天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

札幌別宅に「省エネ住宅ポイント発行・交換のお知らせ」届きUCギフトカードの到着を今首を長~くして待つ

2015-10-31 14:49:11 | 日記
今日の日記は、札幌別宅に届いた「省エネ住宅ポイント ポイント発行・交換のお知らせ(ポイント通知)」とそのポイント商品のことです。
私は、今週末は11月2日(月)の土曜日出勤振替の代休を取得し、運よく4連休になり今札幌別宅に来ています。そして、別宅の郵便ポストに「省エネ住宅ポイント ポイント発行・交換のお知らせ(ポイント通知)審査完了日:平成27年10月17日」のはがきが、投函されていました。私はそのはがきを見てとても嬉しかったです。添付した写真は、そのポイント通知はがきです。
私はそのポイント通知の送付先を、訳あって藤沢自宅ではなく札幌セカンドマンションにしていました。だから、一緒に佐川急便の”ご不在連絡票”もあり、もうポイント交換商品は、発送・配達されていた事を知りました。
早速、佐川急便に連絡して、本日の再配達の依頼をお願いしました。その商品は貴重品扱いないなので、配送センターに戻しているので午後4時ごろの配達になると言われました。私は、現在その到着待ち時間内で、このブログ日記を書いています。
この省エネ住宅ポイント制度は、予定では11月末締切だったのですが、予想外の応募があり10月中旬で予算限度額到着にて、以後の応募は締め切られていました。だから、10月初旬に出した私は、とても運が良かったです。また、”交換を行った商品のお届けには通常1~2か月程度かかる”とあったのに、私は約1週間程度で到着(10月28日の不在票有り)していたみたいです。
そして、私は、その29万7千5百円分のポイント商品(UCギフトカード)到着を今現在、首を長~くして待っています。
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『昭和天皇実録第四』天皇は高橋是清が財界危機時老体挺し後輩田中総理蔵相に甘んじ寝食忘れ奮励と勲章を

2015-10-25 15:19:14 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいる『昭和天皇実録 第四 自大正十三年 至昭和二年』(宮内庁2015年9月刊)に書かれた昭和天皇が実質即位された昭和2年のとても興味深い当時の政治指導者に関する記述です。添付した写真は、この著書です。以下に、その政治指導者・高橋是清と田中義一との昭和天皇との関わりをその著書から一部を引用・掲載します。
・昭和2年6月2日(木)午前:内閣総理大臣田中義一に謁を賜い、高橋是清大蔵大臣更迭の人事内奏を受けられる。
・昭和2年6月3日(金)午後:前大蔵大臣正三位勲一等高橋是清に、旭日桐花大綬章を授けられる。天皇は、高橋が財界の危機収拾のところ、特に老軀を挺して後輩田中総理の下に大蔵大臣たるを甘んじて拝命し、寝食を忘れて奮励し、収拾の実を挙げ得たことを以て、特に勲章を賜綬すべき旨を御沙汰になる。
・昭和2年6月15日(水)午後:内大臣牧野伸顕をお召しになり、近時官吏の更迭が頻繁であるとして、牧野より田中総理に注意を与えることを御希望になる。これに対して、天皇が御自ら総理を召され注意を与えられた場合には、内閣不信任との誤解を生じかねないことの懸念を指摘し、元老西園寺公望より懸念を漏れ承ったとして警告するのが最も良策であると奉答する。天皇はこれを御嘉納になる。
・昭和2年7月5日(火)午後:内閣総理大臣田中義一を表内謁見所にお召しになり、明年の即位礼に際しては、出来得るかぎり節約を旨とすべきことを伝えられる。
・昭和2年12月9日(金)午前:内大臣牧野伸顕をお召しになり、総理は暫く拝謁及び親任式の侍立が不可能となったことを受け、いかに取り扱うかについて懸念を示され、その対応を御下問になる。
この第四巻では、昭和天皇の田中義一総理大臣への深刻的な不満までは未だ発展していません。しかし、長い大正天皇の摂政を経て、名実共に日本国の元首となられた昭和天皇を輔弼する内閣総理大臣が、この無能な田中義一であったのが、日本国にとっての”悲劇の始まり”だったと、私はこの著書を読んで痛感しました。
だから、無能な田中義一総理大臣が、有能な高橋是清大蔵大臣を更迭したことに、昭和天皇は強い不満を持っていました。この記述が、この後爆発する出来事の引き金となったと、私は強く思っています。やはり、当時の昭和初年の政治指導者たちは、昭和天皇の鋭くとても重大な危惧をいち早く察知して、田中義一を即、罷免するべきでした。輔弼する他の指導者たちは、何もしなかったから、以後、昭和天皇は政治への直接干渉は控える(後日の2.26事件は例外)ようになってしまいました。
やはり、陸軍機密費問題(政友会に献金して総裁の地位を買った)があった田中義一を、日本国の首相にするべきではなかったのです。逆に、更迭された高橋是清を再登板させて首相にするべきでした。そして、昭和天皇の人物を観る卓越した見識には、とても素晴らしいものがあったと、私は今強く痛感しています。

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18日投稿”お願い”がビデオリサーチに届いたのかその後一週間で2回も調査依頼が届き目標7回を達成か?

2015-10-24 18:14:40 | 日記
今日の日記は、18日前回ブログ日記の投稿以来、ビデオリサーチから届いた2回の読売新聞広告アンケート調査依頼メールのことです。
私は前回の日記で、”10月15日から最終契約日11月30までの46日で後7回(合計2,200円分になり、千円券2枚+五百円券1枚)の調査依頼をして欲しい”と、勝手なお願いを書き込みました。
その18日投稿の私の”衷心よりのお願い”が、ビデオリサーチ社に届いたのか?その後一週間で、2回(10月18日・10月23日分)もの調査依頼が私に届きました。この依頼ペースは、平均4日間隔にも急上昇(10月分は23日現在で5回達成)はしています。ビデオリサーチHPの調査紹介では、毎月4~5回程度とありますから、とても信じられない数値です。
今月はもう1回程度(注:月末まだ9日もあるから)は見込まれるので、11月に平均値4回の調査依頼を実施してもらえば、私の目標となる7回をクリアー出来ます。
だから、私は今後もペースを落とすことなく、広告アンケート調査を実施するようビデオリサーチ社に、再度衷心よりお願いしたいです。
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ビデオリサーチ新聞広告アンケートの謝礼商品券二千円届き300円余分の最終期限まで調査実施7回を熱望す

2015-10-18 15:50:56 | 日記
今日の日記は、昨日自宅に届いたビデオリサーチ新聞広告調査事務局からの謝礼金(三井住友ギフトカード2枚:ニ千円分)のことです。添付した写真は、その案内状です。
私は去年の12月からビデオリサーチの新聞広告アンケート調査に協力して、1回の回答に付き、200円分の謝礼を頂戴しています。今回は、7月1日から9月30日までの謝礼商品券が送られてきました。
前回7月中旬に頂戴した三千円分を、まだ使い切らず1枚残っている現状で、また二枚分新たに追加されました。使いにくいのは、この商品券ではお釣りが出ないのと、使用できる商店が限られているからです。でも、私にはとても嬉しいプレゼントになっています。
この嬉しいプレゼントは今年の11月30日までで、最後の謝礼支給は12月中旬送付予定です。現在の謝礼残高は800円分ですので、あと1か月半で7回回答できれば、800+1,400円=2,200円となり、千円分2枚と500円分1枚(注:郵便で送付なので硬貨は入れらえず、300円割り増して500円券となる)の2,500円(300円余分)を頂戴できます。
もし、1回少ないと6回だと、800+1,200=2,000円(でも、4回以上だと、800+800=1,600円で2枚分の2,000円)、ちょうどピッタリの金額になります。
だから、あと最低4回以上で頑張って7回まで回答したいと、私は今強く思っています。ビデオリサーチの方に衷心よりお願いがあります。
10月15日の最新調査日から11月30日までの46日間で、あと7回の調査実施(但し、平均6.4日間隔となる:今までの実施通例は7~8日間隔)を、是非ともお願いしたいです。
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吉村英夫著『伊丹万作とその系譜』著者は三船”俊郎”と二度間違い三度目に”敏郎”と直し評論価値に悪影響

2015-10-14 22:43:53 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいる吉村英夫著『伊丹万作とその系譜 異才たちの日本映画史』(2015年9月第1刷・大月書店刊)に書かれている、全く信じられない有名映画俳優の名前の誤字のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著者は、1940年生まれの映画評論家で、同じ出版社が出している「山田洋次と寅さんの世界」等、寅さんの研究家でとても有名な方です。この映画評論の専門家が、戦後を代表する日本映画の有名な俳優名を二回も誤字していました。そして、ようやく三回目で登場した括弧書きでは正しい名前になっていました。以下に、その記述をそのまま引用・掲載します。
(1):入江たか子を同時代の映画として私がみたのは、1962年の黒澤明『椿三十郎』の城代家老夫人役である。・・三船”俊郎”も、たじたじだった。
(2):『隠し砦の三悪人』はお家再興の政治行動が中心の男性ドラマである。三船”俊郎”と藤田進の友情物語だともいえる。
(3):『赤ひげ』は師の赤ひげ新出去定(三船”敏郎”)を範として成長する弟子保本登(加山雄三)の物語である。
著者は、私より13歳も年上で 三船”敏郎”主演の日本映画を多くリアルタイムで観ているはずです。この時代の証言者というべき映画評論家が、超有名な日本映画俳優の名前を間違えるとは、私にはとても信じられないです。間違った文字の”俊郎”で、私がまず頭に浮かぶのは、歌手の近江俊郎です。著者もこの有名な歌手を知っているはずですから、原稿を書く時にすぐ間違いに気が付くはずです。
さらに、三回目に記述した名前の文字(文献から直引用したから正しい文字だった可能性大)で、自らの間違いに当然、気づくべきでした。また、このような重大な誤字をそのまま出版する大月書店にも大きな責任があります。こんなつまらないミスをすると、著者自身の映画評論の価値にも悪影響を及ぼします。私は、真剣に読む気にもならなくなりました。
だから、第2刷の著書では正しい文字”敏郎”になっていることを、私は強く望みます。                                                                                                                                                                        
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