今日の日記は、今札幌別宅で読んでいるNHKスペシャル取材班著『日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦』(2011年新潮社刊)で、日本海軍航空母艦瑞鳳・瑞鶴の艦長だった野元為輝(1894~1987年)元少将が語った元海軍軍令部伏見宮総長(明治8年生まれ戦艦三笠の分隊長昭和7年に軍令部部長に就任し、翌年部長職名を総長名に改正するよう昭和天皇に圧力を掛けて昭和16年4月まで軍令部トップ、昭和21年70歳で死去)への戦争責任に対する言及の事です。
天賦した写真はその著書の表紙です。
この著書は、NNHKが2009年8月に放映したNHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」の番組の文書記述化です。私はこの番組を見ており、その時とても驚いた事をよく記憶しています。特に、その第1回「開戦・海軍あって国家なし」で明らかにされた海軍軍令部の統帥権干犯に、強い憤りを抱きました。そして、その海軍で軍令部経験がない艦隊勤務だけの野元為輝元少将の伏見宮総長への批判に強い衝撃を受けました。以下に、その証言他当時の歴史的事実を、著書から一部引用・抜粋します。
『野元元少将がくり返し伏見宮元帥に言及したのは、元帥の元側近(昭和14年から2年間副官を務めた末国正雄元大佐)が反省会に参加していたからであろう。昭和8年9月の「海軍軍令部令」によって軍令部のトップが「海軍軍令部長」から「軍令部総長」に改められた。陸軍の「参謀総長」に対抗するためと言われている。海軍省軍務局井上成美第一課長(後に軍務局長となり、米内光政海軍大臣・山本五十六次官と共に日独伊三国同盟に反対する海軍和平派)は反対する。しかし、伏見宮元帥は、海軍大臣に対して「軍令部の法令が通らなければ、自分は海軍軍令部長を辞任する」と圧力をかけ、海軍省は屈した。軍令部に屈した海軍大臣は、大元帥昭和天皇の裁可を口頭では得られず、「即刻文書にて提出せよ」と命じられた。さらに、文書でも昭和天皇は満足せず、<本件は事重大なるを以て東郷元帥に御諮詢>するよう命じている。しかし、「立憲君主」を自認する昭和天皇は、翌日には、法令を裁可している。そして、およそ1年後の昭和9年7月伏見宮総長は、軍縮体制から脱退しなければ、海軍は統制できないと昭和天皇に奏上する。日本は、軍令部意向のままに大軍拡へ突き進み、アメリカ、イギリスと直接対峙する道へと、足を踏み入れたのだ。・・昭和58年9月14日第46回反省会:野元元少将談・・
【これは我々の反省であり、殿下に対する批判も少し、言い過ぎかもしれないが、そういう批判も必要であるけれども、それを将来の日本が同じような過ちを犯さないようにすることが、大きな反省会の目的と考えなければならないとも、思うのであります。】』
この著書を読んで、時代の生き証人だった老将が語った日本の将来を思う真摯な願いを、私たちは大切にしなければいけないと、痛感しました。さらに、皇族だから批判できないとなれば、日本の歩む道が一方的な間違った方向になると私は強く得心しました。
だから、今上天皇の御退位問題で、皇族方(天皇を含めて)の意見をただ闇雲に尊重するだけでなく、時には冷静に批判の目で見る事も必要だと私は思います。その趣旨に沿って言えば、私見ですが、天皇が望まれる退位は必要でなく【摂政】で十分対応できると、私は強く思っています。
天賦した写真はその著書の表紙です。
この著書は、NNHKが2009年8月に放映したNHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」の番組の文書記述化です。私はこの番組を見ており、その時とても驚いた事をよく記憶しています。特に、その第1回「開戦・海軍あって国家なし」で明らかにされた海軍軍令部の統帥権干犯に、強い憤りを抱きました。そして、その海軍で軍令部経験がない艦隊勤務だけの野元為輝元少将の伏見宮総長への批判に強い衝撃を受けました。以下に、その証言他当時の歴史的事実を、著書から一部引用・抜粋します。
『野元元少将がくり返し伏見宮元帥に言及したのは、元帥の元側近(昭和14年から2年間副官を務めた末国正雄元大佐)が反省会に参加していたからであろう。昭和8年9月の「海軍軍令部令」によって軍令部のトップが「海軍軍令部長」から「軍令部総長」に改められた。陸軍の「参謀総長」に対抗するためと言われている。海軍省軍務局井上成美第一課長(後に軍務局長となり、米内光政海軍大臣・山本五十六次官と共に日独伊三国同盟に反対する海軍和平派)は反対する。しかし、伏見宮元帥は、海軍大臣に対して「軍令部の法令が通らなければ、自分は海軍軍令部長を辞任する」と圧力をかけ、海軍省は屈した。軍令部に屈した海軍大臣は、大元帥昭和天皇の裁可を口頭では得られず、「即刻文書にて提出せよ」と命じられた。さらに、文書でも昭和天皇は満足せず、<本件は事重大なるを以て東郷元帥に御諮詢>するよう命じている。しかし、「立憲君主」を自認する昭和天皇は、翌日には、法令を裁可している。そして、およそ1年後の昭和9年7月伏見宮総長は、軍縮体制から脱退しなければ、海軍は統制できないと昭和天皇に奏上する。日本は、軍令部意向のままに大軍拡へ突き進み、アメリカ、イギリスと直接対峙する道へと、足を踏み入れたのだ。・・昭和58年9月14日第46回反省会:野元元少将談・・
【これは我々の反省であり、殿下に対する批判も少し、言い過ぎかもしれないが、そういう批判も必要であるけれども、それを将来の日本が同じような過ちを犯さないようにすることが、大きな反省会の目的と考えなければならないとも、思うのであります。】』
この著書を読んで、時代の生き証人だった老将が語った日本の将来を思う真摯な願いを、私たちは大切にしなければいけないと、痛感しました。さらに、皇族だから批判できないとなれば、日本の歩む道が一方的な間違った方向になると私は強く得心しました。
だから、今上天皇の御退位問題で、皇族方(天皇を含めて)の意見をただ闇雲に尊重するだけでなく、時には冷静に批判の目で見る事も必要だと私は思います。その趣旨に沿って言えば、私見ですが、天皇が望まれる退位は必要でなく【摂政】で十分対応できると、私は強く思っています。