天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『偉大な生涯の物語』イエス”鶏が鳴く前三度私を否む”評したペテロの否むシーン199分版は二度だけ

2011-06-09 21:48:05 | 日記
今日の日記は、映画『偉大な生涯の物語』(1965年製作 ジョージ・スティーヴンス監督 マックス・フォン・シドー主演)に登場するイエスの一番弟子(十二使徒の一人)ペテロのことです。
新約聖書によれば、ペテロ(ゲイリー・レイモンド)はガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった人です。映画でも、イエスに愛されて、『ペテロ 君は岩だ!私はその上に教会を建てよう!君に天国への鍵を渡す!君が地上で縛るものは天国でも縛られ、地上で許すものは天国でも許される』と全幅の信頼を寄せていました。
その後、エルサレムに入って人民に布教していたイエスは、ユダヤ教徒の司祭らから異端とされ、弾圧による自身の死が近いことを悟ります。そして、イエスは弟子たちと最後の晩餐を行い、自らの死が近いことを弟子たちに告白します。
添付した写真は、映画での最後の晩餐シーンです。中央はイエス(マックス・フォン・シドー)で、その向かって右隣にはペテロ(ゲイリー・レイモンド)が座っています。レオナルド・ダ・ビンチの壁画「最後の晩餐」における配置(イエスから左側2番目)とは違いますが、ジョージ・スティーヴンス監督は、イエスとペテロの会話をより劇的に盛り上げる為、ペテロをすぐ近くの右隣にしたと思います。また、イエスの一番弟子だったペテロが隣に座るのは当然なことでもあります。その二人の会話とは、
・ペテロ『ご一緒します!死んでもいい!』
・イエス『(ペテロに顔を向けて)私の為に死ねるのか?』
・ペテロ『(イエスを見つめて)もちろんですとも!』
・イエス『ああ ペテロ 鶏が鳴く前 君は三度 私を否むだろう!』
・ペテロ『(一瞬驚いた表情で下を向いて)死んでも否んだりしません!』
これは、新約聖書のマタイの福音書26章34節”今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言います”からイエスとペテロのエピソードを映像化したものです。ペテロはこのように信仰心を強がっていますが、映画では、異端審判にかけられたイエスを『知らない』と否んだとても弱い人間として描くシーンが、その後二度出ています。
聖書では三度とあるのに、何故二度しか映画では出てこないのか?これは最初の260分版の作品ではあったのに、199分短縮版に再編集する祭、この否んだシーンの一つをカットしてしまった結果だと、私は今思っています。
この無残なカット編集で、ジョージ・スティーヴンス監督のペテロへの思いはまったく中途半端なものとなってしまいまいました。私は、とても残念な思いを今抱いています。
このペテロは、後年ローマ帝国の首都ローマでイエスの教えを布教中、弾圧が激しくなって、「知らない」と言った過去の行為を思い出させるように、再び布教の地ローマを逃げ出したイエス十二使徒の重要な高弟です。
映画『クォ・ヴァディス』(1951年製作 マーヴィン・ルロイ監督)で、ペテロはローマに向かっているキリストに『主よ!どこに行くのか?(クォ・ヴァディス)』(新約聖書・ヨハネの福音書13章36節)と問いかけた人です。そして、キリストが『あなたの替わりに、ローマで磔になる』と言われたので、ペテロは自らの信仰心の弱さを強く恥じて、ローマに戻り「逆さ十字架刑」になり、聖人になった人です。また、カトリックの総本山サン・ピエトロ寺院は、イエスの予言の通りこのペテロの墓の上に建てられています。
私も今年の2月26日付の日記『映画「クオ・ヴァディス」ローマ人ペトロニウスは布教者ユダヤ人ペテロに「教えは正しいだが放って置いて」』でこのペテロを紹介しています。だから、ペテロのキリストを「知らない」と否んだ残りのシーンを、是非見たいです。再度私は御願いします。DVD製作会社・20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンに、日本公開時の完全版DVDを、私は是非リリースしてほしいです。
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