「 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」
イザヤ 63章 9節
私の知っている神は、私たちを遠くから眺めて、苦しんでいる私たちに、更に教訓を与えるような神ではありません。
一緒に悩み、苦しみをその心でまた体で感じてくださる神です。そう私たちの悩みと悲しみ、苦しみを神は無視することはできずに、
共に悩み苦しんでくださるのです。神は私たちの悩みと苦しみの中に入ろうとしているのです。そして、この悩みを理解してくださり、
あなたにとって一番良いことはと、どうしたらよいのかを一緒に考えて下さり、そこから救い出して、
さらに、罪の中に欲望の奴隷になって自分を失っている者を神は代価を支払って買い戻して、生き生きとして自由なあいのある、
人生に変えてくださるのです。
それがここに言う贖いと言うことです。このことが最もよくあらわされているのがイエスの十字架の死です。
神は常に私たちを見守っていてくださるのです。感謝。ハレルヤ。
ヘブル 4:15
「 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、
すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」
ヤコブ 1:13
「 だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、
また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。 」
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