マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

キリストを見つめること

2021年07月09日 | キリスト教

「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

                    ルカ 14章 11節

 

ギリシャの無敵の英雄アキレスにも、弱点がありました。彼は敵のパリスにかかとを射られて死にました。

信仰生活の致命的アキレス腱は、自分を高くするということです。ここを狙われると信仰は崩れていきます。

何故でしょうか。まず第一に、神に委ねることができなくなります。人生には、自分の思うとおりに恵まれるときがあり、

恵みも喜びも感じられない時もあります。信仰はこのような時にも神に自分自身を委ねますが、

高ぶるものはこれができません。次には悔い改めができなくなります、自分を高くしているときは、

確かに悪いのは他人、正しいのは自分という態度を取っています。

 

この聖句は、聖書全体の中に、書かれている原則です。自分を高めれば低くされ、低くする者は高められます。

そして、末席に座る人は、主催者に自分のすわるべき席をゆだねて、自分で決めることはしませんでした。

これはどういう意味でしょう。主催者であるキリストを見つめる、ということです。

自分がどのような評価を受けるかをキリストにゆだねることです。自分は末席の者、

つまり、罪人のかしらであるという認識があります。その後は、キリストにすべてを評価していただこうというものです。

一方、もし集まってくる人々を見つめるようになれば、どうなるでしょうか。人たちからよく見られたいと願うようになります。

また、キリストを見るとき、自分はキリストにあって神に受け入れられている、認められているという確信があるので、

上席にすわらなくても別に構わないと思うことができるのです。ですから、

本当の謙虚さは、人ではなくキリストを見つめることにあります。

 

 

 

 

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