天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

札幌別宅に投函される新築分譲マンション案内は私が日記でその販売を危惧した親元不動産の超高級邸宅プラン

2019-02-28 13:58:50 | 日記
今日の日記は、札幌別宅のポストに本日午前中に投函されていた新築分譲マンション「ブランズ円山外苑前」ダイレクト案内パンフレットの事です。添付した写真は、その案内のタイトルとDタイプのプランです。
私は、この投函された新築分譲マンションを今年の1月5日付日記『購入マンション委託管理費値上危惧し親元不動産が販売す超高級マンション「〇〇〇〇円山外苑前」完売期待す』で、皆さんに紹介していました。
この投函されたダイレクト案内には、重要な建物概要(竣工日と販売価格や全体計画等)が一切なく、2タイプの部屋プランと如何に豪華か!という宣伝文句「札幌、円山。聖域の真髄。その邸宅は、美しき歴史をつくる。」とデザイン監修を手がける建築家とロビーで展示する彫刻家の作品を詳しく紹介していました。
やはり、私が日記で危惧した通り、この超高級マンションの売れ行きは芳しくないみたいです。そして売れ残っている2タイプ部屋のプランだけ掲載して、なりふり構わず中央区全マンションのポストに投函しているのでしょう。私が今住んでいるマンションの住人(坪単価180万円程度)とは、その購買客層(坪単価330万円)が全く違うのにも拘わらず、同じ不動産会社だけという共通点だけで、特別にセールスしているとは私には思えません。
やはりあまり売れていないと強く確信しました。その理由は価格だけでなく、その邸宅の良くない間取りのせいでもあるも思います。以下に、そのパンフレットでのDタイプ住戸間取りのどこが悪いかを具体的に指摘します。
(1)Kitchenがたった4.5畳しかない:延面積151.61m2もありながら、キッチンスペースが狭すぎで対面配置でない。貧弱の一言。
(2)Bedroom2・3・4とそのClo.が共に狭すぎ:無理やり4LDKにしようとしており、収納スペースが全く貧弱でベットとタンスで部屋が一杯に。
(3)Powderroomが2か所あるが、その配置が悪い:贅沢な感じを出すなら1か所は、BathRoomに近接すべき、近くの廊下に2か所は無駄で不要。
(4)DressingRoomに洗面ボウル2か所は不要:豪華さを強調したいのだと思うが2か所も要らない。それよりも狭いリネン庫を拡充すべき。
以上です。こんなお粗末な間取りでは、私は全く豪華さを感じません。でも、この住戸でも販売価格は330万円X45坪=14,850万円近くするのだから、とても驚きます。だから、この大手不動産会社は、販売方針とその実施計画が大きく間違っていると、私見ながら私は痛感しています。そして、私の住んでいる別宅マンションにその「しわ寄せ」が来ない事を強く祈るばかりです。





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『道民雑誌クォリティ2019新年特別号』道知事候補若い鈴木夕張市長(37)に他首長から嫉妬に私憤慨す

2019-02-20 15:34:49 | 日記
今日の日記は、今札幌中央区民センターから借りて別宅で読んでいる『道民雑誌クォリティ2019新年特別号』で書かれた「2019年期待する人される人そして・・・失望させられる人」での北海道知事候補者の事です。添付した写真は、その表紙です。
私は、藤沢本宅での用事も18日にて無事に済み、昨日の午前中に札幌別宅に戻って来ました。4月7日に実施される統一地方選(住民票がそのままで神奈川県知事選他投票資格有るので当日帰る予定)まではこの地にいるつもりです。
そして、この雑誌を借りて読んでいて、私は北海道での選挙権が有る道民ではないですが、道知事選にとても興味が有り、その予定候補者・鈴木直道夕張市長の評判についての記者コメント(去年12月3日収録)に、強く同感しました。以下に、その座談会の一部を引用・掲載します。
『・地方紙デスク:知事候補に取り沙汰されているのは和泉晶裕・国交省北海道局長(57)と夕張の鈴木直道市長(37)だ。和泉は手堅いが知名度がない。その点、鈴木は若いし面白い。
・放送局記者:高橋はるみ知事と吉川貴盛自民党道連会長には感情的なしこりがあった。その延長線で出てきたのが鈴木擁立論だ。その鈴木は吉川の師匠筋である菅義偉官房長官と近い。全国唯一の財政再生団体に乗り込んだ度胸を、菅が高く評価している。鈴木は、菅に相談しているはずだ。
・全国紙記者:菅は官僚嫌いだ。和泉より鈴木にシンパシーがあるはずだ。ただ、鈴木は若い。それに市長と言っても、夕張の人口は8,000人ちょっと。行政手腕は未知数だ。脚光を浴び続けることで他の首長から嫉妬もある。すんなりいくかどうか・・。』
この座談会から2か月半経過して、自民党(2月8日決定)と公明党(2月1日決定)双方の本部党推薦は鈴木直道夕張市長(37)になりました。でも、この座談会の全国紙記者が指摘するように、道内他の首長たちは、【嫉妬】から実績尊重の和泉晶裕・国交省北海道局長(57)を強く主張してきました。北海道の大自然の中に暮らしながら、ほんとうに肝っ玉の小さい行政者たちで、私はとても情けなくなりました。
この雑誌にも「特別企画<<元気です北海道>>179市町村ガイドPART1」で紹介された夕張市欄は、空知分:見開きページ1/3ページしかないです。表紙欄に大きく記載されている道知事・札幌市長・小樽市長・北広島市長の4市に比べてみて、如何に夕張市の道内での扱い方が低いのが良く分ります。
しかし、知事候補は前の職務だけで選考を優先するべきではなく、その手腕は未知数(全国紙記者)であっても、菅官房長官が高く評価している「夕張再生」を大いに認めてあげるべきだと、私は強く思いました。だから、私は紆余曲折があっても道知事候補者として、鈴木直道夕張市長に決まってとても喜んでいます。
選挙権の有る直接の道民ではないですが、私(家屋敷税のみ払う別荘族)は、野党候補者の石川知裕元衆議院議員(裁判で有罪判決確定)に、是が非でも勝って、若い力で「北海道を再生」欲しいと強く思っています。
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本日2018年確定申告を藤沢税務署で実施同時e-Tax登録も完了す来年は窓口手続無く本宅戻る事不要か

2019-02-18 15:07:54 | 日記
今日の日記は、藤沢本宅に戻って来た目的の一つである、2018年度の確定申告書類を本日午前中に藤沢税務署に提出し、その際、合わせてe-Taxの登録をした事です。
添付した写真は、その案内パンフレット「注:私は、ICカードリーダライタを持っていないので、中段のID(利用者識別番号)とパスワード(暗証番号)の手続き申請の方でしす。」です。
私は、今までの確定申告の還付申請は、B版の申請用紙(不動産収入が有る為)に記入して、税務署に郵送(給与収入だけの時はそれを利用していたが)するのでは無く、直接税務署に出かけて行って(注:土曜日受付の日が有って、会社を休まず実施可能だった)その手続きをしていました。
今年は、もう無職になったので私は時間が完全にフリーです。だから、確定申告受付開始の本日午前9時頃、その申請の為、家を出て藤沢税務署に到着しました。8時30分から開始ですが、既に多く申請者が行列をなしていました。そして、30分程待って、その申請書類を無事に提出出来ました。その際、インターネットを利用して楽に確定申告ができるe-Tax登録も合わせてお願いしました。
こちらも希望者が多く約30分程待ってから、ID(利用者識別番号)とパスワード(暗証番号)の手続き申請の受付が完了しました。
今までは、ICカードリーダライタ(注:機械を購入する必要が有り費用が掛かる)がないとこの「e-Tax」を利用できなかったので、私はそのシステムを全く無視していました。しかし、来年からは、ICカードリーダライタ(注:源泉徴収票等の添付文書の扱いを担当者に問い質したが、明確な回答は無かった)が無くとも、その利用が可能となったようです。
もし、インターネット(札幌別宅のパソコンを使う)を利用して楽に確定申告が出来れば、来年からは藤沢本宅にその申請で戻る必要が無くなります。その改善が実施可能なのか?今から来年の事を言うと、”鬼が笑う”ので、私は、心中では期待しつつ、表面上は今はじっと静観するつもりです。
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保阪正康著『山本五十六の戦争』著者の歴史イフ「ルーズベルトが天皇親書が届くなら講和会議出席」は不可能

2019-02-16 13:56:29 | 日記
今日の日記は、藤沢本宅で読んでいる保阪正康著『山本五十六の戦争』(2018年12月毎日新聞出版刊)で書かれた、著者が山本大将の心中を代弁した「山本を中心にした講和内閣」仮説の歴史出来事です。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書の中で、1943年4月18日ブーゲンビル島で墜落されてから20時間余、生存していた山本五十六の脳裏に浮かんだ歴史劇を、著者は詳細に紹介しています。しかし、著者の独断的で間違った主張を加えており、私にはとても共感できない内容でした。だから、山本五十六元帥の間違ったイメージを払拭する為、以下に、その問題となる記述を引用・抜粋して掲載します。
『1942年6月のミッドウェー海戦に敗れたのを機に、講和内閣を作る可能性があった、というのが、私の想定する歴史上の「イフ」である。山本はこの動きの軸になり得たのではなかったか。・・そのうえで、天皇が近衛に1941年10月に首相の座を離れて以来の第4次内閣を組閣するように命じる方向がさぐれたはずである。まったくゼロだったというわけではない。山本が、こうした形の講和内閣を誰よりも深く望んでいたことは間違いないだろう。・・1942年8月に入って間もなく、第4次近衛内閣が誕生した。誕生と同時に、海軍大臣に米内光政、軍令部総長に山本、次長に井上成美、そして陸軍大臣に宇垣一成、参謀総長に東久邇稔彦親王、次長は下村定が新しく赴任した。陸軍は皇族で抑えるというというのである。・・講和の条件づくりは、副総理兼終戦担当の吉田茂を中心に、外務省、陸軍省、海軍省、それに山本の命令で大本営からも次長クラスが参加して進められた。そして、ルーズベルトが、近衛に「かつての外交交渉を無視して、真珠湾攻撃をは始めたのは暴挙であり、我々には許しがたい態度だが、一方でこのまま戦争が継続すれば双方に得るものはないと思われる。日本側から改めて天皇の親書が届くなら、我々は講和会議に出席するだろう。元駐日大使のグルーと、私の政治秘書であるハリー・ホプキンスがその窓口にだろう。」というメッセージが、バチカンの原田健公使とモスクワ駐在佐藤尚武大使の双方から届いた。1942年11月、初夏のメルボルンで講和交渉が始まった。メルボルンを選んだのは、この極秘の講和交渉を国際社会に知られたくないとの日本側の意向でもあった。』
いくら、想定する歴史上の「イフ」である事例でも全く根拠がなければ、絵空事です。そして、この絵空事を山本五十六元帥が信じていたと主張する保阪正康氏に、私は強い憤りを持っています。その絵空事である事例を、以下に詳細に指摘します。
(1)・第4次近衛内閣が誕生:ミッドウェー海戦に敗れた当時には、東條内閣の責任追及は全くなかった。顕在化するのは1943年になってからである。さらに、近衛が再登板する意志は全くなかった。その強い意志があれば、前の内閣を外交交渉中に放り出していない。
(2)・陸軍大臣に宇垣一成、参謀総長に東久邇稔彦親王、次長は下村定:このメンバーでは暴走していた陸軍を抑える事は全く不可能である。また皇族は、東久邇稔彦親王だけでは抑えられない。
(3)・ルーズベルトの「天皇の親書が届くなら、我々は講和会議に出席」:このメッセージは日本を徹底的に叩く事を優先していた反日の国家指導者ルーズベルトの政治的本質を全く理解していない。
(4)・グルー元駐日大使とハリー・ホプキンスが交渉窓口:グルーは理解できるが、ソ連の隠れスパイと言われるハリー・ホプキンスが登場したら、ソ連の国益を斟酌して和平交渉を妨害する。
(5)・メルボルンで講和交渉:交戦国だったオーストラリアで和平会議が行われるなど論外で、中立国のスイスやスウェーデンが妥当な交渉会議開催国である。
以上を私の私見を述べましたが、言論の自由は保障されるべきです。しかし、亡くなった山本五十六元帥の名誉の為、その価値観が偏狭的な保阪正康氏に、私は強い苦言を呈しました。
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コション著『マリリン・モンロー最後の年』演技指導ポーラ報酬は映画「恋をしましょう」MMより多くで憤り

2019-02-14 14:12:04 | 日記
今日の日記は、今藤沢本宅で読んでいるセバスティアン・コション著山口俊洋訳『マリリン・モンロー最後の年』(2017年中央公論社刊)で書かれているモンローの私的演技コーチだったポーラ・ストラスバーグがモンローから受け取った報酬の事です。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、大好きだった女優マリリン・モンローに関係する書籍はほとんど読破していましたが、この著書(注:1962年のロサンジェルスですごした最後の日々に、彼女に身近に接した協力者・友人で、彼女に雇われていた人々のシルエットを描写)は未読だったので書店で購入して今読んでいます。
そして、その雇われていたポーラ・ストラスバーグ(ニューヨークで演技スタジオ「アクターズ・スタジオ」を創設したリー・ストラスバーグの妻で、元女優1909~66年)が、映画『恋をしましょう』(1960年製作:ジョージ・キューカー監督 共演イヴ・モンタン)で主演のマリリン・モンローから受け取った報酬にとても驚き、マリリンを食い物にしたこのエセ演技指導者に、私は強い憤りを持ちました。以下に、その関連記述の一部を引用・掲載します。
『アクターズ・スタジオを離れることのできなかったリーの代わりに、ポーラが「顧問」として派遣された。この唯一無二の立場には、幾つも見返りがあったのだ。世界一ビックなスターの耳元でささやくという特権。ワンカット撮影するごとに、手練れの監督たちを差し置いて、マリリンが演技の確認を求めて振り返る相手であることの満足感。そして、しかるべき報酬である。ポーラのギャラはリーが自分で交渉した。ポーラは「恋をしましょう」では、週300ドル(2016年換算で3,500ドル以上)という天文学的な給与を受け取った。このとき脚本家たちのストライキで撮影が長引いたため、最終的に、ポーラはこの映画でマリリンよりも多くの報酬を得たのだった。彼女の報酬は、「荒馬と女」ではさらに上がった。・・1962年6月、マリリンは秘書から1月以降の個人的な出費の詳細を書いたメモ(半年で薬代10,131.23ドル、ポーラ・ストラスバーグの助力15,411.18ドル<2016年換算で121,500ドル>)を受け取った。マリリンは、そのメモを広報担当女性に見せ、「あなたは、何が最も役に立ったと思う?」と言い、ニューヨークに戻るポーラの飛行機代を引き受けた。』
私は、ニューヨークで演技スタジオ「アクターズ・スタジオ」を創設したリー・ストラスバーグとその妻を昔から抑止の知っていました。物心付いた頃に、民放テレビでマリリン・モンローのアメリカ伝記番組に出演したこの夫婦は、ワンパターンの演技だと酷評され悩んだマリリンを手助けする舞台芸術家だと、私はほんとうに思っていました。
しかし、その後多くのマリリン・モンロー映画を再鑑賞し、彼女に関連する著作を読んで、彼らの指導は全く不必要で、逆に弊害があったと、今は強く確信してしています。今回この著書で、映画主役のはずの女優より、影の脇役の演技指導コーチの方が、受け取った報酬が多かった事を私は初めて知り、今唖然としています。
更に、マリリンが亡くなる前の半年間で、自分の薬代より高い一万五千ドル以上の援助していたとは、全くの驚きです。この夫妻には、報酬に関して恥ずかしく卑しい「守銭奴」と言う認識が完全に欠落していると思います。
でも、最後は、マリリンはその愚行?を薄々感じ取ってか?、広報担当女性に「その出費が役に立ったか?」と確認していました。彼女のとても悲しく痛ましい出来事です。
歴史に、”IF”は存在しませんが、マリリン・モンローがストラスバーグ夫妻に出会わなければ、彼女の女優人生は変わっていたと、私は強く痛感しています。
だから、最近テニスの大坂なおみ選手が専属コーチとの契約を解除したと報道されていますが、私は彼女のその行為に全面的に支持します。コーチが主役ではなく、実際行う選手や演じる女優が主役だからです。

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