もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」
という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。
ヤコブ 2章 8節
大事なのは、「最高 ( 尊い) の律法」と訳されているところです。
これは、「王の律法」と訳すことのできるものです。
栄光の主イエス・キリストの律法でありますから、王なるキリストの律法ということです。
つまり、これは王権をともなった、絶対権威のある、畏れ多い律法であるということです。
この律法に違反する者なら、それ相当の罰が伴うというものであります。私たちは、キリストの御国にいます。
そして、王なるキリストが与えられている掟の中に生きており、それがこの隣人を愛するという掟なのです。
神は人をご自分の姿にかたどって創り、その上自由意志というものをお与えになりました。
そして、人は神に逆らうことを覚え、そのために、自分自身を滅ぼすことさえできるようになりました。
これは一つの大きな謎と言えるのでは、現代の私たちの目の前で見られるいろいろな現象はこの謎の恐ろしい一面です。
しかし人はまた他方で、この自由意志のために、自ら進んで神に仕え、隣人のために尽くし、
永遠の救いを勝ち取ることもできるのです。なんと大きな違い、ギャブでしょう。
神からいただいた「自由」を自由に使いこなすことは悪いことではないが、
一致、真理、そして隣人への愛のために自らの自由を放棄することができれば、
これこそが自由の最も素晴らしい使い方ではないでしょうか。
レビ記 19 章 18 節
あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。
あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。