天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

秦豊吉(丸木砂土)著「香水の匂ひと花の薫りは女の憧憬」は彼の創造したストリップ劇場で現在も生きている

2011-06-29 21:36:57 | 日記
今日の日記は、近くの公立図書館で検索して見つけ出した63年前に出版された丸木砂土著『女は匂ひ』(1948年2月六月社刊)のことです。添付した写真は、もう完全にセピア色になったこの著書の表紙です。
私は、6月15日と16日付けの日記で、1947(昭和22)年の東京新宿の帝都座で日本初のストリップショーを始めた演出家・秦豊吉(ペンネーム:丸木砂土)を紹介しました。そして、異端の士・秦豊吉の業績をもっと知りたいと思い、ペンネーム「丸木砂土」で書いた著作を近くの公立図書館で検索してみました。その結果見つけ出した著作が、彼が演出した額縁ショウ公演の翌年に出版された『女は匂ひ』(1948年2月六月社刊)です。
図書館から借り出しも可能な著書だったので、その手続きをして、今私は自宅で読んでいます。もう古文書みたいな保存状態になっていますが、記述されている昔の漢字や呼び方を斟酌すれば、その内容を十分に理解できます。
そして、とても驚くことに、秦豊吉が63年前に書いたこの著書が、現在の日本でも十分に通用することを、私に強く得心させました。以下に、私が読んでとても印象に残った文章を、一部抜粋し引用・掲載します。
『・・女は匂ひなり・・今日の女にとって、巴里はナポレオンの墓やサロンので記憶されるよりも、毎日肌身離さないコチイ(私注:原文のままコティのこと)の香水で生きてくるのである。それ程香水は女の生活の一部になってきてゐる。日本でも女が香料を體から離さない例には、昔の女が匂ひ袋又は匂ひ玉といふものを、帯に垂らした風があった。香合せや、兜に香料を焚き籠めたといふ風流は男にもあつたが、今日では匂ひによる人生といふものは、女の一生そのものを意味すると考へても好い位だ。香水の匂ひと花の薫りに包まれた生活は、女の最憧憬する一生に違ひない。従つて女の匂ひそのものは、直ちに女の象徴よりも、女自身であると見て好い位である。・・花そのものが、女の性慾を刺戟する爲に用ひられた例は、古代羅馬以後いくらでもあるが、それは花の匂ひが元來酒の醉ひを覺まして、同時に性慾の衝動を高めるものだからである。女への贈物に花束が用ひられるのは、決して美しい花を捧げる爲ばかりではない。マンテガツツアに向つて、或る女が、かういふ事を言つたさうである。
「わたしは花の匂ひを嗅ぎますと、何か罪でも犯してゐるやうな、好い心持ちになるんでございますよ」』
額縁ショウの演出家・秦豊吉が自著で述べた見解『女は匂ひなり、女の一生そのものを意味する」と「贈物の花束が、性慾の衝動を高める」は、今日のストリップ劇場でも根深く生きています。踊り子嬢は、自分の好きな香水でかぶりつきの観客を魅了して、それに呼応するように常連応援客は、自分だけに気を向ける為に、華やかな花束を応援する踊り子嬢に舞台でプレゼントするのです。
このように、ストリップショウを日本で創造した秦豊吉は、そのショウを始めた63年前、既に劇場での観客や踊り子嬢の現在の姿を完全に予測していたのです。
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