天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

キリスト脇腹突き刺した「聖なる槍」と浅野内匠頭が切腹に用いた「お肉通しの刀」は故人無念を具現する遺品

2011-06-03 23:10:50 | 日記
今日の日記は、今読んでいる塩野七生著『十字軍物語1』(2010年新潮社刊)でことです。添付した写真は、その著書表紙です。
その著書では、私が前に言及した『真の十字架』(注:4月10日付と5月4日付小生の日記を参照の事)以外に、キリストの「聖遺物」が登場しています。私がとても興味深かったその記述『聖なる槍』を、以下に一部引用・掲載します。
『バルトロメオと名乗る男が、トゥールーズ伯サン・ジルの陣営を訪れ、昨夜見たという夢を語った。・・アンティオキアの中央通りに建つ聖ペテロの教会の床下に、十字架にかけられたイエス・キリストの脇腹を突き刺した「聖なる槍」が埋まっているから、それを堀り出すように言われたと言われたというのである。その「聖なる槍」を先に立てて闘えば、トルコ軍を撃退できると、夢の中の聖アンドレアは保証したというのだった。・・「聖なる槍」の一件はたちまち十字軍全体に広まり、バルトロメオがかかげるそれを見た兵士たちは感激し、彼らの士気が高まったのも事実である。「槍」と言っても、槍の先端部分の槍先でしかなかったのだが、それがかえって「聖遺物」らしく神秘的に映ったのだ。・・トゥールーズ伯サン・ジルは、「聖なる槍」を保持しつづける。しかし、この六年後に彼が死んだ後、なぜかこの「聖なる槍」は四本に増える。この四本の行方は、この種の聖遺物の運命を示して興味深い。そのうちの一本は、今なおアルメリアの教会に保存されているもので、パレスティーナから直接に持って来られた品と言われている。二本目は、第七次十字軍を率いたフランス王ルイ九世がパレスティーナから持ち帰ったとされる品だが、長年パリの教会に保存されてきたこれも、フランス革命の混乱の中で行方不明になった。三本目は、十五世紀末にオスマン・トルコのスルタンがときの法王に贈ったとされている品で、ヴァティカンのどこかにまだあるということだが、見た人はいない。最後の一本は今なおウィーンに保存され、唯一インターネット上に写真つきで紹介されている品である。一昔前までは、神聖ローマ帝国の権威を象徴する聖遺物として、大切に保存されていたのであった。』
その真贋はともかく、キリストの身体に突き刺した槍が現在でも存在しており、大切に保存されている事実(ウィーンのホーフブルグ宮殿が所蔵)を知り、私はそれと同じような日本の近世に起きた、刃傷事件での刑罰の切腹に用いた「お肉通しの刀」をふと思い出しました。
その刃傷事件とは、江戸時代赤穂藩藩主・浅野内匠頭が江戸城松の廊下において高家筆頭・吉良上野介を斬り付ける刃傷沙汰を起こし、幕府から切腹の裁断を受けた傷害事件です。その刑罰の切腹を受けた後、国許にいた筆頭家老である大石内蔵助には、その切腹に用いた「お肉通しの刀」が辞世の句と共に早駕籠で「御遺品」として届けられています。その御遺品を見て、忠臣・大石内蔵助が感涙したことはよく知られたことです。
そして、為政者の愚挙で無念を抱きながら亡くなった人を偲ぶ思いは、古今東西その置かれた社会がまったく違っても、人間として真摯に生きている限り、完璧に同じものだと、私は今深く得心しています。
何故なら、その故人の無念な思いを確固たるものとして、判りやすく広く具現する為には、「聖なる槍」や「お肉通しの刀」が後に残された者には必要だったからです。
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