天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『トロイ』老いたテティス観た唯川氏は欲望がエスカレートする美容整形テーマに『テティスの逆鱗』上梓

2011-09-30 21:12:11 | 日記
今日の日記は、トルコ旅行の機内鑑賞映画『トロイ』でジュリー・クリスティーが演じた”テティス”を著作題名にした、私が今読んでいる唯川恵著『テティスの逆鱗』(2010年文藝春秋刊)のことです。
私はトルコ旅行のトルコ航空機内サービスで、映画『赤ずきん』を鑑賞しました。その主役赤ずきんの祖母役にジュリー・クリスティーが出演していました。尚、その詳細は私の8月31日付日記『人間が狼に変身するシーンが全く登場しない映画『赤ずきん』は過去の狼モノホラー映画定石を完全に覆す作品』を参照して下さい。
そして、帰り便の映画鑑賞では、トルコの世界遺産トロイを観光したことや、それを題材した映画『トロイ』にジュリー・クリスティーが主役アキレス(ブラッド・ピット)の母親・テティス役で出演しているとても不思議な奇縁を感じて、以前にレンタル店で鑑賞していましたが、私は再びこの作品を観ることにしました。
添付した写真は、その母子のテティス役のジュリー・クリスティー(左)とアキレス役ブラッド・ピット(右)です。
この『トロイ』にはギリシャ神話に登場する神々は一切登場しません。でも、唯一人間になった女神テティスが1シーンだけ出てきます。テティスは、ギリシア神話に登場する海の精霊で、ゼウスから是非妻にと望まれたほどのとても美しい女神でした。でも、それを拒否した為、ゼウスの不興を買い、人間であるプティーアの王ペーレウスと結婚させられることになってしまいます。
そして、その結婚式の祝宴に、争いの神エリスだけは招かれなかったのです。だから、エリスは怒ってその宴席に乗り込み、「最も美しい女神にあたえる」として、黄金の林檎をその祝宴の席に投げ入れます。この投げられた林檎をめぐって、3人の女神、ジュノー、アシーナ、ビーナスが争い始めます。以後の話は、私の9月3日付日記『ドイツ人監督Wペーターゼンは映画『トロイ』でヘレン演じたドイツ女優Dクルーガー金髪を栗色に染めるべき』で書いているようになります。
その結婚でテティスは女神から人間に落とされてしまい、英雄アキレスを生むことになります。だから、ウォルフガング・ペーターゼン監督はこのテティスだけはその映画に登場させたのでしょう。しかし、テレビ朝日がTV放映した際、無残にもこの重要なシーンをカットしてしまいました。
そして、数日前ふと立ち寄った某書店で、私はこの”テティス”を題名にした著書を目にしました。再び私は何かとても不思議な縁を感じて、この著書『テティスの逆鱗』を購入して、今自宅で読んでいます。
この著書は、女優、OL、キャバクラ嬢、資産家の娘と、年齢も職業も異なる四人の女性が登場します。彼女たちはさまざまな理由と目的で、同じ美容整形外科医に通い、それぞれ美への欲望を次第にエスカレートさせて、最後には禁忌の世界まで踏み込んでしまう美しくも怖ろしい物語です。
著者の唯川恵氏は、この映画『トロイ』を見ていたのか知れません。何故なら、映画に登場する女神テティスは、人間になってしまい子供アキレスの前では、老いた普通の母親になっているからです。逆に、現在の美容整形は、とても美しい女神だったテティスでさえ成し遂げられなかった自然に老いる人間の定めらた宿命への神をも恐れぬ挑戦行為だと、著書は思っています。
だから、著者はこの映画を鑑賞してイメージした思いを作品題名にしたと、私は今確信しています。
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オリエント急行発着シルケジ駅はボスポラス海峡横断鉄道トンネルが完成するとその中継・新地下駅北口に変身

2011-09-29 21:26:40 | 日記
今日の日記は、トルコ旅行第6日目の8月18日(木)午前中に、移動するバスから見たオリエント急行(1977年に廃止)の発着駅・シルケジ駅のことです。
添付した写真は、その使用しなくなったシルケジ旧駅舎外観です。現地トルコ人の大半の客はこの旧駅舎側出入り口ではなく、アンカラ通りに面した現在の駅舎出入り口を使用しています。
このシルケジ駅は、007シリーズの映画『ロシアより愛をこめて』や『オリエント急行殺人事件』に登場(私も自身の日記でたびたび記述)しているので、私は現地イスタンブールでその実物をとても見たかったです。
だから、私は車窓から眺めるのではなく、下車してこの建物をよく見学したかったです。でも、この観光ツアーのすべてが、団体行動で組まれているので、自由な観光は何もありません。私はとても残念でした。
そして、このオリエント急行発着駅であった現在も利用しているシルケジ駅は、現在工事が進められている『ボスポラス海峡横断鉄道トンネル』が完成すると、その役目が大きく変わります。新しいシルケジ駅(注:現在駅舎より150m南の位置に、地下50mに新地下駅を建設中)が完成すると、この現シルケジ駅舎は、ローカル線の旧跡駅舎になるみたいです。さらに、この新シルケジ駅は、アジアまで列車が発着する”新オリエント急行”の中継駅になります。イギリスのロンドンからイラクのバグダードまで一本の鉄道レールで繋がるのです。
ただ、この現駅舎(注:完成後、新地下駅の北口となる)から、地下道を歩いて新シルケジ駅まで行くことが出来ます。そして、世界遺産があるアヤソフィアやブルーモスク、トプカピ宮殿に近い場所に、この新シルケジ駅の出入り口(南口)も造られます。この南口から徒歩で約5分ほどで、世界遺産を観光できることになります。
私がその日の午後にバスから下車して、これら世界遺産を見学した時、こんな大工事プロジェクトが行われているような工事現場を見つけられませんでした。それは、この大工事は、二本の東西に設置する立坑を唯一の作業用出入り口として慎重に施工しているからです。さらに詳しく説明すると、その立坑からパイロットトンネルを掘って、状況(文化財登録された住宅や店舗、ホテルが多いので)を確認した後、大断面掘削用ロードヘッダーや柔らかい土に対応するツインヘッダー(シールドマシン)などを使い分けて慎重に地下大空間の掘削を進めているからです。
だから、この世界遺産地区のまったく目に見えない地下大空間では、現在とても巨大なプロジェクトが慎重に遂行されているのです。私はこの新シルケジ駅が完成したら、もう一度イスタンブールを訪れたいと、今思っています。
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現地ガイドがボスポラス海峡横断トンネルで語った江利チエミの歌うトルコ民謡『ウスクダラ』を他客は知らず

2011-09-28 21:12:47 | 日記
今日の日記は、トルコ旅行第6日目の8月18日(木)午前、イスタンブール・アタチュルク空港から、ボスポラス海峡貸切クルーズの発着場に向かうバス移動にトルコ人ガイドが語った『ボスポラス海峡横断鉄道トンネル』のことです。
その日の午前中、私たちツアー客は、イスタンブール・アタチュルク空港からバスでボスポラス海峡がよく見える海沿いの道路を通って、新市街地にあるクルーズの発着場カバタシュに向かっていました。これから、いよいよ本格的なイスタンブール観光の始まりです。私はとてもワクワクして来ました。
そのバス車中で、現地のトルコ人ガイドが3つの場所に区分されているイスタンブール市街の現状を説明していました。世界遺産が多くある旧市街地、ビジネス・ファッション街の新市街地、住宅地が多いアジアサイドの3つのゾーンです。そのゾーンを明確に分けているのが、ボスポラス海峡と金角湾です。
中世東ローマ帝国の首都イスタンブールが、アナトリア半島に勢力を増してきたオスマントルコの侵略を一世紀以上も防げたのは、その一つとしてアジアとヨーロッパを隔てているボスポラス海峡があったからです。
そして、このボスポラス海峡には、現在二つの大橋が架けられています。添付した写真は、その旧市街近くに架けられた幹線ルートである第一ボスポラス橋(トルコ共和国建国50周年の1973年完成)です。
さらに、現地のトルコ人ガイドが、日本企業の建設会社の協力で、現在海底部にトンネルを貫通させてアジアとヨーロッパを一つにつなぐプロジェクトが着々と進められていると、私たちツアー客に説明してくれました。彼が私たちに言ったその建設会社の名前は、私が深く関わっている企業ですので、彼がとても正確な情報を知っていると判り、私はその彼の説明にとても嬉しくなりました。尚、今年の2月26日に貫通記念セレモニーが、トルコ共和国エルドアン首相隣席の下、盛大に挙行されています。現在は両側の地下駅の工事が進められています。
また、この横断鉄道トンネルのアジア側の地下に出来るウスクダラ駅の彼の興味深い説明を聞いて、私はとても驚きました。
彼は”日本の歌手・江利チエミが歌ったトルコ民謡『ウスクダラ』で有名なウスクダラがアジア側の出口です”と私たちに説明したのです。トルコ人の彼は、30年近く前に亡くなった日本人歌手の江利チエミを知っていたのです。
このツアー客の中で、戦後元祖3人娘として大活躍したジャズ歌手・江利チエミ(1937年1月11日~1982年2月13日)をよく知っているのは、1953年生まれの私ぐらいのものでした。だから、この彼の説明を聞いていても、このトルコ民謡『ウスクダラ』をまったく知らない他のツアー客は、何かポカーンとしていました。
私はその時、彼らとの深い世代間の違いを強く実感しました。
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ネヴシェヒルからイスタンブールへ1時間20分のトルコ航空国内便に軽食有りマイレージPはANAより多い

2011-09-27 21:13:09 | 日記
今日の日記は、トルコ旅行第6日目8月18日(木)の午前中、カッパドキア郊外ネヴシェヒル空港からイスタンブール・アタチュルク空港まで利用したトルコ航空国内便のことです。
その日はユルギュップにあるホテル『ディンレル』で朝食を済ませた後、バスでネヴシェヒル空港に移動し、トルコ航空国内便(9:25発TK2007・フライト時間約1時間20分)でイスタンブール・アタチュルク空港に向かいました。
トルコ中央部カッパドキアから西端のイスタンブールまでの移動は、時間のかかるバスや夜行列車ではなく飛行機を使用する今回のツアーは、時間を有効にできるし体にも負担がかからないとても良い旅行計画でした。
この国内線専用のネヴシェヒル空港では、セキュリティチェックだけはとても厳重で、飛行機に搭乗するまで2回もチェックを受けました。1回目は荷物と身体チェックでしたが、私はその身体チェックゲートで、何度も警報ブザーが鳴りました。警備の係員とトルコ人ガイドの話では、ズボンのベルト(バックル)は破損してその時付けていなかったが、被っていた帽子のワイヤー・時計・眼鏡・指輪の金属類が反応しているのでは?とのことです。だから、私はそれら全て外してようやく無事にゲートを通過できました。
待合室に入場する際の2回目はその要領がよく判っていたので、私は全ての金属類を外したから、警報ブザーが鳴らず一回で通過できました。その時、これでトルコ国内のテロ対策は万全だと、私は強く思いました。
そして、この国内便のフライト時間は約1時間20分しかないのに、機内で軽食サービスがありました。添付した写真は、その出された軽食(左からミネラルウォター・バター・スライスチーズとトマト入りパン・オレンジジュース・手前のパックは手拭用テェッシュ)です。日本のエコノミー国内便(注:羽田~札幌便は希望者のみ飲用水だけサービス)ではまったく考えれらないサービスです。この手厚いサービスに、私はとても嬉しくなりました。
さらに、日本に帰国してから、私はトルコ航空と同じ航空会社グループのANAのマイレージ(トルコ航空のマイレージが加算されるから)登録を確認してみました。そうしたら、往復の国際線(片道4,027P)だけでなく、この利用した国内便もマイレージ(328P)登録されていました。驚いたことに、その328ポイントは、羽田~札幌便片道の255ポイントよりも多かったです。
今回のトルコ旅行でANAのマイレージPを、私は8,309Pも増やすことができました。だから、9月10~11日札幌旅行分を含めると、私のANAマイレージPは現在12,922ポイントにもなりました。15,000ポイント以上になると札幌往復航空券が購入できます。私はこれからも頑張ってANAマイレージPを増やすつもりです。
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ベリーダンスや民族舞踏を食事中に1時間半も鑑賞する遅い食事のレストランは幼い子連れたツアー客には不適

2011-09-26 18:59:57 | 日記
今日の日記は、トルコ旅行第5日目8月17日(水)の訪問した見学地及び宿泊したホテル『ディンレル』、夕食に利用したベリーダンスや民族舞踏を食事中鑑賞できる洞窟レストランのことです。
その日の午後は、カッパドキアの複合遺産・地下都市カイマクル(入場して内部を30分ほど見学)・ゼルベの谷・ギョレメの谷・ラクダ岩・三姉妹の岩等の自然遺産をバスで巡り下車して見学しました。
最後には、カッパドキア中央にある小高い丘まで、ミニハイキング(片道約15分ほど)をしました。その丘の頂上からの四方廻りの眺めは、とても良かったです。でも、そのハイキングコースで歩く道は、何も整備されておらずまったく自然のままの砂地です。だから、往復して戻ってくる間に、私の薄茶色のズボンは砂塵を被って真っ白になってしまいました。当然、私は、この砂塵を吸い込まないように、タオルでイスラム女性みたいに顔(特に口廻り)を覆っていました。それでも、何か体中が砂まみれの感じがしました。
そして、ラクダやラバ・馬に乗って往来した古代シルクロードでも、このような砂地を通り舞い上がる砂塵を吸い込みながら、苦難の交易の旅をしたのかと、私は直接体で実感しました。
また、この砂塵舞い上がるミニハイキングが、その日の最後の予定コースでよかったです。何故なら、約30分ほどバスに乗って、宿舎のホテル『ディンレル』に到着し、汚れた体を綺麗にできたからです。添付した写真は、そのホテルチェーンのパンフレットで、宿泊したユルギュップにあるホテルです。
私は客室に入るなり、直ぐに温水シャワーを浴び、バスタブにお湯を満水にして、体の隅々まで石鹸で洗いました。はいていて砂塵を吸い込んだ薄茶色ズボンも脱いで、第1日まではいていた紺色ズボンにはき替えました。
そして、すっきりとした体で夕食の為、洞窟レストランに向かいました。その移動するバス車中で、トルコ人ガイドが『ベリーダンスを踊るダンサーは田舎の人だから、ちょっと太めの女性です。だから、あまり期待しないで下さい。』と私たちに弁解していました。私はそんな事はないのでは?と淡い望みを抱いていましたが、実際この女性ダンサー(長い民族舞踏ショーの後最後の”トリを飾る”たった一人のメインの踊り子だったが)を見て、『トルコ人ガイドは嘘を付かなかった!』と強く納得しました。
やはり、大都会・イスタンブールの専門レストランでなければ、007映画に登場するような魅力的なダンサーに会えないと私は得心しました。
そして、この洞窟レストランから宿舎ホテルに帰って着たのが、午後11時頃です。幼い小学生もいる家族連れのツアー客には、この洞窟レストランの遅い食事(注:だらだらと民族舞踏ショーが続き、食事客の飛び入り参加も有り、最後のベリーダンスは10分程度でも全体のショータイムが1時間半もあった)は、不適切で少し問題があると私は思いました。それでなくとも、出てきた食事があまり美味しくなかったから、私には強く苦痛を感じたまったく”魔の時間”でした。
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