「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカ 14章 11節
ギリシャの無敵の英雄アキレスにも、弱点がありました。彼は敵のパリスにかかとを射られて死にました。
信仰生活の致命的アキレス腱は、自分を高くするということです。ここを狙われると信仰は崩れていきます。
何故でしょうか。まず第一に、神に委ねることができなくなります。人生には、自分の思うとおりに恵まれるときがあり、
恵みも喜びも感じられない時もあります。信仰はこのような時にも神に自分自身を委ねますが、
高ぶるものはこれができません。次には悔い改めができなくなります、自分を高くしているときは、
確かに悪いのは他人、正しいのは自分という態度を取っています。
この聖句は、聖書全体の中に、書かれている原則です。自分を高めれば低くされ、低くする者は高められます。
そして、末席に座る人は、主催者に自分のすわるべき席をゆだねて、自分で決めることはしませんでした。
これはどういう意味でしょう。主催者であるキリストを見つめる、ということです。
自分がどのような評価を受けるかをキリストにゆだねることです。自分は末席の者、
つまり、罪人のかしらであるという認識があります。その後は、キリストにすべてを評価していただこうというものです。
一方、もし集まってくる人々を見つめるようになれば、どうなるでしょうか。人たちからよく見られたいと願うようになります。
また、キリストを見るとき、自分はキリストにあって神に受け入れられている、認められているという確信があるので、
上席にすわらなくても別に構わないと思うことができるのです。ですから、
本当の謙虚さは、人ではなくキリストを見つめることにあります。