聞の報道(1)によると、防衛省は、『東電を所管する経済産業省から依頼された:東京新聞の報道(2)』や『首相官邸の緊急参集チームに詰めていた同省の桜井修一運用企画局長が、空自小牧基地のC130輸送機に東電社長を搭乗させた:毎日新聞報道(3)』の事実関係を反故にして、曖昧な説明に終始したとあります。でも一度は実名でその経緯は公開されています。やはり、悪しき官僚の自己保身体質(問題責任を取りたくない)が露呈したと私は思っています。しかし、この命令(注:防衛相認可を受けていないが)自体は、何も悪いことではないと私は思っています。
また、首相官邸に詰めていた緊急参集チームとは「福島第一原子力発電所に係る原子力災害対策本部」のメンバーだったのでしょう。そのメンバーの中には、東京電力の福島第一原子力発電所を所管する経済産業省の担当者も含まれていたと思われます。
だから、その経済産業省の担当者は、東京電力社長に福島第一原子力発電所の現状を問い質す為、首相官邸に出頭するように、東京電力に伝えたのでしょう。そして、その時社長は関西に出張中であった為、経済産業省の担当者が、そのメンバーの一員であった防衛省桜井修一運用企画局長に、社長を官邸召喚するよう自衛隊機への搭乗依頼をしたのでしょう。
また、『北沢俊美防衛相の意を受けた防衛省事態対処課長が引き返す命令を出した:毎日新聞の報道(2)』の真偽には、防衛省は触れていませんが(産経新聞の報道)、この事は事実みたいです。しかし、自衛隊機に命令したのは防衛省「局長」で、その取り消しをしたのは同省の下級職「課長」とまったく情けないことです。
それ以上に、北沢俊美防衛相の重大な判断ミス(自衛隊機のUターン指示)や、その意を受けた事態対処課長の大臣腰巾着的な対応は強く非難されるべきです。
災害当事者の東電社長をメンバーのオブザバー(聞き取り対象者)と見做し、官邸に出頭する方針だったこの緊急参集チームにも、当然北沢俊美防衛相も参加していたはずです。何故、その一員である彼が「原子力災害対策の立案」を阻害する行動(自衛隊機のUターン指示)を取ったのか?私はまったく理解に苦しみます。
このまったく無能な北沢俊美防衛相は、パニック映画名作『タワーリング・インフェルノ』(1974年製作 ジョン・ギラーミン監督  スティーヴ・マックイーン ポール・ニューマン主演)で、竣工式当日火災事故を起した超高層ビル惨事を、消防隊長とビル設計者が、お互いに協力し合い必死に防ごうとした行動を、まったく知らないのでしょう。
当然この名画を鑑賞していれば、事故を起した会社のトップの協力や積極的な参加も、甚大な災害を撲滅させる為には必ず必要だと、得心してはずです。添付した写真は、お互いに協力し合う設計者のポール・ニューマン(左)と消防隊長のスティーヴ・マックイーン(右)です。
上に立つ者が完全な判断ミスをしていたら、良かれと思い裁可を受けず勇気ある即断的な行動した下の者は、組織外の者にどう説明したら良いかまったく判らなくなります。だから、防衛省は、自民党の国防部会では、曖昧な説明に終始するようになるのです。
良かれと思い命令を出した自衛隊幹部の足を引っ張って2階に上がったハシゴを外すような菅政府の高官3人組(北沢防衛相・枝野官房長官・海江田経済産業相)には、私は今”憤り”を超えて”深い悲しみ”に陥っています。
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