天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

NHK著『日本海軍400時間の証言』野元少将「殿下の批判が言い過ぎでも日本が同じ過ちを犯さない」得心

2016-12-31 10:39:04 | 日記
今日の日記は、今札幌別宅で読んでいるNHKスペシャル取材班著『日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦』(2011年新潮社刊)で、日本海軍航空母艦瑞鳳・瑞鶴の艦長だった野元為輝(1894~1987年)元少将が語った元海軍軍令部伏見宮総長(明治8年生まれ戦艦三笠の分隊長昭和7年に軍令部部長に就任し、翌年部長職名を総長名に改正するよう昭和天皇に圧力を掛けて昭和16年4月まで軍令部トップ、昭和21年70歳で死去)への戦争責任に対する言及の事です。
天賦した写真はその著書の表紙です。
この著書は、NNHKが2009年8月に放映したNHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」の番組の文書記述化です。私はこの番組を見ており、その時とても驚いた事をよく記憶しています。特に、その第1回「開戦・海軍あって国家なし」で明らかにされた海軍軍令部の統帥権干犯に、強い憤りを抱きました。そして、その海軍で軍令部経験がない艦隊勤務だけの野元為輝元少将の伏見宮総長への批判に強い衝撃を受けました。以下に、その証言他当時の歴史的事実を、著書から一部引用・抜粋します。
『野元元少将がくり返し伏見宮元帥に言及したのは、元帥の元側近(昭和14年から2年間副官を務めた末国正雄元大佐)が反省会に参加していたからであろう。昭和8年9月の「海軍軍令部令」によって軍令部のトップが「海軍軍令部長」から「軍令部総長」に改められた。陸軍の「参謀総長」に対抗するためと言われている。海軍省軍務局井上成美第一課長(後に軍務局長となり、米内光政海軍大臣・山本五十六次官と共に日独伊三国同盟に反対する海軍和平派)は反対する。しかし、伏見宮元帥は、海軍大臣に対して「軍令部の法令が通らなければ、自分は海軍軍令部長を辞任する」と圧力をかけ、海軍省は屈した。軍令部に屈した海軍大臣は、大元帥昭和天皇の裁可を口頭では得られず、「即刻文書にて提出せよ」と命じられた。さらに、文書でも昭和天皇は満足せず、<本件は事重大なるを以て東郷元帥に御諮詢>するよう命じている。しかし、「立憲君主」を自認する昭和天皇は、翌日には、法令を裁可している。そして、およそ1年後の昭和9年7月伏見宮総長は、軍縮体制から脱退しなければ、海軍は統制できないと昭和天皇に奏上する。日本は、軍令部意向のままに大軍拡へ突き進み、アメリカ、イギリスと直接対峙する道へと、足を踏み入れたのだ。・・昭和58年9月14日第46回反省会:野元元少将談・・
【これは我々の反省であり、殿下に対する批判も少し、言い過ぎかもしれないが、そういう批判も必要であるけれども、それを将来の日本が同じような過ちを犯さないようにすることが、大きな反省会の目的と考えなければならないとも、思うのであります。】』
この著書を読んで、時代の生き証人だった老将が語った日本の将来を思う真摯な願いを、私たちは大切にしなければいけないと、痛感しました。さらに、皇族だから批判できないとなれば、日本の歩む道が一方的な間違った方向になると私は強く得心しました。
だから、今上天皇の御退位問題で、皇族方(天皇を含めて)の意見をただ闇雲に尊重するだけでなく、時には冷静に批判の目で見る事も必要だと私は思います。その趣旨に沿って言えば、私見ですが、天皇が望まれる退位は必要でなく【摂政】で十分対応できると、私は強く思っています。
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札幌別宅玄関扉上部鍵穴の不具合発生トラブルで分譲新築マンション購入は【管理で決めろ】金言を今強く実感

2016-12-30 10:41:36 | 日記
今日の日記は、札幌別宅からです。
私は、27日夜に仕事を終わらせてから、午後8時40分のANA便で札幌に向かいました。しかし、前の接続便が大幅に遅れて、出発が1時間も遅延し、28日深夜1時過ぎ(注:新千歳連絡バスは終了して札幌駅前までの臨時バスを利用し東京ドームホテルは行かないので、しかたく大通公園停車場から徒歩)に、ようやく札幌別宅に到着しました。
そして、到着して部屋に入ろうとしたら、玄関の上部鍵が全く開錠できなくなっており、マンション管理会社を呼び出しました。しかし、到着した管理会社担当者は、全く要領をえない対応しかせず、”今鍵修繕屋を呼びますが、その修理代を支払ってくれ”と言って、現場を放棄してそのまま帰って行ってしまいました。その為、私はその鍵修繕屋が玄関まで入って来られないので、とても寒い1階ロビーで、その鍵修繕屋の到着を待つことにしました。
小1時間して呼ばれた鍵修繕屋が到着しましたが、彼も不具合になった玄関上部鍵穴の修理に難渋し、もう完全にお手上げで修理不可能(注:最初はもし開錠できれば2万円請求すると言っていたが、修理できなかったので何も書類や請求書を置いていかなかった。)だから管理会社に連絡しろと言って、そのまま帰ってしまいました。
全く何ていう最悪の状態(玄関扉及び鍵は共用部扱いでマンション区分所有者の財産ではなく、その不具合瑕疵は管理を委託されている管理会社の責任分担範囲でありながら、すべてが全く不誠実な対応)でしょう。
私は、空港到着後もう4時間以上も経過していたので、トイレ(自宅にあるが入れない)を我慢できなくなり、隣のコンビニ店で用を済ませて、朝まで管理会社担当者が来るまで、玄関前で仮眠する事にしました。
でも、コンビニ店から自宅玄関に戻ってから、全く駄目元だと思いながら、最後のあがきで、そのその不具合になった上部鍵穴にキーを挿入して回してみました。そうしたら、【全く驚いた事に】、キーは見事に回転して、私の部屋の玄関扉は【開き】ました。
この鍵の不具合は、一体何が原因で発生したのか?、私には今でも皆目見当が付きません。また、そのマンション管理会社から何の連絡(携帯電話は所持していないが、深夜の玄関非開錠トラブルは解消したのか?入居者に何の確認もしない全く不誠実な対応)も、今現在ないです。部屋に入れない入居者がホテル住まいでもしていると思っているか?私にはその不誠実な対応は理解できないです。
だから、このとても苦い経験をしてから、私は所用で出かける時は、玄関扉下部(最初から健全な状態だった)のみ施錠して、問題になった上部鍵穴はそのままにしています。不具合原因がはっきりしないから、再び開かなく恐れを私は危惧しているからです。
大手不動産会社の分譲マンションでも、このような予知しないトラブルが発生し、その対応処置も全く不誠実であると強く痛感し、購入予定の賃貸用サードマンションと今別宅居住マンションの交換取り換えを、私は熟慮(無駄な引っ越し費用が掛かるが)中です。
そして、新築マンションの購入選択する時の金言【分譲新築マンションの購入は”管理”で決めろ】を、私は今強く実感しています。
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J&Eソネンバーグ『腸科学・健康な人生を支える細菌の育て方』何万年密接ピロリ菌の根絶で免疫損傷考慮を

2016-12-23 20:07:01 | 日記
今日の日記は、今読んでいるJ&E・ソネンバーグ共著『腸科学・健康な人生を支える細菌の育て方』(2016年11月・早川書房刊)で書かれている【ピロリ菌】のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、胃の中に棲む悪名高き【ピロリ菌】の所有者です。生まれてからずっとこの細菌と共生していましたが、数年前の健康診断で、医務担当者から胃の中に【ピロリ菌】が生息しているので、除菌しなければ、胃ガンになると、聞かされて私はとても驚きました。しかし、除菌治療の医療費が高価(注:最近は胃潰瘍等の病気持ち者のみ健康保険の対象になるが)になる為、私は未だに、この【ピロリ菌】除菌治療を行っていません。そのような健康環境の中で、安易な【ピロリ菌】悪玉論に、強く警鐘を鳴らすこの本著医学解説書を目にして、私はとても安堵しました。以下に、その著書の中から、【ピロリ菌】に関する記述の一部を引用・掲載します。
『・・ピロリ菌はどうなの・・マーティン・ブレイザーはニューヨーク大学の教授で、ヒトの胃の中に棲むヘリコバスター・ピロリ、いわゆるピロリ菌が健康に与える影響を研究するグループのリーダーだ。この細菌は胃潰瘍、ときには胃ガンを発症させることがある。どう見ても悪玉だ。医学界もそう考え、この「有害な」微生物を抗生物質で根絶すると決めた。・・悪玉のレッテルを貼られてからというもの、ピロリ菌はわずか数十年で絶滅の道を歩んできた。ところが、ピロリ菌を持たない人には、大きなマイナス面がある可能性がある。ブレイザーなどが示したように、ピロリ菌がいない子どもは喘息やアレルギーを発症しやすいのだ。ピロリ菌がいなければ、人生の後期に少数の人が胃の問題を免れるかもしれないが、生まれてからずっとピロリ菌がいない子ども(ピロリ菌はたいてい両親から受け継ぐもの)は、生涯を通じて健康問題を背負い込むリスクがある。・・細菌を根絶すると決める前に、とりわけ、その細菌が何万年にもわたってヒトと密接があったなら、根絶によって免疫系に損傷を与える可能性を考慮する必要がある。・・その最近の医学データを踏まえて、「将来、医師は子どもにピロリ菌を接種し、壮年になったら除菌するだろう」と、ピロリ菌根絶指導者のブレイザーは当初から修正した医学予想をしている。』
この著者のJ&E・ソネンバーグ両氏は、夫婦揃ってスタンフォード大学の研究者です。自らの子供たちにも、研究テーマである「腸内細胞」の試験実践を行うなど、とても医学界において説得力のある研究者です。昔から生まれてきた子どもには母乳が良いと言われてきていますが、その理論的な検証にも、私(私自身も母乳で育った)は、とても納得しました。さらに、この悪玉細菌の【ピロリ菌】は、私が生まれた育って来た環境が劣悪だった為、ピロリ菌に感染したと医学界見解を前から聞かされて、自分自身や育ててくれた両親にとても負い目を感じていました。しかし、「このピロリ菌は、衛生環境の為発生した後発的な細菌ではなく、親から子へ引き継がれ何万年にもわたってヒトと密接があった細菌だ」と、私は初めて知りました。
こんなヒトと何万年にも共生していた微生物を、簡単に殺しても良いのか?と私は甚だ疑問を持ちました。、【ピロリ菌】絶滅推進研究者は、その間違え論理を完全に認めず、予防接種(結核・種痘の予防接種は、昔は強制だったが今は希望者のみ)と同じように、その「悪玉菌を子どもに接種し、あとで除菌する」と全くナンセンスな論理を展開しています。だから、この教授は、とても無責任な研究者だと今強く得心しました。
そして、私は、もし今現在胃に棲む人類数万年の共生の友【ピロリ菌】が突然、私に悪さをしても、自己責任と諦めて、今まで同様、【ピロリ菌】と仲良く生活するつもりです。
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『昭和天皇実録第九』天皇は自ら退位で戦争責任者の聯合国への引渡取止め能否を内大臣に御下問を今上天皇に

2016-12-17 22:22:55 | 日記
今日の日記は、今読んでいる『昭和天皇実録 第九 自昭和十八年至昭和二十年』(宮内庁・2016年9月刊)で書かれている昭和天皇の戦争終結への熱意及びその責任のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書第九巻には、昭和天皇が、不本意ながら裁可された太平洋戦争の終結に向けて天皇の熱意・沖縄県民への思い・御聖断後の日本復興や戦争指導者への配慮・マッカーサー聯合国最高司令官への御言葉・御自身の御退位決意・過去の御訪欧の体験等が、語られています。その一つ一つが、私の胸を打つとても感動的な御言葉でした。以下に、その御言葉の一部を抜粋し、掲載します。
・昭和十九年九月二十六日(天皇の和平に対するお考え):内大臣木戸幸一に、天皇は、名誉を維持し武装解除又は戦争責任者問題を除外して、和平を実現できざるや、領土は如何でもよい旨を述べられる。
・昭和二十年四月二日(沖縄戦を御憂慮):天皇は参謀総長梅津美治郎に対して、沖縄作戦に関して、現地軍が攻勢に出ない理由を尋ねられ、兵力不足ならば逆上陸を敢行しては如何と御提案になる。
・昭和二十年八月十九日(警戒準備管制の解除):天皇は内閣総理大臣稔彦王に、国民生活の明朗化のため灯火管制の即時中止、娯楽機関の速やかな復興、信書検閲等の即時停止を御沙汰された。
・昭和二十年八月二十九日(御退位による戦争責任者引渡し取止めの能否を御下問):内大臣木戸幸一に、天皇は、自らの退位により戦争責任者の聯合国への引渡しを取り止めることができるや否かにつき御下問になる。
・昭和二十年九月二十七日(マッカーサーの後日談):マッカーサーは1964年刊行された自身の回想記の中でも、天皇が「国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした」と語られたと記す。
・昭和二十年十月十六日(御訪欧の懐旧談):内閣総理大臣幣原喜重郎らと御会食で大正十年御訪欧が話題になり、天皇は、当時米国訪問が叶えば多少なりとも同国の事情を理解でき、今度如き時にいくらか役に立ちしかと思う旨を仰せになる。
・昭和二十年十二月十日(木戸は我が国にとって功労者):木戸の御相伴お召しに先立ち、侍従長藤田尚徳より、木戸は御遠慮申し上げるにあらずやとの言上を受けられた際、天皇は、米国より見れば戦争犯罪人ならんも、我が国にとっては功労者であり、万一木戸が遠慮する如きことあらば、料理を届け遣わすようお命じになる。
私は、この数々のエピソードを知ってはいましたが、今、時系列的に読み返してみて、昭和天皇の心暖かい御人柄に強く心を打たれています。昭和天皇は、自らの保身など全く考えず、臣下や日本国民の事だけを思われた人格の高潔な人でした。全く不敬な発言かもしれないですが、今御退位を斟酌されている今上天皇にも、とても参考になるエピソードだと私は強く得心しました。

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『昭和天皇実録第八』天皇は支那広しも太平洋はさらに広しと叱責し無謀なる師を起こせば皇祖皇宗に相済まぬ

2016-12-11 17:52:24 | 日記
今日の日記は、今自宅で読んでいる『昭和天皇実録第八(自昭和十五年・至昭和十七年)2016年9月・宮内庁刊』で、書かれている大東亜戦争開始に関わる昭和天皇の御言葉の事です。添付した写真は、その著書です。
この第八巻には、いわゆる太平洋戦争(注:当時の正式名称は大東亜戦争)開戦(1941年・今年が75周年目に当たる)に至る際の、それを未然に防ごうとした生々しい昭和天皇のお言葉が書かれています。以下に、その記述の一部を引用・掲載します。
・昭和十六年九月四日(杉山参謀総長を御叱責):天皇は納得されず、従来杉山の発言はしばしば反対の結果を招来したとされ、支那事変当初、陸相として速戦即決と述べたにもかかわらず、未だに事変は継続している点を御指摘になる。参謀総長より、支那の奥地が広大であること等につき釈明するや、天皇は支那の奥地広しというも、太平洋はさらに広し、作戦終了の見込みを約五箇月とする根拠如何と論破され、強き御言葉を以て参謀総長を御叱責になる。・・天皇は、無謀なる師を起こすことあらば、皇祖皇宗に対して誠に相済まない旨を述べられる。
・昭和十六年十月十三日(宣戦詔書渙発の際の御希望):万一開戦となる場合には、宣戦の詔書を渙発することとなるべき旨を述べられる。その上で天皇は、国際聯盟脱退に際する詔書や日独伊三国同盟に際する詔書において述べた世界平和の考えが、国民に等閑視されていることを遺憾とされ、・・十分に自分の気持ちを取り入れてもらいたき旨の御希望を述べられる。・・さらに戦争終結の手段を最初から十分に考究し置く必要があり、そのためにはローマ法王庁との使臣の交換など、親善関係を樹立する必要がある旨を述べられる。
・昭和十六年十月二十日(木戸内大臣の東条内閣奏請理由):内大臣より、不用意な戦争突入を回避する唯一の打開策と信じて、東条を奏請した旨を詳細にお聞きになり、いわゆる虎穴に入らずんば虎児を得ざる旨の御感想を述べられる。
このように、昭和天皇や木戸内大臣等身近に使える重臣たちは、無謀な戦争には反対の立場でした。しかし、この杉山元参謀総長(陸軍大臣も経験)や東条英機陸軍大臣(天皇の認可により首相を兼任していまうが)は、何ら勝算の無い戦いを始めてしまったのです。さらに、天皇が戦争終結の手段を深慮されていたにも関わらず、ズルズルと泥沼に嵌まって入ったのです。
杉山元参謀総長が作戦終了の見込みを約五箇月とする根拠は、海軍のミッドウェー海戦(昭和十七年六月五日・島空襲開始)の大勝利を指していたかもしれないですが、その勝敗は日本海軍の大敗北でした。愚かな陸軍や海軍の政治的指導者(山本五十六聯合艦隊長官等一部開明派は存在)により、日本国民は塗炭の苦しみを味わうことになったのです。特に、天皇が、逆に陸軍を抑えて不戦行為を行うと大いに期待した東条英機首相の戦争責任は、極めて重大です。
だから、昭和天皇の戦争を防止できなかった自責の念は、如何ばかりであったかと今御推察しております。そして、このような当時の昭和天皇の聖慮を全く無視して、太平洋戦争の天皇責任を声高に訴える国内外の不逞な輩には、私は強い憤りを抱いています。

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