マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ただ恵みにて

2016年07月01日 | キリスト教


「 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない/心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。」

                                                        詩編 19編 15節

ユダヤ人が購い主と言うときは、自分が窮地に陥り、全財産を失い、自分実まで奴隷として売り渡さなければならないようなとき。

犠牲を払ってまで買い戻し、助けてくれる親戚の事なのです。( 買い戻しの規定として、ヨベルの年と言うのがあります。

もしその人が身売りしたままで買い戻されなかった場合、ヨベルの年にはその人も、その子供たちも手放される。レビ 25:54  )

私たちにとっては、いのちを投げ出し、全身の血を流しきって、滅びから、裁きから救ってくださるイエス・キリストこそ贖い主です。

そんな贖い主に、「 私はこんなこともあんなこともしました。認めてください 」 と、まるで商取引のようには祈りません。

私たちには主に差し出すべき物は何もなく、御前に祈る祈りの言葉をお受けくださいと祈るばかりです。

心の底から沸き上がる信頼、願い、感謝と礼拝の思いと言葉だけしかありません。しかし、神はどんな供え物に勝って、

へりくだった信頼と祈りをお受け下さるのではないでしょうか。

聖書から

「あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。」    箴言 3:34

「心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」イザヤ 57:15

「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。」  ロマ 12:1

 

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