「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』
と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
ルカ 17章 4節
主の祈りの中で、「私たちに罪を犯すものを、私たちが赦すように、
私たちの罪も赦してください。」と、このように祈ることを求めておられます。
私たちはいったいどのくらい、他の人をゆるしたらいいのでしょうか。
イエスのゆるしについての話を聞く人は、みなそのことに疑問を持ったようです。
マタイの福音書には、「七回どころか七回の七十倍でもゆるしなさい」と記されています。
当然のことですが、七回を七十倍、四百九十回、ではありません。
それはとことんゆるしなさいということです。
この七という数字は聖書の中では大切な数字だと言われています。
一日に七回、とんでもない数なのですが、それは貴い数なのです。
そのような厳しい教えの背後にあるものは、
人は誰も神と他人から赦してもらわなければ生きてはいけないというのが事実です。
何回も罪を犯して、「もう、やりません。」と軽々しく言う人がいます。
その人は、真に悔い改めていないように見えます。けれども、「悔い改めます」と言うのであれば、
行なうのでなく、ただ言葉だけであっても、赦しなさい、とおっしゃっています。
相手が悔い改めますと言えば、私たちは赦すしかないのです。
ひどいことをされることがあります。自分がその人のことを怒ったり、恨んだり、
憎んだりする正当な理由が、いくらでも見つかる場合があります。
けれども、そのようなときでも、イエスは、「赦しなさい。」と言われるのです。
心に留めないで、過ぎ去らせることです。私たちがいつも赦すのだという姿勢を もって接していくことです。
「愛は多くの罪をおおうからです。(1ペテロ 4:8)」とあります