マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

みこころのとおりに

2016年10月21日 | キリスト教

「 父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。

            しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」 

                                ルカの福音書 22章 42節

これは、自分の最期が刻々と迫っていることを意識してイエスが、非常に深い悩みの中で、

自分の本心を父である神に訴えられた祈りとして、私たちにも伝えられています。

イエスは、苦しみや悲しみ、そして死を全く恐れない冷徹な印象を与える方では

ありませんでした。( 事実、この時点ではまだ退却と言う道は残されていたと思うのです。)

人間らしい自然な、感情の豊かな方でした。死ぬのは嫌だ。出来ればこの十字架という

無残な死から逃れたいと思って、こう願われたのではなかったでしょうか。

「 この杯を私から取りのけてください 」 と主イエスははっきりと祈りました。

しかし、そう祈りながらも父なる神の望みは、自分の願っていることとは違って、

この死を受け入れる事であろうと知り気づいていました。( イエスが死ぬこと以外に私たち

を救う手だてはなかったのでしょう。)

神の望みを受け入れるのが苦しいとき、この場面を思い起こし、イエスの後に従って苦しみ

の中にも父なる神の教え導きに従うことができますように。

聖書から

ヘブル 2:2 ~ 4

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。」

 

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