マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

終わりから見る

2018年08月10日 | キリスト教

「わたしは永遠に女王だ、とお前は言い/何事も心に留めず、終わりの事を思わなかった。」

                   イザヤ 47章 7節

 

私たちは終わりのことを考えないように生きていると思います。ある人は大切な家族の死を通して、

自分の人生を問い直して、大企業のエリートのポストを捨てて、神学校に行き、牧師になられました。

自分の先が見えた時、人はより意味のある人生を生きたいと願うのではないでしょうか。

死ぬということがあるから、生きている今に価値が感じられる、老いるということがあるから、

今の日々が大切になる、別れる時が来るから、一緒にいる今を大切にしたい。

すべてに終わりがあるから、すべてがいとおしくなってくるのです。

終わりから今を見ると、すごく気にしていたことも、それほど重要なことではないと気づかされます。

毎年、毎日に終わりが来ることを思って、いかに生きるべきかを考える時を大切にしたい。

歴史は覇者がその栄光を持続することは出来ないことを教える。「奢れる者は久しからず」、
 
そこに神の意思を認めるかどうかが信仰だ。
 
ルカの描く「愚かな金持ち」は、自分が死ぬことを認識しないゆえに「愚かだ」と言われる。
 
「(愚かな金持ちは言った)『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。
 
ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ』と。しかし神は『愚かな者よ、今夜、

お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた」。 
 
                             ルカ 12:19-21




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