マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

友のために

2018年04月27日 | キリスト教

 

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

                                            マタイ 25章 40節

わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、

裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。という聖書のみ言葉補実践しましょう。

王である者が実は最も小さな者といっしょになってくださっています。これは驚くべきことです。
 
イエスは、天と地にあるすべての権威を持っておられる方です。そのイエスが、
 
人々からさげすまれるような困窮している者たちといっしょになってくださいます。
 
私たちは、生活の中でキリストがどのように働かれているか分からなくなるときがありますが、
 
実は、日常生活の中でキリストに出会っているのです。
 
主イエスは、神に仕えるということは、人に仕えることですと言われたのです。神は私たちが人生で、
 
日常の人々との触れ合いの中で、どのように過ごしてきたのか、その在り方によって、
 
羊と山羊を分けるように、永遠の命と、永遠の刑罰を受けるようにされるというのです。
 
あなたは誰かに親切にしてもらった経験はありますか。その時の感謝の心をもって、
 
他者に対していつも親切にする心づもりを持ちましょう。
 
 
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