天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

今年元旦抱負『さゆき嬢観劇回数240回を献血回数で突破』28日献血245回で完全達成来年も健康留意す

2020-12-31 14:54:00 | 日記
今日の日記は、今年の元旦に宣言した私の行動目標の達成合否判定の総括編です。
私は今年の元旦日記で、『今年行動目標は応援ストリッパーN野さゆき嬢観劇回数歴代一位240回を献血回数にて突破で私は健康留意す』と、新年の抱負を語りました。その後の1月末から始まった想像を絶する新型コロナ禍の事など、その時に健康に留意する決意をした私でも、全く夢にも思っていなかった異常事態の年でした。
そして、いろいろあった今年(顕著な具体例:コロナ禍で配偶者から藤沢本宅から締め出された他)1年を、振り返ってみて、この献血目標だけは、私は完全達成が出来ました。添付した写真は、28日に献血回数245回目になった私の最新の献血カードです。
去年12月27日には献血回数が232回だったものが、その1年後には13回(注:血小板以外に制限が緩やかな血しょう献血が1回有り1回分増)実施して、今月28日には245回にもなったのです。だから、私は今、コロナ禍であってもその目標に向かって常に前向きに努力した自分自身を、全くの手前味噌であっても、心から褒めてやりたい気分です。
そして、来年の私の抱負は、年齢制限の69歳まで、少しでも多くの献血をする事です。血小板献血なら今後12回は可能ですので、年末には献血回数257回の達成を、次の目標にしたいです。だから、その達成の為には、今以上に自身の健康に留意する必要性を、今強く感じています。
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吉田健一著『父のこと』64年前「ハンコ族を整理・官業減らす」語る吉田茂元首相は行政改革の先駆者と得心

2020-12-25 15:49:42 | 日記
今日の日記は、今読んでいる吉田健一著『父のこと』(中公文庫2017年刊)の大磯清談(「週刊東京」1956年)の親子で語った現在でも完全に通用する<ハンコ族を整理すべし>での卓見した提言の事です。添付した写真は、その著書の表紙です。以下に、64年前に語ったその親子対談の一部を引用掲載します。
『・健一・何とか税金を安くしてほしい。何とか名案はないものでしょうか。
・茂・名案の第一は、役人を減らすことだろう。そのためにも、官吏の執務の方法というものを考えなければいけない。よく、許可だ、認可だというが、そのたびごとに役人が多くなる。その手続きを簡素化して、届出などの手続き数も少なくすれば、非常に能率的になって役人の数も減らし得る。
・健一・最近、ハンコ族という新語もきかれますよ。
・茂・役人の数が多いから、よけいにハンだけ押すことになるので、こうなると、押す方でも大がい面倒になって、ロクなことを相手にもいわない。外務省などは、終戦直後、七、八千人いたのを千五百人にした。在外公館が一ぺんになくなってしまったんだから、新しくスタートからやり直しだったのだ。しかし、うらまれたよ。
・健一・あなたの時ですか。
・茂・ウン。それから、官業を減らすことだね。官業は存外ある。なるべく少なくして民業に移して、役人を減らすことを考えべきだ。』
私が生まれてから3年後のもう半世紀以上前に発行された週刊誌での二人の会話を読んで、私は良き指導者の行政改革への熱意は、今も全く不変であると強く得心しました。そして、私の今までの吉田茂の政治家としてのイメージは、「太平洋戦争反対の親英米派の外交官でワンマン保守的な政治家」というものでした。しかし、それは全くの一面の姿であり、行政改革「その後の国鉄・電電公社・郵政民営化等」の先駆者だった、と私は今回初めて知りました。とても勉強になり、今政治家・吉田茂を高く再評価しました。
だから、「印鑑廃止」や「行政無駄見直し」を推進する河野行政改革担当大臣と茂の孫である麻生副総理に、この著書を是非読んで欲しいと思っています。
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合田一道『北海道地名の謎と歴史を訪ねて』徴兵逃れ本籍岩内町の漱石死2年前東京戻すが私は遊行寺藤沢まま

2020-12-22 11:27:43 | 日記
今日の日記は、中央区民図書室から借りてきて今読んでいる合田一道著『北海道地名の謎と歴史を訪ねて』(2010年KKベストセラーズ刊)で書かれた文豪・夏目漱石と北海道・岩内町との彼自身の戸籍に纏わる、私が初めて知った漱石の「徴兵逃れ」エピソードです。添付した写真は、その著書の表紙です。以下に、その著書からとても興味深い歴史的事実を、一部引用掲載します。
『岩内の地名はアイヌ語のイワウ・ナイ、「硫黄が・流れる沢」の音訳である。・・この岩内町に、意外にも夏目漱石の戸籍が残っている。漱石は本籍東京市牛込区喜久井町、父直克の四男で、本名金之助、慶応三年(1867年)1月5日生まれ、明治25年(1892年)に三兄直矩方から分家して、本籍を岩内町吹上町一七番地(現在の御崎町)、浅岡仁三郎方に移した。明治29年に妻を迎え、同32年から43年にかけて二男五女をもうけ、大正3年6月に本籍を東京市へ戻している。その二年後に没。つまり漱石は二三年間にわたり岩内町に居住したことになる。しかし、漱石は大学を卒業した後、各所で教鞭をとり、明治40年に朝日新聞社に入社するなど、岩内町に住んだ形跡などない。なぜこんな奇妙な事をしたのか。この時期(日清戦争前まで)、本籍が北海道の者は徴兵免除の恩恵があったのである。三兄は、まだ大学生(東京大学)だった漱石の戸籍を、岩内町の三井岩雄戸硫黄山事務所に勤める知人に頼んで移した-つまり、「徴兵逃れ」だったのである。』
私は、この漱石の戸籍移動を初めて知りました。当時の北海道は、人口も少なく開拓と国防を兼ねた「屯田兵」制度があり、その地の成人男子には、ある時期まで徴兵免除(この事も初めて知った)が許されていたのでしょう。漱石の兄は、弟思いからその恩恵制度(当時の世相は、昭和期の狂ったような愛国的軍国主義は強くなかった)をうまく拝借したのでしょう。
歴史には、IFはないですが、もし漱石が日清戦争に従軍し戦死していたら、明治の文学界は全く違った世界になっていたでしょう。だから、漱石の兄は、その後隆盛した近代日本の文壇の「影の功労者」と言えると、私は今強く思っています。そして、この著書には、漱石が戸籍を置いたことを示す記念碑(文豪夏目漱石立籍地)の写真も掲載されています。
私自身は、現在の本籍地は、神奈川県藤沢市のままです。でも、漱石のように死ぬ2年前に、現住所を本籍地に移動する気には、全くならないです。何故なら、藤沢市は時宗開祖一遍上人の大本山・遊行寺があり、時宗僧侶の孫の私を見守ってくれる強い地縁があるからです。だから、私は死ぬまで本籍地を移動しない決意です。
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8年前12階64.4m2を2,580万円入居購入の同建物10階54.43m2を3,190万円驚愕売出

2020-12-13 11:36:39 | 日記
今日の日記は、昨日ポストに投函され某大手不動産会社(販売時の売主とは別)が公表した私が現在住んでいるマンションの別住戸DMの驚愕販売価格の事です。添付した写真は、この販売価格3,190万円(専有面積54,43m2 10階部分)と記載された広告用チラシです。
私は、同マンションの12階(64.40m2)住戸を、2012年7月に2,580万円で購入しました。また、このチラシ住戸の当時の販売価格は、その頃の売出価格表を捨ててしまったので確かではないですが、階数や面積から推測して2,130万円前後?ではと思っています。
だから、現在築8年経った2階下の専有面積が85%程度の住戸の販売価格が、私の購入した金額より610万円も高くなっているし、その住戸新築時の販売価格の5割増(注:中古物件だから契約手数料が別途必要)になっているので、今私はとても驚愕しています。そして、この販売住戸がはたして満額で契約する顧客がいるのか?(大手不動産会社は成約勝算有と見たのか?)私は強い興味を今抱いています。
たしかに、購入当時の近傍公示地価は100万円/m2から今年には216万円/m2と倍増しています。でも、不動産(建物)は新築後は減価償却されその価値が下がってしまいます。
また、7日の税制調査会の会合で、来年度の公示地価の評価替えに伴い課税額が上昇する土地(注:本年1月1日現在調査でコロナ禍は加味されず)の固定資産税は、全ての地目で負担増を1年凍結すると発表されました。私は、コロナ禍で税の減額要請を自身の日記で投稿しましたが、叶わず現状維持のままとなりました。でも、今はちょっとだけ安堵しています。また、私の持っている不動産の資産価値は間違いなく上がっているので、大いに満足・安心しています。
でも、このマンション入居者にこの同じマンション販売物件を宣伝する大手不動産会社の並々ならぬ”商魂”に、今私は大いに感服しています。
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小室圭さん代理人『内容本人と詰めている』と母親『自発的に取り組む』は真逆で論語【巧言令色仁鮮し】捧ぐ

2020-12-12 11:13:45 | 日記
今日の日記は、秋篠宮家眞子様との御結婚問題を抱える小室圭(29)さんの代理人・上柴直史弁護士が、11日スポニチ紙の取材で語った『本人と詰めている』と、圭さんの母親が2017年9月婚約内定時に語った『息子は自発的に物事に取り組む』との、とても大きな言葉の乖離の事です。以下に、両名のコメントの一部を引用・掲載します。
・代理人・『何らかの対応をするという方針です。まだ、お答えできるような具体的なことはないです。今”本人と詰めて”いる。』
・母親 ・『主人亡き後、息子は”自発的”に物事に取り組み、努力を重ね、ご尊敬申し上げる方々のそのご指導のもと、人生の要所要所を固定概念にとらわれることなく、”決定”してまいりました。』
私は、この数日間、秋篠宮家の眞子様御結婚問題の報道を興味を持って接してきました。ようやく、一方の当事者である圭さんが動き出したようです。しかし、結婚という個人の問題で、彼は自ら意志を肉声表明(注:自分を”太陽”・眞子様を”月”と語る)した事は、婚約時しかなかったです。借金騒動後の19年1月には”代理人”を介して、文書にてコメントしているだけです。
私は、国際弁護士を目指す彼が、何故”代理人”を必要?(注:私の母親遺産相続の兄らとの紛争でも、相手方は代理人を付けたが、私は己自身の裁量だけで対応)としているのか、当時から全く理解出来なかったです。今回も、その代理人弁護士を介して、内容を【詰めている】と発信しているだけで、彼自身は、自発的かつ積極的には全く関与していないです。
しかし、3年前に彼の母親は、彼を評して『”自発的”に物事に取り組む』とし、『人生の要所要所を、固定概念に捉われず”決断”』とベタ褒めしています。この母親の言葉を聞いた時、私は当時でもとても強い違和感を持ちました。
でも、母親のベタ褒め言葉とは裏腹に、彼の今までの言動は、全く真逆の事ばかりです。だから、今、とても有名な論語の言葉『巧言令色、仁鮮し』(添付した写真を参照)を、この小室親子に私は捧げたいです。
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